「戦後の日本にフィットできなかった彼らのつらさや苦しみを少しでも浮かび上がらせたいと思った」と語る三浦氏 「戦後の日本にフィットできなかった彼らのつらさや苦しみを少しでも浮かび上がらせたいと思った」と語る三浦氏

日本、中国、朝鮮、モンゴル、ロシアの各民族からよりすぐりの優秀な学生たちが集い、授業料は免除され、6年間寝食を共にしながら学ぶ場所。そこでは「言論の自由」が保証され、日本人はもちろん、異民族の学生が公然と日本政府を批判することも許されていた。

そんな大学が日中戦争の最中に、しかも日本の支配下にあった「満州国」に存在していたなんて、信じられるだろうか?

大学の名は「満州建国大学」(以下、建大)。満州国の最高学府として設立され、歴史の渦にもまれながら、1938~1945年のわずか8年足らずの間だけ存在した。

この「幻の大学」と卒業生たちの数奇な「戦後」を描き、第13回開高健ノンフィクション賞を受賞したのが『五色(ごしき)の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』だ。

著者で、朝日新聞記者の三浦英之氏が赴任先のアフリカ・ヨハネスブルクから一時帰国、元建大生らとの懇談会を終えた後に話を伺った。

―日本の傀儡(かいらい)国家といわれた満州国にこうした大学があったと知って驚きました。「建大」の存在は以前から知っていたのですか?

三浦 僕自身もまったく知りませんでした。個人的に日本の近現代史には興味がありましたが、もともと僕の専門分野ではないし、満州国といっても日本の植民地支配で傀儡政権があって、映画『ラストエンペラー』の世界というか、その程度の理解でしたね。

そんな僕が強い興味を持ったのは、戦後、長らく中央アジアのキルギスに抑留されていた元日本兵がいるという話を聞きつけて、新潟で農業を営む元建大生の宮野泰(やすし)さんの元を訪れたのがきっかけでした。

当時85歳という高齢にもかかわらず、記憶力も抜群で、僕の質問に対しても常に最小限の言葉で的確な答えが返ってきます。さらに驚かされたのが、宮野さんの自室の壁一面に並んだNHKロシア語講座のテープの山でした。新潟で農業を営む老人が、なぜロシア語を学んでいるのだろうか…と。

いささか戸惑いながら、その理由を尋ねると、宮野さんは「いや、ロシアは強大な国ですから、将来、外交的に問題になった時に必要になるだろうと思って」と答えたのです。

その瞬間、「ああ、宮野さんには、そしてこの取材には、僕の予想していた以上のものがある」と直感しました。

スーパーエリートたちの「暴走」

―学生の半分は外国人、しかも「異なる民族が共に手を取り合い、新しい国をつくり上げよう」という「五族協和」の理念の下につくられた「国際大学」が、満州事変の首謀者、旧日本陸軍の石原莞爾(かんじ)の構想で建学されたというのも驚きです。

三浦 石原は当初、この大学を満州の最高学府ではなく、アジアの最高学府にしようと考えていたようです。おそらく彼の頭の中には、将来、西欧を束ねるアメリカと、アジアを束ねる日本が戦う「最終戦争」を勝ち抜くための知のシステム、その人材育成のための教育機関をつくるというビジョンがあったのだと思います。

とはいっても、この大学の出発点は軍事色の強い「国策大学」です。五族協和という満州国のスローガンも、現実には人口の2%にすぎない日本人が他民族を支配するためのプロパガンダであって、本当に民族の協和を目指していたわけじゃない。

ところが、建大には定員150人に対して出願者2万人以上という超難関を突破した優秀な学生が集まり、若き彼らは五族協和という理念を本気で追い求めて「暴走」を始めます。

民族の異なるスーパーエリートたちが衣食住を共にする中で、一種の化学反応が起こったのでしょう。毎日のように議論し、時には殴り合いながら、単なるスローガンやプロパガンダを超えて、「民族とは何か」という命題に対して必死に答えを出そうとしていったのです。まるで「純粋な青い光」のように彼らは突っ走ったんですね。

しかし卒業生の多くは戦後、厳しい苦難の道を歩むことになります。日本人の多くはシベリアに抑留され、帰国後も傀儡国家の最高学府出身者というレッテルを貼られ、高い能力を持ちながらも相応の職に就くことができなかった。中国人やロシア人の学生たちは日本の帝国主義への協力者と見なされ、収容所に送られるなど、命を失った人たちも多いのです。

僕はあの時代にあって、これほど特異かつ進歩的で、同時に、これほど「罪作り」な大学をほかに知りません。

彼らが本当に残したかったものとは…

―インタビュー前に、三浦さんと建大同窓生との懇談会に立ち会わせていただきました。卒業生の方々の強烈なオーラに圧倒されました。

三浦 そうですね。圧倒的な国際性を備えている彼らは、我々とはまったく違うスケールで日本や世界をとらえています。それゆえに、戦後の日本にはうまくフィットできなかった人たちともいえるのです。

僕は建大卒業生たちの戦後を通じて、普遍的なヒューマンドキュメントを書きたかった。そうすることで、戦後の日本にフィットできなかった彼らのつらさや苦しみを少しでも浮かび上がらせたいと思ったのです。

―同窓生の皆さんはこの本によって、建大の存在に光が当たったことをとても喜んでいるように見えました。

三浦 彼らが本当に残したかったのは、かつて満州建国大学という大学があったということでも、自分たちが戦後歩んできた苦難の道でもなく、若き日に彼らが真剣に追い求めた多民族の協和という「理念」なんじゃないかと思います。

もちろん、その実現は本当に難しいことだけれど、このテーマにガチで取り組んだ彼らには大学という限られた範囲ではあるけれど、おぼろげながらに「五族協和はできそうだ」という手応えがあったのではないかと、僕は考えています。

その理念を真剣に求め、日々、知のボクシングを繰り返した彼らだからこそ、90歳を過ぎた今も、同窓生たちは国を超え、お互いに強い友情で結ばれているのだと思うのです。

(インタビュー・文/川喜田 研 撮影/有高唯之)

●三浦英之(みうら・ひでゆき) 1974年生まれ、神奈川県出身。京都大学大学院卒。朝日新聞記者。東京社会部、南三陸駐在などを経て現在、アフリカ特派員(ヨハネスブルク支局長)。著書に『水が消えた大河で―JR東日本・信濃川大量不正取水事件』(現代書館)、『南三陸日記』(朝日新聞出版)

『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』 集英社 1700円+税 日中戦争の最中、旧満州国(現・中国東北部)に存在した最高学府「満州建国大学」。「五族協和」の実践を目指し、特殊な教育が施される中、激しい議論を戦わせる日本、中国、朝鮮、モンゴル、ロシアの学生たち…。彼らが夢見たものとはなんだったのか。そして、どのような戦後を生き抜いたのか? スーパーエリートたちの人生をつづる渾身のドキュメンタリー。第13回開高健ノンフィクション賞受賞作