人は現実を正確に理解できない。しかし、ドキュメンタリーにすることによって冷静に現実を「観察」することができると語る想田監督 人は現実を正確に理解できない。しかし、ドキュメンタリーにすることによって冷静に現実を「観察」することができると語る想田監督

ドキュメンタリーとは、一般的に「ありのままの現実を記録した映像作品」を指す。しかし、TVで放送される多くのドキュメンタリー作品は事前のリサーチに基づき、企画に沿うように演出が施されている。

そんなドキュメンタリーに疑問を感じ、「観察映画」という方法論を編みだしたのが映画監督の想田そうだ和弘氏だ。

彼は事前にプランを一切立てず、ひとりでカメラを持って出かけ、そこで出会ったものを虚心に「観察」していく。できあがった映画はナレーションやBGMも一切なし、ほとんどが2時間を超える長編作品として公開されている。

独立系映画を取り巻く環境がますます厳しくなり、動画配信サイトにも観客を奪われる中、彼はコンスタントに映画を作り、世界各地の映画祭で受賞を重ねている。なぜ映画にこだわるのか? なぜ「観察」するのか? その理由を本人に直撃した。

なお、写真の近影は、彼の映画を配給する会社のオフィスに立ち入って、そこで起こったことを「観察」しながら撮影させてもらったものである。

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―2002年から13年までの約10年間でドキュメンタリー映画の公開本数は2.6倍に急増し、ここ数年でも増え続けています。なぜでしょうか?

想田 一番はっきりした理由は技術革新です。昔は高価なフィルムを使って映画を撮ることはプロの特権でした。しかし、95年にソニーがVX1000というカメラを発売して以来、デジタル革命が起こり、低予算で撮れるようになった。ドキュメンタリーであれば、僕のようにひとりでカメラを回し、パソコンで編集して公開することも可能になりました。今なら、iPhoneがあればドキュメンタリーが撮れるでしょう。いわば、映画が「民主化」されたんです。

これは喜ばしいことですが、半面、映画というものに人々が感じていた権威や畏怖(いふ)が薄れてしまった。この時代にわざわざお金を払って映画館に行くことは反時代的ともいえるでしょうね。デジタル革命はそんなジレンマももたらしました。

―想田さんは、自作を映画館で公開することにこだわっていますね。

想田 ええ。僕自身、なぜ映画館にこだわるのか…もっと言うと、“何が映画なのか”ということを考えると、夜も眠れなくなるんですけどね(笑)。

僕は全くのノープランで映画を撮り始めるんですが、カメラを回したり素材を編集している過程で、必ず「これで映画になった」と思える瞬間がある。その判断基準になるのは「これは映画館で上映し得る映像になっているのか」ということなんです。

では、映画館で映画をかけるということを観客側から考えてみましょう。普通は雑誌やインターネットで作品のことを知り、映画館に出かけますよね。そして他人と一緒に映画を見て、さらに友達と感想を言い合ったり、ツイートする…。僕はこの体験の“総体”が映画だと思ってるんです。

必ず「これで映画になった」と思える瞬間がある

―なるほど。その体験の中でも、とりわけ“他人と一緒に見る”ということが映画にしかない特徴ではないかと思います。

想田 そうですね。僕はいろんな国で自分の映画をかけてもらってるんですが、映画って、どんな観客と見るかによって驚くほど違って見えるんですよ。『選挙2』という映画には、原発と政治の問題が記録されていますが、これを日本の観客と見ると「うわ、すごいタブーに触れてるな」っていう気がしてくる。

海外で見た時や、ひとりで編集していた時には抱かなかった感覚です。周りの観客の関心って、口に出さなくてもなぜか伝染するんですね。まあ、日本の観客は世界一静かなので、僕はもうちょっと素直に笑ったりしてほしいんですけど(笑)。

とにかく、人が集まって何かを見るという芸術様式は太古の昔からあるものです。それが演劇であったり、コンサートであったり、映画だったりするんだけど、おそらくそれは人間が生きていく上で必要なものなんですよ。あの映画館の重い扉をギーッと開けて、暗い部屋に集まって映画を見るという行為は、今となっては儀式めいているかもしれないが、もしかすると後世には人類学的に位置づけられるものかもしれません。

―そもそも、どのようにして「観察映画」の手法に行き着いたんですか?

想田 僕はニューヨークにいた頃、日本向けのドキュメンタリー番組をたくさん作っていたんですが、次第にそのやり方に疑問を感じるようになったんですね。事前にリサーチして台本を書いた上で撮影する手法が、あまりに予定調和的で。

実際、台本にない展開が起きた時のほうが断然面白いんですよ。例えば、デリの労働争議を取材した際も、最初は撮影プランに基づいて運動家なんかを撮ってたわけですが、急に店からオーナーのおばちゃんが出てきて(笑)。エイリアンみたいな形相で「あんたら、何撮ってんだ!」「だったら、中も見ていけ!」って案内されちゃったんです。そういう予想していなかった場面でこそ、「ドキュメンタリーってすげぇな」って感じられる瞬間が撮れるんです。

定型の映像は驚きがないし、つまらない。そこから抜け出すために、こういうことをやり始めたわけです。

―今回出された本、『観察する男』の中で、想田さんはドキュメンタリーに「いたずら心」を感じるともおっしゃってますね。

想田 僕ね、子供の頃から、葬式とかまじめなシーンになると笑っちゃう人間なんですよ(笑)。お経をあげてる坊さんや周りの人間が真剣であればあるほど、一歩引いた目で見るとおかしく見えるんです。たぶん、その感覚とドキュメンタリーって同じ原理なんだと思う。当人たちにとって大変な状況でも、それを映像に収めて見ると、冷静になって知性が働き、面白く見えてくるんです。

そして、普段は見過ごすような身の回りのことにも気づく。例えば、今回の映画『牡蠣工場(かきこうば)』には僕と妻の会話も収められていますが、僕は映画にして初めて「うちのカミさんは僕の話を全然聞いてないんだな」っていうことに気づけた(笑)。

人は自分たちが生きている現実を正確に理解することはできないんですが、ドキュメンタリーにすることによって冷静に「観察」し、理解できるようになるんだと思います。

(取材・文/西中賢治 撮影/三野 新)

●想田和弘(SODA KAZUHIRO) 1970年生まれ、栃木県出身。東京大学文学部を卒業後、渡米して映画製作を学ぶ。2007年『選挙』を公開、ベルリン国際映画祭などに正式招待される。最新作『牡蠣工場』が東京・イメージフォーラムなどで公開中。猫好きで、作品の中にもたびたび猫を登場させている

■『観察する男映画を一本撮るときに、監督が考えること』(ミシマ社 1800円+税) 本書は、岡山県の港町・牛窓(うしまど)の牡蠣むき工場を舞台にした映画『牡蠣工場』の製作過程を追った本だが、編集者が取材を始めた頃はまだ映画の企画さえなかったという。事前のプランもなく、映画製作の現場をまさに「観察」して生まれたユニークな一冊だ