大通りの入り口に堂々と立つ看板は、原発と共に発展し、原発と共に沈んだ双葉町の歴史をまざまざと示している。その記憶の風化にあらがうため、大沼夫婦は今もここを何度も訪れ、町の様子を記録し続ける

福島第一原発事故で、帰還困難区域となった双葉町(ふたばまち)。そこに妻と足繁く通う男性がいる。この町で生まれ育った大沼勇治(ゆうじ)さん(39歳)だ。

28年前、学校の宿題として作った原発PRの標語「原子力 明るい未来のエネルギー」が町のコンクールで入選。標語は看板となり、町の目抜き通りに設置された。大沼少年は晴れがましい気分だった。

しかし原発事故後、それは忸怩(じくじ)たる後悔に変わる。

「原発がもたらしたのは明るい未来じゃなく、破滅でした」

被災後、大沼さんは時間をつくっては双葉町に入り、原発PR看板や荒廃した町をビデオに収めるようになった。避難先の愛知県で生まれた3歳と1歳の息子に、なぜ自分が故郷を失ったのかを伝えるためだ。

ところが先月、町は看板の撤去を決定。大沼さんはすぐに撤去反対の署名活動に乗り出した。

「このままだと町の原発推進の歴史や事故の記憶が風化する。双葉町民こそ撤去に反対しないと」

かつては誇りだったものを、「負の遺産」として守る。大沼さんは人生の皮肉を感じながら今日も双葉町に立っている。

*原発PR看板の撤去派vs保存派の対立ルポ「『原発に見た夢を、なかったことにしたい』本当にそれでいいのか?」を「週刊プレイボーイ18号」(4月20日発売)に掲載!

(取材・文/姜誠)