少し前にネット界を騒がせた「ドレスの色」問題に続き、「目の悪い人にしか見えない文字」が話題になっている。「これが見えてるのって、もしかして自分だけ?」と思うと、今まで信じていた世界がなんだか危うく思えてくる。
そもそも、なぜ錯覚が起こるのか? その不思議なメカニズムと様々な錯視の世界、さらに日常生活に潜むリスクについて千葉大学の一川誠教授に伺った。
―まず、話題となった「ドレスの色」問題について。これは縞模様のドレスの配色が人によって違う色に見えるということで、周りでも「白と金だ」「いや青と黒だ」とプチ論争になりましたが、専門家にとっては取り立てて珍しい話でもないんですよね?
「いや、実はそうでもないんです。研究室でも話題になりましたが、白と金、青と黒だけでなく白と茶色、白と青などバリエーションがあって、そんな単純な話でもないなと。ちょうどその後に開催された錯視の国際シンポジウムでも10人中5人の研究者がその話題に触れ、『こうしたら金に見えるのでは?』『正しく見るコツは?』などと非常に関心が高かったですね」
―なんと! 専門家の方々の間でも話題だったと。先生としてはこの問題にどんな見解を?
「まず、私たちはものの表面の色だけでなく、照明の当たり方で色の見積もり方を変えています。例えば、暗い照明の下で白い紙を見ると灰色に見えますよね? でも経験上、『これは本当は白だろう』と認識します。これを専門用語で『色の恒常性』といいます。
このドレスの本当の色は黒と青ですが、写真だと手前側が暗いので、この暗い照明でこの色だと実際は白だろうと見積もる。さらに、もともと少し茶色がかった黒い部分は、やや光沢がある金色に見積もってしまったと考えられます」
―では、人によって違うのはどうしてですか?
「照明光をどう見積もるか、服の表面の反射率をどう見積もるかの個人差です。中にはしばらく見ていると黒と青に切り替わった人もいますが、まったく切り替わらない人もいました」
人によって見え方の違う例がこんなに!
―他にこのような複数の見え方が起こる例はありますか?
「1枚の絵がウサギに見えたり鳥に見えたりする絵や、婦人と老婆に見えたりする絵が有名ですね。また、動画だとダンサーが回転している影絵で、時計回りか反時計回りのどちらに見えるか。わりと簡単に入れ替わる人と、そうでない人がいるんですよね」
●「シルエット錯視」(YouTubeより) https://www.youtube.com/watch?v=ZkBn9rgCRzs
―え? 時計回りにしか見えないですけど……。あっ、反対になった!
「ハイハイ(笑)。30秒くらい見てると入れ替わりますね。でも,なかなか切り替わらない人もいるんです。
個人差の例では、立命館大学の北岡明佳先生が作った『蛇の錯視』も興味深いです。じわじわと回転しているように見えますが、これも見えない人がいるんですね。こういった個人差の原因はよくわかっていません。
今回のドレス問題のように色が切り替わるパターンは初めてで、研究の分野でも注目度が高いです。しかも、色の場合、『反転』はかなり起りにくいようです。色の恒常性が原因というのに議論はないのですが、個人差や反転の仕方については未解明。性別や遺伝などの生理的なものではなく個人的な経験の差ではないかと考えられています。 イギリスの科学雑誌がこれに関する論文を9月〆切で募集しているので今、世界中の研究者が調査に励んでいると思います」
世界の錯覚コンテストの人気作品
―全世界でトンデモない盛り上がりなんですね! 視覚は人間にとって基本なので、もっといろいろ解明済みかと思いました。
「いや、意外に人間は人間のことを知らないんですよ。日本でも世界でも毎年、錯覚のコンテストをやってますが、そのたびに『こんなのがあったのか!』と視覚の研究者がビックリしてます(笑)。例えば、最近のコンテストで学生にも人気なのがコレ。両脇の有名人の写真が順番に入れ替わりますが、真ん中の点を見ているとちょっとスゴイ顔になってきませんか?」
●Shocking illusion(YouTubeより) https://www.youtube.com/watch?v=Sp_P-mPIQ24
―ワッ、何これ? 怖いです!
「デコボコした石などでも同じですが、平均的な部分は見慣れてきて平均からズレた部分がどんどん強調されるんですね。額(ひたい)が広い人はものすごく広がって見え、目の間が離れているともっと離れて見える。進化の過程で少ない処理の資源を有効に使うために特徴的な部分を強調したほうが役にたってきたんでしょうね。
こちらは私の研究室で作った写真です。この道路の角度は何度に見えますか? 実験だと60度~50度が平均値ですが、本当は100度を超えてます。『遠近法の角度錯視』と言われますが、こういった普通の画像に結構大きな錯視が潜んでいる。現実空間では道路は平行なので、それにひきずられて角度を狭く見積もってしまうんです」
日常生活に潜む錯覚のリスクとは?
―こういう錯覚って現実空間でも起こりうるんでしょうか?
「人間の進化の中で絵やコンピュータ画像は新しい観察条件なので、今まで見つからなかったことが見つかりやすい。でも、視覚は通常の環境では適応的なので、錯覚が大きな問題に発展することはほとんどないでしょうね。ただ、人間って生活を便利にするために環境を作り変えますよね? すると、今まで適応的だったのがそうじゃなくなることはありえます。
これを見てください。3つの黄色い点の中央に緑の点があって、それだけが点滅しています。この緑の点をずっと見ていると、さっきまで見えていたはずの周囲の点が消えたように錯覚しませんか?」
●Motion Induced Blindness(YouTubeより) https://www.youtube.com/watch?v=Hfrb94mKCJw
―確かに、消えました…! とても不思議です。
「これは動いているものに処理の資源が使われてしまうことが原因のようです。交通事故の原因は7割が不注意といいますが、実際はこういう錯覚による見落としも関わっていることがわかってきました。不注意ではなく、ある1点に注意を集中しているために他が見えなくなってしまう。
さらに、人間の視覚はもともと0.1秒くらい遅れていますから、徒歩の範囲だと問題にならない見落としも高速移動では気付いたらもう遅い…となりかねないんです。
そういった視覚の様々な特徴を調べることで、日常に潜む潜在的な危険を避けられるようにできればと思い、研究を続けています。今回のドレス問題をきっかけに一般の方も錯覚の世界に興味を持ってくれると嬉しいですね」
(取材・文/田山奈津子)
●一川誠(いちかわ・まこと) 1965年生まれ。千葉大学文学部行動科学科教授。専門は実験心理学。人間の知覚認知過程や感性の特性について研究を行う。おもな著書に『錯覚学─知覚の謎を解く』『大人の時間はなぜ短いのか』(ともに集英社)ほか
■『錯覚学─知覚の謎を解く』 (集英社新書、799円)