福島原発事故以降、放射能から逃れて避難生活を続ける人はいまだに11万人を超える。そんな中、政府は再来年3月までに(一部を除き)避難指示を解除する方針を打ち出した。
健康被害に不安を抱きながらも補償を打ち切られて帰らざるを得ない住民に対し、国は「安心を最優先し、年間被曝量20mSv(ミリシーベルト)の基準を採用した」という。
だが、放射線医学の専門家からも疑問が飛び出すような被曝量を強(し)いて、福島の住民の健康被害は本当に大丈夫なのか。
■除染基準の36倍を記録する家でも帰らされる
5月29日、与党の東日本大震災復興加速化プロジェクトチームが安倍晋三首相に手渡した提言書には「避難指示解除の着実な実施」という項目が盛り込まれていた。
帰還困難区域を除く避難指示区域(避難指示解除準備区域と居住制限区域)を遅くとも2017年3月までに解除するというものだ。
だが、居住制限区域は年間積算線量が20mSv超から50mSvあるとして指定された場所。これから住宅や道路の除染を進めたとしても、簡単に線量が大きく下がるとは思えない。そういう場所にも住民を帰そうとしているのが今回の措置だ。
解除対象者は約5万5千人。解除の1年後にひとり月額10万円の精神的損害賠償が打ち切られるため、不安ながらも家に帰らざるを得ない人も多いとみられる。同時に国は、自主避難者への住宅の無償提供も来年3月いっぱいで打ち切る方針を固めるなど住民を帰す方向に粛々(しゅくしゅく)とかじを切っている。
国が避難指示の解除を進める布石はすでに昨年からあった。12月に行なわれた南相馬市の特定避難勧奨地点の解除だ。同地点は避難指示区域外で積算線量が年間20mSvを超えると推定される場所を指定したものだが「(年間20mSvを)十分に下回る状況」(原子力災害現地対策本部)として指定を解除した。
では、指定を解除した地点の放射線量は実際のところどうなのか? 5月中旬、南相馬市で放射線測定をしたところ驚くような高い値が出た。
孫たちをここで遊ばせられない!
馬場地区にある元指定世帯。民家の側溝に線量計を置くと見る見るうちに数値が上昇し、毎時8・35μSv(マイクロシーベルト)を記録。これは除染基準の36倍を超える数値で、その場所に1年間いれば73mSvという大量被曝(ひばく)をしてしまう。同時に表面汚染を測ると、毎分4千カウントを示した。放射線管理区域から持ち出せる汚染限度は1400CPM(カウントパーミニツツ)だから、その3倍近い。
家の住人、渡辺オイトさん(84歳)が言う。
「この家は除染を1回、その後、お役所の人たちが『お掃除』を1回していきました。ささっと終え、そのときの線量は教えてもらえませんでした。こんなに放射線量の高い場所が残っているなんて気持ち悪くて、孫たちをここで遊ばせられない」
だが、これだけの放射能汚染があっても、指定解除の要件には関係ないというのが国のスタンスだ。なぜなら、玄関先と庭先の2ヵ所だけ測定して、地上1mの空間線量が毎時3.8μSvを下回ればいいからだ。渡辺さんのお宅もそれぞれの線量は0・19μSvと0・21μSv。国の基準では十分に合格の場所となってしまっている。
こうした国のやり方に片倉地区の区長を務める菅野秀一氏は納得がいかない。
「庭先の地上1mは除染で線量が下がっても、雨どいの下、裏山、イグネ(屋敷林)などは依然として高く、毎時10μSvの場所さえある。第一、年間20mSvの被曝は原発作業員の基準に匹敵する値。そんなに放射線を浴びてしまったら、若い人にこれから健康被害が出ないか心配です。私たちには子供や孫たちに禍根を残さないようにする責任がある」
実際、南相馬市にある通学路などの生活道路を歩きながら測定してみたが、地表約1mの空間線量が毎時1μSv近い場所もあった。それだけ放射性物質が漂う中で子供たちは毎日学校へ通っている。
怒った南相馬市の住民らが起こした行動は、国を訴えることだった。534人、132世帯が「まだ線量が高い場所があるのに解除は不当」とし、4月に国を相手取り、解除取り消しなどを求めて東京地裁へ提訴したのだ。菅野氏らの原告団は4月17日に経済産業省前で「20mSvでは命を守れない」など声を上げ、その足で東京地裁に訴状を提出した。
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(取材・文・撮影/桐島 瞬)
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