記憶の風化に抗うため大沼夫婦は今もここを何度も訪れ、町の様子を記録し続けている 記憶の風化に抗うため大沼夫婦は今もここを何度も訪れ、町の様子を記録し続けている

JR双葉駅から国道6号へと通じる町の目抜き通りに「原子力 明るい未来のエネルギー」という巨大な原発PR看板が立っている。今から28年前の1987年、当時、双葉町(ふたばまち)に暮らす小学6年生だった大沼勇治さん(現39歳)が考案した標語が採用された。

しかし、町は老朽化などを理由に看板の撤去を決めた。大沼さんは撤去反対を掲げ、署名などを集めている。(前編記事はこちら→ http://stg.wpb.cloudlook.jp/2015/05/03/47327/

■看板よりも家のがれきのほうがずっと危険だ!

4月某日、本誌は大沼さんと一緒に双葉町を訪れてみた。

車でいわき市から常磐(じょうばん)道を走り、浪江町(なみえまち)にあるスクリーニング場を目指す。ここで防護服に着替え、通行証などのチェックを受け、双葉町へと入る。

驚いたのは常磐道双葉付近の線量の高さだ。国の許容値は毎時0.23マイクロシーベルトだが、走行中の車内で0.7マイクロシーベルト、道路脇の線量計では5.6マイクロシーベルトもある。今もかなりの汚染ぶりなのだ。

大沼さんの案内で、まずは原発PR看板に向かう。全長は8~10mほど。構造物の土台部分に「昭和62年 広報・安全対策交付金事業」との書き込みがある。周囲の線量は2マイクロシーベルトほど。ただ、線量計を地面に近づけると数値はさらに上がって7.49マイクロシーベルトを記録した。

妻のせりなさんが看板そばのアパートを見やり、ぽつりと漏らした。

「ここで人が暮らすのは本当に厳しいですね…」

看板には、さほどの傷みは見られなかった。錆(さび)つきもなければ、土台部分のコンクリートにも亀裂は入っていない。

本当に町が主張するように、老朽化して危険なのか――?

そんな疑問が頭をよぎる。

その気配を察したのか、大沼さんがどうしても案内したい場所があると言う。

撤去に懐疑的な住民も…記憶を消したいだけ?

ついていくと、民家が倒壊し、その残骸が道路の半分以上をふさいでいた。そのそばには自動販売機がつっかえ棒役となり、辛うじて倒壊を免れている家屋も…。危険すぎて、うかつには近寄れない。

大沼さんが口をとがらせた。

「おかしくないですか? 看板が危険だから撤去すると町は言うけど、こうした家屋のほうがずっと危険です。何しろ、道路をふさぐほど壊れてしまっているんですから。看板よりもこれらを先に撤去すべきでしょ」

双葉町の住民は原発PR看板撤去の動きをどう受け止めているのか? いわき市南台(みなみだい)にある双葉町応急仮設住宅を訪れてみた。

50代の男性住民はこう言う。

「俺はあの看板、撤去してもいいと思う。だって、あれを見るたびに原発事故を思い出すんだよ? そろそろ、あのつらい記憶から解放されたい」

一方で、撤去に懐疑的な住民も少なくなかった。30代会社員が吐き捨てる。

「あの看板は復興を望む住民にとっては目障りなんだろ。原発事故はなかったことにしたい。だから、さっさと片づけてしまうんだろうよ」

何人かの住民に聞いてみたが、賛否は半々というところだった。だが、井戸川克隆(いどがわかつたか)前町長(09年から13年2月まで)は厳しい批判を町議会に向ける。

「双葉町住民は3・11の原発事故で全町民が避難生活を強いられた。原発を受け入れた結果、故郷をなくした悔しさ、後悔を胸にみんな日々を過ごしているんです。あの原発PR看板はそうした町民の思いの象徴となり得るものなのです。モニュメントとして残すべきでしょう。町は独断専行がすぎます。せめて事前に住民にアンケートをするなど合意を取りつける努力をするべきでした」

間違いを隠し、消すことが恥ずかしく卑怯

戦争や災害など、人類の悲しみの跡を巡る旅「ダークツーリズム」を研究する追手門(おうてもん)学院大学の井出明(いであきら)准教授もこう話す。

「福島は原発事故で住民の強制避難と深刻な環境汚染を体験した地となりました。その福島を訪れ、原発とはなんだったのか、事故の結果、どんな痛み、悲しみが起きたのか、思いをはせることは大切なことです。

その点、双葉町の原発PR看板ほど明確な“戒(いまし)め”もありません。権力側が負の歴史を隠したがるということも看板の保存と撤去をめぐる動きを知ることでよくわかる。できれば、看板は悲しみの歴史を示す遺構物として現状のまま保存することが望ましいと考えます」

双葉町からの帰途、大沼さんがこう語りかけてきた。

「あの標語を作ったことを僕は後悔しています。恥ずかしい。でも、その間違いを隠したり、消すことのほうがずっと恥ずかしく卑怯(ひきょう)なことです。自分の至らなかった点も含めて、ふたりの子供には親たちの過ちをきちんと伝えたい。ただ、それだけなんです」

負の歴史をどう記憶するか? 双葉町の度量が問われている。

(取材・文/姜誠)