1949年7月6日未明、東京都足立区の常磐線と東武伊勢崎線が交差する高架下付近の線路で、轢死体(れきしたい)が発見された。
死んでいたのは当時の国鉄総裁、下山定則(さだのり)氏。これが後に「下山事件」という戦後最大の謎に満ちた事件となる。
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死の理由は、国鉄合理化に伴う人員整理を苦にした自殺なのか、それとも何者かによる他殺なのか。他殺だとすれば、犯人は人員整理に反対する労働組合関係者か、それともGHQ(占領軍)の秘密機関による破壊工作なのか?
捜査の過程で浮かび上がった物的証拠は明らかに「他殺」の可能性を示していた。にもかかわらず、約1ヵ月後、事件は強引な形で自殺説で収束させられ、やがて捜査も打ち切られてしまう。
同じ1949年の「夏」に起こった「三鷹事件」(注1)「松川事件」(注2)とともに「国鉄3大ミステリー」として知られるこの事件の真相を今回、小説の形で描き出したのが柴田哲孝氏の新刊『下山事件 暗殺者たちの夏』(祥伝社)だ。
(注1)1949年7月15日、下山事件の10日後に東京・三鷹駅構内で起こった無人列車暴走事件 (注2)1949年8月17日、福島県の東北本線・松川駅~金谷川駅間で起こった列車の脱線・転覆事件。容疑者は逮捕・起訴されたが、全員が無罪となった
「下山事件こそは日本の戦後史の重要な転換点だった」と著者の柴田氏は語る。敗戦後の混沌(こんとん)の中から、日本の「戦後」がどのように始まったのか? そしてそれがどのようにして「下山事件」と関わり、この国の「現在」へとつながっているのだろうか?
―柴田さんは2005年に『下山事件 最後の証言』というノンフィクション作品を発表し、その2年後には多くの新事実を追補して再構成した「完全版」を刊行されています。今回、新たに「小説」の形で下山事件を描こうと思われたのはなぜですか?
柴田 ひと言で言えば、小説だからこそ書ける「真実」があるからです。ノンフィクションというのはあくまでも「事実」の積み重ねですから、ある「事実」ともうひとつの「事実」の間が確実に「こうだ!」とわかっていても、そこに作者の推論や主観を差し挟めば、その時点でノンフィクションではなくなってしまうというジレンマがあります。そこで、膨大な数の証言、証拠の空白部分を「小説」という創作の形で埋め、全体像を再現すれば「真実」に迫れると考えたのです。
ただし、小説の形で事実と事実をつないだ部分でも、全部ちゃんと裏付けとなる証言があるんですけどね。だからこれ、決して捏造(ねつぞう)や空想で書いているんじゃないんですよ。
でも、これを小説で書くのにはかなりの労力がいりました。事実関係をもう一回洗い直す作業が必要ですから、そう簡単にはできない。それで書き上げるまでに10年もかかってしまった…。
当時の「関係者」から新事実が次々と…
―ノンフィクション版の取材と執筆に14年費やしていますから、今回の小説を入れると約四半世紀! これほどの情熱を下山事件に注がれるのは、実のおじいさま(故・柴田宏[ゆたか]氏)が事件の実行犯グループと深く関わっていた、つまり自分の血縁と戦後の大事件が直接つながっていたという部分が大きいのでしょうか?
柴田 そうですね。1991年の法事の席で突然、大叔母(祖父の妹)から「下山事件に祖父が絡んでいた」という話を聞いた時から、すべてが始まりました。僕にとって一番身近な肉親のひとりだった祖父の「秘密」に対する愛着、興味、好奇心というのが原動力だったと思います。
当時は僕も下山事件について「確か国鉄の総裁が殺された事件だよね…」程度のことしか知りませんでした。ですから大叔母の話を聞いても「えっ、この人、何を言っているの?」という感じでした。祖父が事件に関わっていたというので、国鉄の仕事でもしていたのかと思ったら、殺害の実行犯グループだって聞いてショックでしたね。
最初は松本清張さんの『日本の黒い霧』とかを読んで、この事件に、かつて祖父が働いていた「亜細亜産業」という会社が深く関わっていることを知るわけです。そこから好奇心に任せて掘り続けてみたら、どんどんと坑道が広がって、初めは石炭だけだったのに金が出てくる、ダイヤモンドが出てくる…という感じで、次々と新たな証言や新事実が出てきた。気がつけば14年が経っていました。
そうして、2005年に『下山事件 最後の証言』を発表し、自分でも「これで最後だ」と思っていたのですが、今度は本の反響とともに次々と当時の「関係者」から新事実が僕のところに寄せられるようになり、「最後の証言」ではなくなった。
亜細亜産業の元社員や陸軍中野学校(注3)、国鉄労組の関係者の方などから「これだけ知っているなら、教えてあげたいことがある」とか「あなたはこう書いているけど真実はこうだ」とか「この事実を知らないと真相には近づけないぞ」みたいな手紙や電話をいただき、その中には下山事件の実行犯もいたのです。
(注3)大日本帝国陸軍の軍学校であり情報機関。諜報や防諜、宣伝など秘密戦に関する教育や訓練を目的とした
―自分から掘っていたはずなのに、気がつけば逆に自分が未知の世界へとのみ込まれていくような感じですね。
柴田 正直、途中の1年か2年、これはもう自分の手には負えないと思って諦めかけた時期もありました。でも、どんどんと自分が事件の核心にのみ込まれていく中で、次第に自分の手で真実を明らかにし、いい加減な情報で犯人扱いされている人たちの汚名をそそぐ責任があると考えるようになった。
自分でもよく、こんなことを四半世紀もやっていたと思いますが、その意味でこの小説は自分がこれまで取り組んできたことの「終着点」だと言ってもいいと思います。
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■柴田哲孝(しばた・てつたか) 1957年生まれ、東京都出身。2006年『下山事件 最後の証言』で日本推理作家協会賞(評論その他の部門)と日本冒険小説協会大賞(実録賞)をダブル受賞。2007年に『TENGU』で大藪春彦賞を受賞する。ほかに探偵・神山健介シリーズ、『GEQ』『異聞 太平洋戦記』『中国毒』『国境の雪』など多数
(取材・文/川喜田 研 撮影/五十嵐和博)