「慰霊と鎮魂の文芸こそ怪談であり、慰霊と鎮魂は必ずしも神妙な顔でやらないといけないものとも思ってません」と語る東氏

震災から4年経った今でも、被災地でささやかれる幽霊の目撃談。

その正体を追った本誌記事「NHKも取り上げた被災地の“心霊体験”はまだ終わっていなかった」http://wpb.shueisha.co.jp/2015/03/09/44659/)には大きな反響が寄せられた。

災害社会学や災害情報論を専門とする日本大学文理学部社会学科の中森広道教授が行なった調査では、上記で紹介した他にも以下のような多くの体験談が寄せられている。(13年12月に行なった『「東日本大震災」に関する流言・うわさ・前兆現象ならびに都市伝説に関する調査』より。具体的な地名は編集部で伏せさせていただきました)

●津波から逃げているのか、建物に走って入る幽霊の話を挙げたらきりがないほど聞いた。何度も同じことを繰り返し続けているらしい。●某所に打ち上げられた貨物船には幽霊が出るといわれている。●震災から1年経過したとき、O町の実家で故障でもないのに蛍光灯がまだらに点灯し始め、最後に行方不明の親戚(役場職員)の顔の輪郭のように光った。●多くの方が亡くなった市の施設から声が聞こえる。●某所ではタクシーに乗り込む幽霊が頻繁に出ると聞いた。「私、死んだんでしょうか?」と尋ねてくるとのこと。●夜、車で走っていると大勢の人に囲まれ動けなくなった。

慰霊と鎮魂の文芸こそ怪談

●遺体安置所になった体育館から、うめき声が聞こえると近所の人たちが言っている。●海沿いのコンビニでお化けが出るという噂があり、それが原因で閉店してしまったらしい。●行方不明の子供が夢に出てきて、親が夢に出てきた場所に行ったら、遺体を発見した。●某所の小学校近くで火の玉が飛んでいて、助けを求める声がする。

このような「震災怪談」に、あなたはどのような感想を持つだろうか?

先の記事では、ネット上でも実に様々な反応が寄せられた。「自分や知人も体験したことがある」「幽霊であっても家族と再会したい」「亡くなった方のご冥福をお祈りしたい」など肯定的な感想が多かった一方、「震災の犠牲者の幽霊話なんて不謹慎では?」という戸惑いも少なからず見受けられた。

なぜ日本人はこうした怪談を語り継ぐのか? 震災の犠牲者と怪談を結びつけるのは不謹慎なのか? そこで、怪談文芸雑誌『幽』の編集顧問で、古今東西の怪談に詳しい文芸評論家・東雅夫氏に聞いた。

―被災地の怪談に、どのような感想をお持ちですか?

 肉親との絆を確かめたり、無念な思いを伝えたりするために現れる話が多いように感じます。人を怖がらせたり、驚かせたりしない、ジェントル(優しい)ゴーストストーリーと呼ばれる物語ですね。

―幽霊を目撃した人たちは怪談を語っているという感覚はあるのでしょうか。

 おそらくないと思います。ただ、幽霊でもいいから理不尽に奪われた大切な人の存在を身近に感じたいというのは自然な感情でしょう。

―東さんは震災後も「みちのく怪談コンテスト」を催されましたが、「震災怪談」は不謹慎なのではという声もあったのでは?

 幸い批判はほとんどありませんでしたが、怪談にはおどろおどろしくて興味本位という偏見があります。不謹慎なのでは、という人の気持ちもわからないではありません。

ただ、私は「慰霊と鎮魂の文芸こそ怪談である」と思ってますし、慰霊と鎮魂は必ずしも神妙な顔でやらないといけないものとも思ってません。

生者と死者が歌い踊り交歓する風習

―どういうことですか。

 日本人は様々な局面で死者を慰霊、鎮魂して共存を図ってきました。日本を代表する古典芸能の能楽や歌舞伎も同じだと思いますし、私たちが子供の頃、お化け映画と呼び、怖いもの見たさで足を運んだ怪談映画の根っこにも慰霊と鎮魂があるんです。

『四谷怪談』や『累ヶ淵(かさねがふち)』『番町皿屋敷』。どれも理不尽に殺された犠牲者がお化けになって復讐(ふくしゅう)するという似たような筋書きですが、それを何度も繰り返し見て怖がることで、お岩さまや累さん、お菊さんら非業の死を遂げた者の思いを共有するわけです。

―エンターテインメントも含めて慰霊と鎮魂である、と。

 はい。盆踊りの風習がまさにそうです。お盆の時期は、玄関先でたいた迎え火を目指して死者が戻ってくるといわれています。古い風習が残る地域では手ぬぐいや笠で顔を隠して踊ります。踊り手が誰かわからなくするために顔を隠すのですが、もっといえば、誰かどころか生者か死者かもわからなくする。つまり、夜を徹して生者と死者が歌い踊り交歓するわけです。

―最後に、幽霊の存在をどうお考えですか。

 見たことがないので「いる」とは言えませんが、古くからこれだけ体験談や目撃談が本当にたくさん残っているのですから「いない」とはもっと言えないでしょうね。怪談というと荒唐無稽(こうとうむけい)に思われがちですけれど、それでは誰も怖がりませんし、残っていかない。

地域の記憶をリアルに切り取っているから皆怖がるし、語り継がれるわけです。優れた怪談には、時代の空気や普遍的な人の思いが映し出されているんです。

●東雅夫(ひがし・まさお)1958年生まれ。早稲田大学第一文学部卒。文芸評論家、アンソロジスト。怪談専門誌『幽』編集顧問。著作に日本推理作家協会賞を受賞『遠野物語と怪談の時代』のほか、『妖怪伝説奇聞』『なぜ怪談は百年ごとに流行るのかs』など多数