『週刊プレイボーイ』本誌で「天空のブランコ 田村淳の脳内両極論」を連載中のロンドンブーツ1号2号・田村淳氏

容疑者は捕まったが、まだまだ謎めいた部分が多い朝霞女子中学生監禁事件。

犯した罪がとんでもないものなのは当然として、議論を呼んでいるのが、寺内樺風(かぶ)容疑者が卒業した千葉大学が、逮捕後に彼の卒業認定と学位授与を取り消したことだ。

『週刊プレイボーイ』本誌「天空のブランコ 田村淳の脳内両極論」を連載中のロンドンブーツ1号2号田村淳氏はこの件について、「彼が在学中に罪を犯したから退学させるんだっていうのなら理解できるけど、卒業しちゃった後に卒業と学位をナシにするっていうのはどうなんだろう…」と複雑な感想を抱いたという。

そこで時事問題について、あえて「アリ」「ナシ」の両極端な立場で思考実験をする同連載において、淳氏が考えた“ナシ”の立場からの極論を紹介しよう。

***こんな当たり前なことをいちいち説明すること自体が間違っていると思うんだけど、大学って高校までの教育を終えた人間が専門知識を得るため、あるいは真理の探究を求めて入学し、勉学に励む場じゃないですか。

それで大学は学生が求める知識や技術を与える、教え込む。そこでは中学や高校のように人間形成を教える必要はない。なぜなら、大学生の大半は社会的にも成人と見なされている年齢なんだし。

そういう意味でいうと、いくら在学中に犯罪を起こしたからといって、大学側が責任を感じる必要はありません。

百歩譲って、大学で教わった内容が犯罪と関係があったとしても、その知識をどう活用するかは本人次第。これから捜査の経緯を見守らなければいけないけれども、仮にその点も関係なかったとすれば、大学側は謝罪する必要すらなかったのではないか。

そもそも学位とは、大学で学んだことを学生がきちんと理解していたかどうかで与えられるもの。それを後になって別の基準を持ち出し、取り消すのは筋が違うし、なんだか後出しジャンケンみたいで卑怯だよ。どうにも気分がスッキリとしない。

ということで大学側は、自分たちは学びの環境を与えただけで、それ以外は関係ないですよって、クールに言い放つべきだった。

どんなに世間が騒ごうと、寺内容疑者はこちらのカリキュラムに沿って勉強しただけですし、その結果で得られた卒業も学位も取り消しません、と胸を張って主張すればよかったのだ。

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月曜発売の『週刊プレイボーイ』18号では、これと正反対の「取り消しはアリ」の立場で考えた淳氏の極論も紹介。自身も「正直、迷う」と語った「アリか、ナシか」の選択で、どういう結論に至ったのかーー。全文は本誌にてお読みいただきたい。

(撮影/本田雄士)