“欠損萌え”はNGなのか? 欠損女性の琴音さんを交え、恋愛やモテまで生活面を語り合った乙武氏 “欠損萌え”はNGなのか? 欠損女性の琴音さんを交え、恋愛やモテまで生活面を語り合った乙武氏

今年10月、東京・新宿ゴールデン街に期間限定オープンした『欠損BAR ブッシュドノエル』。手や足を欠損した女性に萌えるというマニアに対し、義手や義足を付けた“欠損女性”が接客をしてくれるというコンセプト・バーだ。

開店直後、同店を扱ったネット記事は瞬く間にSNSで大量拡散されたが、その中で「“欠損萌え”とか趣味悪すぎ」「倫理的にどうだろう」といった、疑問の声も散見された。

一方、作家・乙武洋匡さんはこうした意見にツイッターで反応し、さらにブログで『“欠損萌え”はNGなのか?』と題して自身の考えを披露した。

ブログ文中では「長らく“欠損男子”として生きてきたからすれば、『モノズキもいたもんだ(笑)』と驚かざるをえない(すべて原文ママ)」と述べた上で、「“欠損萌え”に抵抗を感じることは、いたって自然だと思う。かといって、“欠損萌え”という感情を抱く人々に対して、後ろ指さして、あれこれ言うことも違う。所詮は、他人の性的嗜好。第三者がどうこう言う筋のものではない」と、“欠損男子”の立場から“欠損萌え”という性的嗜好に一定の理解を示した。

欠損萌えは不謹慎なのか、そうではないのかーー。そこで今回、乙武さんと『ブッシュドノエル』の仕掛け人で長年“欠損女性”を撮影し続けてきた映像作家・sguts(すがっつ)さん、さらに同店女性スタッフの琴音さんの鼎談を実施。批判や非難に異を唱えるべく語っていただいた、その後編!(前編記事→「欠損女性にトキめく“欠損萌え”は不謹慎なのか」

■欠損萌えって、どんなところに萌えるの?

乙武 恋愛に対してはどうですか? 手がある時と比べて、前向きになれなくなったとか、あるいは変わらないとか…むしろ前向きになったとかだったら、どれが一番近いですか?

琴音 恋愛に関しては、右手を失くす前よりも前向きになりました。それまでは好きでも自分から気持ちを言えずに諦めてしまうことが多かったんですよ。でも、なんでも試してみなければわからないと思って、できることは積極的にやるようになりました。今では好きになったら自分から行くタイプです。

乙武 へええー!! 面白い! つまり、琴音さんの場合、生活面ではまず、できないことが増えた。でも、やろうと思ってトライしてみたら、できるじゃん!という経験を得た。恋愛でも、今までは好きな人ができてもどうせ無理だろうと思っていたけど、生活面でもいろいろ頑張ればできることが増えたように、恋愛でも積極的になれるようになった、というわけですね。失ったものは大きかったけれど、精神的には得たものは多かったんでしょうか。

琴音 そうですね。普通の人が経験しないことを経験した影響は大きくて、同年代の人よりは精神的にも成長できたんではないかと思います。

乙武 このコは、欠損萌えとか関係なくモテますね~! ねぇ、sgutsさん。

sguts モテますねぇ。本当にしっかりしたところがあるコなので。でも意外にガード固いんですよね。

乙武 ほおお~!

“欠損萌え”の性的魅力とは?

 『ブッシュドノエル』の仕掛け人で長年“欠損女性”を撮影し続けてきた映像作家・sgutsさん(右) 『ブッシュドノエル』の仕掛け人で長年“欠損女性”を撮影し続けてきた映像作家・sgutsさん(右)

琴音 それ、すごくよく言われるんですよ。「チャラそうなのに意外に固いんだね、守るんだね」みたいに。たぶん、私に欠損という負い目があるから「この女、すぐヤレそうだな」と勘違いした人が近寄ってくるんだと思うんです。

乙武 そういう時はカチンとこないですか?

琴音 「ヤレなくて残念だったね!」と思いますね(笑)。

乙武 なるほどね。琴音さんは天然っぽくて流されやすい性格なのかと思いきや、実はすごく芯がある、僕はそういう“ギャップ萌え”なんですよ…って、ゴホン。sgutsさん、そもそも“欠損萌え”というのは、どういうところに性的魅力を感じるのでしょうか?

sguts ピンポイントに切断面そのものに性的興奮を覚える人もいれば、僕のように欠損している女性ならではの仕草や、背景にあるストーリーにキュンとくる人もいます。探偵小説の巨匠・江戸川乱歩の小説『芋虫』にも四肢欠損の人物が登場します。初めて読んだ時は“昔にも僕と同じ性的嗜好を持った人がいたんだ”と胸が熱くなりましたね。

乙武 すごい世界ですね。でも、お互いに幸せですよね、撮ってもらえた琴音さんも幸せだし。こういうコを撮りたいと思っていて、リアルに出会えたsgutsさんも幸せだし。

sguts 今回はたまたま撮りたい僕がいて、撮られたい彼女たちがいて、それを見たいと言ってくれる人がいて…その三者の利害が一致した好例です。こういう写真を撮っていると、“もっと障害者が前に出る世の中にしてください”と言われることがあります。でも、僕のスタンスとしては“障害者に社会進出を”とか、大仰なお題目を言うつもりはありません。

というのは、同じ欠損の立場でも表に出たくない人もいますし、その出たくないという自由も尊重すべきだと思うからです。今回のお店に意味があるとしたら、今までは表に出る自由がなかった彼女たちに表現する選択肢を与えられたこと、背中を押せたことですね。

乙武 すごくよくわかります。押し付けるつもりはなくて、そうかと言って、後ろ指さされることでもない、そこですよね!

sguts 実は、僕は乙武さんと高校の学区が同じだったんですよ。新宿駅で『五体不満足』で有名になる前にお見かけしたことがあったんです。

乙武 ええ!! それこそ、新宿駅で「車椅子に乗っている変な奴がいる」とか話題になっていたんじゃないですか?(笑)

健常者側からの揶揄(やゆ)や中傷

 『欠損BAR ブッシュドノエル』での琴音さん(写真提供/sguts氏) 『欠損BAR ブッシュドノエル』での琴音さん(写真提供/sguts氏)

琴音 実は私も乙武さんみたいにギャグを言うことがあって「あ、手が取れちゃう~」とか、「ハロウィンの仮装でフック型義手付けようかな」とか言うんですが、みんなが笑ってくれない(笑)。もちろん、障害のことに触れたくない人もいますが、私みたいに自分からネタにしている時はむしろ、いじり倒してくれるほうが楽なのに。

でも「今の笑っていいの?」とか「マジでシャレにならないから…」とか、相手が戸惑ってしまう気持ちもわからなくもないんです。

乙武 同感です。

琴音 私は足や手、どこか一部のないことがタブーとされてきたことについては必然だとも思います。人間は大多数が五体満足で生まれ生活していくし、その五体満足という概念自体が当たり前だとされてきたから。なので、触れたくない方、触れられたくない方がいるのも自由だと思います。ですが、その中でもふたつだけわかってほしいなと思うことがあります。

それは、嫌悪されることと過度に気を遣われることが切ない気持ちになるということです。私は手を失っている以外、一般的に健常者と呼ばれている方々となんら変わりないんです。なので「あのコは手がないから(かわいそう)」とか行き過ぎた気を遣われると苦笑してしまいます。

乙武 今の言葉、すべて賛成です。一般的に僕たちのような手や足がない人は少数派なので、違和感を覚える人がいるのは当然ですよね。だからと言って過剰に反応されるのは面倒臭い。僕も正直、メディアに出るのは疲れるし、しんどい思いもします。それでもメディアに出るのは、僕みたいな人が出ることで障害者にだんだん慣れてくれたら…という願いがあるからです。

やっぱり、こういう体でメディアに出ていれば、健常者側からの揶揄(やゆ)や中傷も多いですし、逆に障害者の側からは「障害者の代表を気取るな」なんて言われるわけです。

自分では全くそんなつもりはないのに…。そういうの面倒臭いなぁとは思うけど、それを面倒臭がってやめてしまったら、結局、健常者に「慣れてもらう」機会が失われてしまう。

琴音 本当に、だんだん慣れてほしいですよね! 私もカウンターに立ったのは、少しでも慣れてほしい、私たちのことを知ってほしいという思いからです。実は今日、お店で着けていたもうひとつの能動義手も持ってきているんですが、そっちの手で握手をしてもらっていいですか?

乙武 もちろん! やりましょうやりましょう!(握手)

sguts 最近でも『欠損BAR ブッシュドノエル』の再オープンを望む声も少なくないんですが、皆さんの期待に応えられるかどうかはモデルさん次第なんですよ(笑)。

琴音 もちろん、私も再開を待ってくれている皆さんの期待に応えたいと思っていますよ~。

乙武 その暁(あかつき)には是非行ってみたいですね!

琴音 お待ちしています!

(取材/文 山口幸映)

『欠損BAR ブッシュドノエル』とは… 新宿ゴールデン街にあるギャラリーバー「からーず。」を貸し切り、2015年10月23・30日の2日間限定で営業したコンセプト・バー。長年にわたり“欠損女性”を撮影し続けてきた映像作家のsguts氏と雑誌『BLACKザ・タブー』(ミリオン出版)元編集の岡本タブー郎氏の共同企画で実現した

■『欠損BAR ブッシュドノエル』公式ツィッター https://twitter.com/bucheden0el