2月22日、沖縄県で基地建設をめぐる重要な動きがふたつあった。
ひとつは与那国(よなぐに)島の自衛隊基地建設の是非をめぐる住民投票。もうひとつは新基地反対を訴える住民らの名護(なご)市辺野古(へのこ)での抗議大集会だ。
ところが、辺野古では反対派が米軍に不当拘束される事件が! 自衛隊と米軍、新しい基地建設を巡って大きく動いた沖縄の一日を追った!
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2015年2月22日を忘れない。忘れまい。
沖縄の民意を完全に無視した政府の横暴さが、名護市辺野古大浦湾の「新基地建設予定地」の現場で顕著に表れて久しいが、工事を強行する防衛省沖縄防衛局だけでなく、米軍の「凶暴性」もこの日、あらためてくっきりと浮かび上がった。
その日曜日は午後1時から米海兵隊キャンプ・シュワブゲート前で「止めよう 辺野古新基地建設! 国の横暴・工事強行に抗議する県民集会」が行なわれる予定だった。
しかし、なんとその朝、ゲート前で新基地建設阻止・抗議行動(いわゆる座り込み運動)のリーダーである沖縄平和運動センター議長・山城博治(ひろじ)さんらが、米軍によって不当逮捕される異常事態が起こってしまったのだ。
いつものように、海上保安庁の職員や沖縄防衛局の職員らがメインゲートから基地内へ入ることに対して、山城さんを先頭に市民・県民・全国からの支援者が抗議行動を行なっていた時である。
機動隊と一度もみ合いがあり、彼らの暴力的な振る舞いに市民らが抗議の意思を強く表そうとする場面があった。そこで山城さんは、みんなに「少し落ち着こう」と、自身はゲートを背にするかたちで、抗議の集団を一歩後ろへ引かせようとしていた。
だがその時、山城さんと向き合う最前列の人たちは、米軍基地内の動きがいつもと違うことに気づいた。
沖縄県警も知らなかった?なら問題
少し前に迷彩服の海兵隊員が20名から30名もゲート付近に出てきていたし、さらに米軍雇用の日本人警備員(そのほとんどが県内出身者)が6名ほど山城さんの背後に忍び寄ってきたのだ。沖縄県警の機動隊員たちは、米軍警備員に道を開けるかのように、その周囲を固めて並ぶ。
そして次の瞬間、山城さんは米軍警備員らによって引き倒され、足をつかまれアスファルト上を引きずられて、あっという間に基地内へ連れ去られた。さらに、あろうことか米兵(山城さんによれば、迷彩服に赤い腕章をした軍人)に後ろ手に手錠までかけられ拘束されたのである。
事件から3日後の夜に、私は山城さんにじっくりインタビューする機会を得た。そして当時の模様を冷静に振り返ってもらった。
「メインゲートから100m以上先の地面に座らされて手錠をかけられた時、知り合いの米軍警備員(沖縄県民)と目が合いました。私は彼に『おい、キミたちはこんなことまでするのか』と言いました。『そういうことしたくないけど、やれと言われているんです』という答えでした」
その後、山城さんは「米軍管理区域の境界を示すイエローラインを越えて基地内に侵入した刑事特別法違反の容疑で、身柄を沖縄県警名護警察署に移される。
「顔見知りの副署長が待ち構えていたので、私は『俺の身柄を取れて本望か』と聞きました。すると『俺たちは(米軍が逮捕すると)知らなかった』という返事でした」
つまり、どうやらこれは米軍側の判断による不当逮捕のようなのだ。
その後の地元紙の報道によれば、〈今年1月上旬に来沖した米国防総省高官らが、キャンプ・シュワブゲート前の抗議活動を排除する必要性を主張していたことが24日までにわかった。一方、同キャンプの幹部は同日、来県中の沖縄北方特別委員会(*注・国会の委員会)に対し「上官の指示で拘束した」と明らかにした〉という(沖縄タイムス2月25日付1面記事参照)。
「日本側は知らなかった、米軍単独の身柄確保だったかもしれない、とは私も感じています。ただ、日本の警察が黙って米軍の好きなようにさせていることには疑問を禁じ得ません。米軍警備員の登場と同時に機動隊は脇へすっと下がったわけですからね。米軍が強引なやり方で自国の大衆運動を潰(つぶ)そうとする瞬間を、まさに見て見ぬふりをしたのです」(山城氏)
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(取材・文/渡瀬夏彦 撮影/森住 卓 渡瀬夏彦)
■週刊プレイボーイ11号(3月2日発売)「基地建設をめぐる沖縄『激動の一日』より