「海によって町は大きな被害を受けたけれど、それを乗り越えるためには海の恵みが必要だった」と語るフォトジャーナリストの安田菜津紀さん

東日本大震災から5年が経ち、現在、たくさんの関連書籍が出版されている。その多くは単行本や写真集だ。

しかし、フォトジャーナリストの安田菜津紀さんが今年2月に発表したのは写真と文字で読み聞かせできる“写真絵本”だった。

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―なぜ写真絵本を出そうと?

安田 震災から5年、当時3歳だった子供は今、8歳になりました。すると、その子はリアルタイムで震災のことを覚えていないんです。「TVで津波の映像が流れても、小学生低学年くらいの子供は、それがなんなのかわからない」というお話をよく聞きました。それで「震災を知らない世代にこの経験をどうやったらうまく伝えられるのだろう」と思い、写真絵本という形をとりました。

小さい子供にとって絵本の読み聞かせの時間は、親子のコミュニケーションの時間であると同時に親から知恵や知識を受け継ぐ時間でもあると思うんです。「昔、こんな大きな災害があったんだよ。じゃあ人間が自然と共に暮らしていくにはどうしたらいいんだろうね」と一緒に考えることで、震災の記憶を伝え続けてほしいんです。

―この写真絵本は、漁師のおじいちゃんと孫が震災の悲しみをどう乗り越えていくかというドキュメンタリー作品でもあります。安田さんは震災後、どのくらいの時期から現地に?

安田 震災の時、私は仕事でフィリピンの山奥にいました。その時は情報が錯綜(さくそう)していて、東北がどういう状態かわかりませんでしたが、そのうちにだんだんと現地の様子がわかってきて、義理の両親が住んでいる陸前高田市は「壊滅的状況」だと新聞などで報道されました。

その後、日本に帰り、陸前高田に入ったのは震災から10日ほど経った頃です。母が行方不明だったので、まず母を捜して避難所を巡り、救援物資を運んだりしていました。私はフォトジャーナリストですが、この時には「写真を撮ろう」「この現状を伝えよう」という気持ちにはなれませんでした。

シャッターを切っても瓦礫(がれき)はどけられないし、避難所の人たちのおなかがいっぱいになるわけでもない。それに「写真を撮って相手を傷つけたくない」という思いと、それ以上に「自分が傷つきたくない」という気持ちがありました。被災者から「こんな時に何撮ってるんだ!」と言われることが怖かったんでしょうね。

海は子供たちと同じように宝物のひとつ

―いつ頃からシャッターが切れるように?

安田 4月、陸前高田で子供たちの入学式が始まった頃です。町の写真館がなくなってしまったので、記念写真を撮ることができない。それで入学式の様子を撮りに行くことになりました。

その時、訪れた気仙(けせん)小学校の新入生はふたりだけ。保護者の方の「ふたりの命はこの町にとって宝物だから、校舎はなくなっちゃったけど、みんなの宝物を6年間かけて磨いていこうね」という言葉を聞きながら夢中でシャッターを切っていました。

―漁師のおじいちゃんとの出会いは?

安田 入学式が終わると、「今度、お祭りがあるから撮りに来て」と言われたり、仮設住宅に呼ばれたり、被災者の方とのつながりが徐々にできてきました。その中で「地域を支えている漁師さんがいるから会いに行ってみたら?」と紹介されたのが、この本の主役のひとりである菅野修一さんだったんです。

津波によって町が壊滅状態になったのに、それでも海へ行って漁をしている菅野さん。「なんでまた海に行くんだろう」というシンプルな疑問が私にはありました。それで月に1回程度、船に乗せてもらうようになり、わかったことは、例えばウニをたくさん採ったら、菅野さんはご近所におすそ分けをするんです。そして、ご近所の家の夕食がみんなウニ丼になったりする。

陸前高田は海の幸が豊富です。海の再生が町の再生のカギでもあります。海によって町は大きな被害と悲しみを受けたけれども、それを乗り越えるためには、やはり海の恵みが必要だということなんです。

海は陸前高田にとって、子供たちと同じように宝物のひとつでもあります。その海とのつながりを通して、陸前高田の復興を伝えていきたかったんです。

―もし、「写真集なら出せるけど、写真絵本は出せない」と言われたら?

安田 そこは妥協しなかったと思います。私に“写真の力”“写真の素晴らしさ”を教えてくれるのは、いつも子供たちでした。

子供たちから写真の力を教わることが多い

昨年、ある小学校から「全学年の児童にシリア難民の話をしてください」という依頼がありました。1年生にわかるようにやさしい言葉で話すと6年生は飽きてしまう。6年生向けの言葉を使うと1年生にはわかりにくい。どうしようかと迷いながら、私はシリアの内戦前の美しい風景写真を一枚見せたんです。すると1年生から6年生まで「わー、超きれい!」と感動してくれました。

その後に内戦でこの自然が壊されてしまったという話をすると、一番前に座っていた1年生の女の子が「どうしてこんなきれいな所を壊しちゃったの?」と聞いてきたんです。それは私の伝えたかったことのひとつでもありました。

自分の伝えたいことを突き詰めていくと「戦争は罪もない人を苦しませる」「美しいものが壊されていく」とか、とてもシンプルです。そして言葉だけではうまく伝えられないことでも、一枚の写真を見せればすぐにわかってもらえることもある。

陸前高田やシリアなどに取材に行っていても、「写真ってなんにもできないんだな」って思う時がすごくたくさんあります。目の前で子供が死にそうになっていても、私たちがシャッターを切ることで、その子が助かるわけではありません。「この仕事はなんなんだろうな」って思う場面はすごく多いんです。

そんな時に、子供に写真を見せるとすごく素直にシンプルに意味を受け止めてくれる。悩んだ時に子供たちからあらためて写真の力を教わることが多いんです。だから、今回は子供たち向けの写真絵本がどうしても出したかった。

もちろん、大人が読んでも満足できる本であることも意識して作りました。菅野さんは、ただ明るく前に向かっていった人ではありません。漁師仲間の多くは波にのまれ、自分だけ残ってしまったという後ろめたさも持っている。すべてを振り切ったということではないけれども、それでも海へ行くことで、孫たちのために少しでも時間を前に進めたいと思っている。

そんな震災5年目の陸前高田に生きている人たちの現状を知ってもらえれば幸いです。

(取材・文/村上隆保)

●安田菜津紀(YASUDA NATSUKI)1987年生まれ。フォトジャーナリスト。カンボジア、フィリピン、シリア、ウガンダなどで難民や貧困問題を中心に取材。震災以降は陸前高田市などの被災地を記録し続けている。2012年、『HIVと共に生まれる ?ウガンダのエイズ孤児たち?』で第8回名取洋之助写真賞受賞

■『それでも、海へ陸前高田に生きる』(ポプラ社 1500円+税)2011年3月11 日の東日本大震災によって壊滅的な打撃を受けた岩手県陸前高田市。この町で被災し、海に出るのをやめた漁師が、孫の言葉をきっかけにもう一度、漁を再開する物語