イスラム国を封じ込めるには? 内田氏(右)と中田氏(左)が語り尽くした イスラム国を封じ込めるには? 内田氏(右)と中田氏(左)が語り尽くした

昨年11月にフランスのパリで起きた「同時多発テロ」以来、世界は激しく揺れ動いている。

イスラム国(IS)との戦いを宣言したフランスやイギリスがシリア領内への爆撃に踏み切る一方で憎しみの連鎖は続き、今まで以上にテロの恐怖が世界各国で高まっているのだ。

こうした中、数百万人に及ぶ難民が中東からヨーロッパへと押し寄せ、欧米ではイスラム教徒への差別が広がり、移民排斥を訴える極右勢力が勢いを増している。

中東で、そして世界で起きていることをどう捉え、日本はテロとの戦いでこの先、どんな選択をすべきか? 日本で唯一のイスラーム法学者である中田考(こう)氏と、フランス現代思想が専門で中田氏との共著『一神教と国家』(集英社新書)もある思想家の内田樹(たつる)氏が前回記事(テロに揺れる世界を語る「一方が悪で一方が正義というような単純な話ではない」)に続き、語り尽くした後編。

■イスラム国を封じ込める方法

―そのイスラム国ですが、イスラム教徒からも「あれはイスラムなんかじゃない」という批判があります。また、指導者のアブ・バクル・アル・バグダディはカリフ制再興を宣言し、自らカリフを名乗っていますが、これはイスラム神学の立場から見て問題ではないのでしょうか?

中田 まず、「イスラム国はイスラムでない」という話ですが、神学的にいうとイスラム教では預言者ムハンマドだけが絶対に過ちを犯さない存在です。逆に言うと、それ以外の人は間違いを犯すわけですから、私のようなイスラム教徒も含めて、当然、イスラム国に対しても「それはイスラムじゃない」と言える。ただし、それが本当に間違っているかどうかを言えるのは、アッラーとムハンマドだけなのです。

内田 なるほど。

中田 それから、バグダディがカリフを名乗っているのはどうなのかという話ですが、スンナ派的にはそもそもカリフがいない状態が異常なのであって、誰もいないなら誰かがやらなきゃいけない。もし彼が違うなら、代わりに誰か他の人をカリフに立ててくださいという話なのです。

それに、バグダディが自らカリフを名乗ったのではなく、周りの人間が彼をカリフに選んだのです。もちろん、「周りの人間」の範囲が狭すぎるだろうという批判はありますが、イスラム法では特にその範囲を定めてはいません。

内田 ちなみに、複数のカリフが同時に名乗り出た場合はどうなるのですか?

中田 その場合は最初に立った人間に権利があります。当然、みんなバグダディが間違っていると思っているし、私自身も疑問に感じていますが、じゃあ、誰が彼の代わりにカリフとして立つのか?

内田 現実として、そういう人はいないのですか?

中田 先ほども述べたように「ウンマ」(カリフを中心としたイスラム共同体)の分断が目的である今の国民国家の枠組みの中で、あえてカリフを名乗ることは、すなわちその国の「反逆者」を名乗ることを意味しますから間違いなく消されてしまう。

空爆しても一般市民が犠牲になり憎悪を煽る

内田 そうすると、イスラム国の問題はこれからどうなってゆくのでしょうか?

中田 西欧社会の側からすると、イスラム国を徹底的に「殲滅(せんめつ)する」か、「封じ込める」というふたつの選択肢がある。ですが、そもそもイスラム国というものが存在しない、あるいは我々の考える国民国家とは全く別の形で存在していて、現実にはイスラム国が地図上のテリトリーとして存在しているわけではないことを考えると、現実的に「殲滅」など可能なのかという疑問があります。

イスラム国の本拠地といわれるラッカやモスルを爆撃したところで、そこに住む一般市民が巻き添えで犠牲になるばかりで、逆に憎悪を煽(あお)り、結果的に泥沼化します。

内田 爆撃しても、彼らは地下に潜るだけですから実効性はないわけですよね。

中田 何より、爆撃によって毎日、テロの被害者をはるかに上回る数の一般市民が命を落としているわけですから、西欧のモラルの腐食が生じます。どんなに報道管制を敷いても、その事実は隠しようがありません。それによって、自由を守るための「テロとの戦い」というヨーロッパ文明の普遍主義が抱える欺瞞(ぎまん)がいっそう露(あらわ)になるわけです。

内田 もうひとつの選択肢である「イスラム国を封じ込める」というのは現実的に可能なのでしょうか?

中田 私は欧米に対する脅威を短期的になくすことは簡単だと言っています。そもそも、彼らが先に手を出したからこうなっているのであって、手出しをやめればいい。それだけのことです。ただし、イスラム世界のほうはそれだけじゃ済まない。

私はイスラム国を封じ込めるためには、彼らよりももっと融和的なスンナ派のカリフを立ててしまうしかないと考えます。それによって緩やかなイスラム共同体を再興し、その力をもってシーア派も抑え込むという方法しかないと思っているんですけどね。

戦争に前のめりな政治家たちに絶望的な気分

内田 でも、そのためにはカリフ制の再興を阻(はば)んでいる国々をなんとかしないといけないですよね。

中田 そうした国々を欧米が力ずくで壊すことはできませんが、積極的に壊さなくても、アフガニスタンやイラクのような破綻国家はもちろん、サウジアラビアのような変な独裁国家も欧米諸国が今のように援助しなければ、放っておくだけで潰れていきます。

いずれにせよ、イスラム国を今のように悪魔視するのではなく、自分たちと価値観の異なる「敵」として認めなければ、彼らと停戦協定すら結べないわけですからね。アメリカと違って、日本は距離的にも離れているわけですし、テロの標的となる可能性もはるかに低いわけですから、こうした状況を冷静に客観視しやすいはず。「テロの脅威」をやみくもに恐れる必要などないのだと思います。

内田 僕も同感です。「一刻も早く、テロに対する備えが必要だ」という言い方には強い違和感を覚えます。そもそも官邸や外務省には現在のイスラム世界の実情を把握し、政策を提言できるような人材がいるのか?

中田 皆無ですね。正直に言って研究者レベルでもまずいないと思います。

内田 きちんとした情報の蓄積もない、分析能力のあるスタッフもいない、ビジョンを語れる政治家もいない。なぜこのような事態が起きたのかを時間をかけて専門的知見を結集して分析すべき時に、ただ市民の不安を煽(あお)り、「テロとの戦い」という大義名分を得て、戦争に前のめりになっている政治家たちを見ると絶望的な気分になります。

中田 幸い欧米と違って、日本にはまだ考える時間の余裕がある。また、「あえて何もしない」「どちらの側にもつかない」ことで、この問題が単なる二元論ではないということを示すという手もある。いずれにせよテロの脅威に怯えるのではなく、まずは落ち着いてこの問題と対峙(じ)することが大切だと思いますね。

■『週刊プレイボーイ』1・2合併号「希代の思想家とイスラーム法学者がテロに揺れる緊迫の世界情勢を徹底トーク!!」より

●内田 樹(UCHIDA TATSURU) 1950年生まれ、東京都出身。東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学大学院博士課程中退。京都精華大学客員教授。専門はフランス現代思想、武道論、教 育論、映画論など。近著に『日本戦後史論』(白井聡氏との共著、徳間書店)、2016年1月15日に武術家の光岡英稔氏との対談本『生存教室 ディストピ アを生き抜くために』(集英社新書)が発売予定

●中田 考(NAKATA KO) 1960年生まれ、岡山県出身。東京大学文学部卒業後、カイロ大学大学院文学部哲学科博士課程修了。同志社大学神学部元教授。専門はイスラーム法学・神 学。著書に『一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教』(内田樹氏との共著)、『イスラーム生と死と聖戦』(ともに集英社新書)、『クルアーンを 読むカリフとキリスト』(橋爪大三郎氏との共著、太田出版)

(構成/川喜田 研 撮影/岡倉禎志)