「復興しているようには、とてもじゃないけど見えない」と語る小笠原満男だが、見据える先は… 「復興しているようには、とてもじゃないけど見えない」と語る小笠原満男だが、見据える先は…

人前に出るのは苦手で、話をするのも好きじゃない。そんなひとりのサッカー選手が、今も復興支援活動の先頭に立ち続けている。

震災後、東北出身のJリーガー有志と共に任意団体「東北人魂」を結成した小笠原満男が、その5年間の歩みをふり返った。

■サッカー選手だからできる支援もある

インタビューの席に着くなり、小笠原満男はため息交じりにこう漏らした。

「正直、復興しているようには、とてもじゃないけど見えないですね。5年たってこれかぁ、っていう思いが強い。でも、逆に言えばそれほどの大きな被害だったってことなんですよね」

小笠原は高校進学とともに親元を離れ、岩手県沿岸部の大船渡市でサッカーに明け暮れる毎日を送った。

震災直後、車に物資を積んで向かったその思い出の土地は見るも無残に変わり果て、小笠原は言葉を失ったという。それからは被災地と自宅のある鹿嶋市を何度も往復し、物資を届けて回ったり、避難所を訪れては被災者を励ましたりと精力的に行動した。

しかし、日を追うごとにひとりで何かを行なうには限界があると感じ始めていた。そんな時、同じ東北出身のJリーガーである今野泰幸(ガンバ大阪)や熊林親吾(現・ブラウブリッツ秋田U-18監督)らから声をかけられ、“サッカー選手だからこそできる支援”を東北出身の選手たちでできないだろうか、という話になった。

サッカー選手の自分たちだからできることとは、サッカーを通して子供たちの笑顔を取り戻すことだ。

早速、手分けして、東北出身の現役Jリーガーに片っ端から連絡を取り、任意団体「東北人魂を持つJ選手の会(通称「東北人魂」)」を立ち上げる。会の発足当初は、子供たちにボールやスパイクを贈る活動をメインに行なった。

「せめてボールを蹴っている間だけでもつらいことを忘れられるんじゃないかなと思って、いろんなところから選手おのおのが集めて、被災地に送っていました」

 今年のオフも東北各地で子供たちと一緒にボールを蹴ってきた 今年のオフも東北各地で子供たちと一緒にボールを蹴ってきた

サッカーを諦めたくないけど、やる場所がない

 小笠原の他、柴崎岳(鹿島)、今野泰幸(ガンバ大阪)ら東北6県出身の現役Jリーガー有志によって発足した「東北人魂」。写真は2012年、ソニー仙台(JFL)の選手たちと 小笠原の他、柴崎岳(鹿島)、今野泰幸(ガンバ大阪)ら東北6県出身の現役Jリーガー有志によって発足した「東北人魂」。写真は2012年、ソニー仙台(JFL)の選手たちと

しかし、少しずつ復興へ向かおうとしている街には、スポーツ用品店を営んでいる人もいる。次第に物資を送ることはそんな人たちの再起の妨げになってしまうのではないかと考えるようになった。

「被災地に行った際にふと耳にしたことがあったんです。いろいろ支援で送ってくれることはとても嬉しいのだけど、同じ物を商売として取り扱っている人は、売れなくて困っているって。それを聞いた時、ハッとさせられました。自分たちがよかれと思ってやっていることが、逆に迷惑になっていることもあるんだなと」

東北人魂のメンバーたちとあらためて自分たちにできることを話し合った。

「手探りでしたね。何が必要とされるのか。何が喜んでもらえるのか。たくさん話し合った結果、やっぱり現役選手らしく、直接サッカーで子供たちと触れ合うことが一番いいんじゃないか、ってことになったんです」

それからは「自分たちの本業を疎(おろそ)かにせず、無理をしない」をモットーに、オフを利用しては被災地に皆で足を運び、子供たちとサッカーを通して触れ合う活動をメインに続けてきた。この春で6年目を迎える。

「最初の頃は子供たちにかける声ひとつにしても、いろいろ考えさせられましたね。例えば、『サッカー頑張れよ。諦めるなよ』って言うと、『諦めたくないけど、サッカーやる場所がないんです』って返されたり。小さな体で大きな辛いものを抱えているのかと思うと、胸が苦しくなりましたね」

そうした現地の生の声を聞くことは、「悲しい思いを共有するだけでなく、活動のあり方を考える上でも役に立った」と小笠原は話す。

「被災地で触れ合い活動をする時は、必ずメンバー皆で被災した現場も視察することにしているんです。現地の方に説明していただくことで、あそこにグラウンドがあったとか、近くにイベントに使えそうな体育館があるとか知ることができますよね。そうすることで、じゃあ今度はこの地域出身の選手がいたはずだから、彼をメインでこういうことをやろうかとか。その場でどんどん案を出し合えるんです」

 内田篤人(中央)、吉田麻也(右)ら日本代表の欧州組が駆けつけたことも 内田篤人(中央)、吉田麻也(右)ら日本代表の欧州組が駆けつけたことも

 サッカー教室などの合間には必ず被害を受けた地域に足を運ぶ サッカー教室などの合間には必ず被害を受けた地域に足を運ぶ

『実はあの時、一緒にボール蹴ってもらった』…そんな選手が出てきてほしい

 母校のある大船渡市には、2013年に多目的グラウンドも整備した 母校のある大船渡市には、2013年に多目的グラウンドも整備した

そして、声を聞くことによって実現したこともある。

「『走り回れる場所がない』という子供たちの声が多かったので、グラウンドを造るプロジェクトを立ち上げました。まずは自分の母校(大船渡高校)のある大船渡市に話を聞いていただいて、市長はじめ市民の方々や自治体の方々、そして全国からの寄付金のおかげで、2013年の春に多目的なグラウンドを整備することができたんです。

でも、冬場など天候によっては泥だらけになって使えないこともあるので、次はそこを人工芝に替えられたら、いつでも皆が使えるようになっていいなぁ、と次のステップに進んでいる最中です」

震災から5年が経ち、被害の記憶は風化しつつある。支援も少なくなっている。しかし、小笠原はこう語る。

「いつまでも助けて、助けてっていうわけにはいかないですからね。去年の鬼怒川(きぬがわ)の洪水被害とか、今年に入っても台湾の大地震とか、あちこちで悲しいことが起きている。そうした中で(支援の)全部を東北にって言うつもりもない。ただ、そうした難しさはあるけど、ああいう大きな災害から学ぶ姿勢はやっぱり大事ですし、同じ被害が起きないように伝えていかなければいけないと思います」

 “サムライブルーの料理人”こと旧知の西芳照氏(左)も支援するひとり “サムライブルーの料理人”こと旧知の西芳照氏(左)も支援するひとり

そう言うと最後に、今後の東北人魂の活動に対する思いをこう話した。

「今後もできる人でやっていきたいなとは思っています。被災した所へ行って子供と触れ合い、一緒にサッカーするっていうのが、立ち上げの時からの一番の大きな目標で、そこは続けていきたいですね。それで近い将来、若い選手から、『実はあの時、一緒にボール蹴ってもらったんです』って話が聞けたりしたら嬉しいし、そんな選手が出てきてほしいです。そして、今度は同じJリーガーとして東北人魂の活動ができたら幸せですね」

 その活動は「東北人魂」という枠を超え、多くの仲間に支えられてきた その活動は「東北人魂」という枠を超え、多くの仲間に支えられてきた

■週刊プレイボーイ12号(3月7日発売)「『3・11』から5年 未来のために今、知りたいこと」より(本誌ではさらに「その後の被災地の怪談」から福島の街コンで女性たちが明かした震災後の恋愛と結婚観まで、震災後5年を総力特集!)

●「東北人魂(東北人魂を持つJ選手の会)」公式ホームページも参照ください http://tohokujin-spirit.com

(取材・文・撮影/佐野美樹)