2月22日は、沖縄の基地問題をめぐる激動の一日だった。
米軍の新基地建設をめぐり、沖縄県名護(なご)市辺野古(へのこ)で住民による抗議大集会があったが、その直前の朝、抗議活動のリーダーらが米軍によって不当逮捕されるという事件が起こったのだ。(詳細記事はこちら→http://wpb.shueisha.co.jp/2015/03/04/44462/)
そしてこの日はもうひとつ、日本最西端の島、与那国(よなぐに)島でも重要な出来事があった。
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この国の現在の姿を象徴するかのような出来事が辺野古で起きた2月22日、実は私自身は与那国島に滞在していた。「自衛隊基地建設」の賛否を問う住民投票が行なわれたのだ。
私事で恐縮だが、私にとっての与那国島は18歳、19歳、23歳と3度「サトウキビ刈り援農隊」に参加して以来、臆面もなく「心の故郷」と呼ぶようになってしまっている思い入れの深い島だ。
だから22日の辺野古の県民集会が大いに気になりつつも与那国での取材を優先させた。その直接のきっかけをつくってくれたのは、旧知の名護市議会議員であり、大浦湾地域の瀬嵩(せだけ)集落出身の東恩納琢磨(ひがしおんな・たくま)さんの言葉だった。
「ぜひ与那国へ行ってください。17年前の基地建設の是非を問う名護市民投票の時、渡瀬さんはこんな田舎にもよく足を運んでくれましたよね。俺たちにはとっても励みになったんですよ。だから与那国の人たちの所へ行ってください」
取材者冥利(みょうり)に尽きる背中を押してくれる言葉だった。
2月15日に島に入って10日間滞在し、住民投票に揺れる島の人たちの思いをたくさん聞いて歩いた。
自衛隊配備は「仕方のないこと」か?
結果から言えば、住民投票は22日に即日開票され、自衛隊基地建設に賛成が632票、反対が445票という大差のつく結果となった。
外間守吉(ほかま・しゅきち)町長は「これで決着がついたと考えます」と述べたし、結果だけ見ると「島の人が選んだことだから仕方がないよね」という思いに駆られる人も多くおられるかもしれない。実際、住民投票後に辺野古で会った複数の友人、知人からもそれに近い言葉をかけられた。
しかし、そのたびに私は「ちょっと待ってください」と言葉を返し続けた。
というのも、まず第一に与那国島になぜ「自衛隊基地建設」が必要なのか、という問題の検証がどこまで行なわれたかが疑問だからだ。
外間町長による「国防よりも、経済活性化策としての自衛隊誘致」に走った路線は果たして正しかったのか、間違っているとすればなぜなのか。自衛隊誘致に頼らぬ島おこしをしたい島内の有能な人材の力を開花させることができているのか、あるいは芽を摘んでしまっているのか。
日本本土から離れているために、沖縄本島が異常な米軍基地の負担を押しつけられてきたのと同じように、さらに遠い国境の島の自衛隊配備問題は「仕方のないこと」として片づけられてきてはいないか。
様々な観点からの分析と検証が本当に行なわれてきたのかが疑問なのだ。
島の人たちが選んだ結果だから、しっかりと受け止めなければならないことは間違いないが、思考停止だけは避けなければいけない。
原発誘致と同じような殺し文句
結果を受けて現時点で言える私の率直な感想を、あえてひとつに絞るなら、辺野古新基地建設強行とまったく同じ事業者である防衛省のやり口、すなわち「強引に既成事実を積み重ねること」が、まんまと功を奏した感は否めないという点である。
与那国島では自衛隊配備の拠点が3ヵ所もあり、そのうちふたつ、レーダー設置地区と駐屯地区はすでに造成工事がかなり進められている。
「もう工事が始まっているから国は絶対に後へは引かない。だから、これからのことを思えば賛成派についていたほうが得だ。レーダーの電磁波の危険だって、国が責任をもって安心だと言うんだからウソであるはずない」
といった、原発誘致でも繰り広げられたような言質が賛成派の殺し文句のようになっていて、当初は反対派だった住民も工事が進むほどに、相当に諦めさせられた感があるのである。
自衛隊に頼らぬ本物の島おこしを願い、レーダー電磁波による人体、家畜への被害を憂い、町の選挙自体を永遠に自衛隊が牛耳る事態になる恐怖をきちんと語る論客とわたしは何人も会った。しかし悲しいかな、彼らの声は広く浸透しなかった。「反対派は国ほど資金を持っていないから仕方がない」という声もあちこちで聞こえた。
そのことも含め、果たして島の人ばかりに責任を押しつけてよいのか。与那国の大問題を沖縄県民や国民全体の大問題として共有する努力を私たちはどれだけできたのだろうか。
なぜ辺野古と同じく全国区で扱わない?
辺野古の問題もここにきてテレビ朝日系の『報道ステーション』がしばしば取り上げ、ようやく全国区の問題になってきた感がある。『標的の村』(三上智恵監督)や『圧殺の海』(藤本幸久・影山あさ子共同監督)という映画によって、マスメディアが伝えなかった「沖縄の真実」を知る人も増えつつある。
最後に、自衛隊誘致問題が起きてから一貫して反対の立場をとっている、代表的なふたりの言葉を紹介したい。まずは、92歳の牧野トヨ子さん。
「軍隊の備えのある所から、まず狙われます。戦争中の与那国は軍の監視施設があったので、焼夷弾(しょういだん)で焼かれたり、機銃掃射も受けました。人口が増えるとか、お金のことだけを考えてはだめだと思いますよ。戦(いくさ)になったら、なんのためにもならない。
与那国は景色もいいし、自然にも恵まれているから、観光客を呼んだほうがいい。基地がある所に観光客は来ない。お金に目がくらんでいる人が島を売ろうとしている。先祖代々守ってきたこの土地を次の世代に渡すのが私たちの責務だと思っている」
反対派の理論家町議として知られる田里千代基(ちよき)さんは、こう語る。
「台湾との経済・文化交流を柱にした『自立へのビジョン』を策定した前町長の尾辻(吉兼)さんは自民党の政治家でしたが、自分の意思よりも民意を尊重する立派な政治家でした。あの人が急逝しなければ、こんな強権的な町政にはなっていません。『自立へのビジョン』実現の努力を真剣にしてくれたと思いますし、自衛隊基地がこんなに強引な形で着工されることもなかったでしょう。
現町長は、努力を放棄して、自立ビジョンに書かれたことはすべてやったと開き直ってしまっています。こんな結果になってしまったことは悔しく悲しいことです。ただひとつ本音を言えば、与那国の自衛隊問題をなぜ辺野古と同じように扱ってくれないのだろうか、という孤立感は否定できない日々がありました」
私はこの言葉を深く胸に刻みたい。そして、国境の島・与那国の真実を「みんなの問題」としてしっかり伝えるべく努力したい。
(取材・文/渡瀬夏彦 撮影/森住 卓 渡瀬夏彦)
■『週刊プレイボーイ』11号(3月2日発売)「基地建設をめぐる沖縄『激動の一日』」より