ネット上でのコメントはチャリティー行為自体への批判より“人格批判”が多かったと語る、東京大学准教授(社会学)の仁平典宏氏

タレントの紗栄子、高須クリニックの高須克弥院長、SMAP中居正広…熊本地震発生後、多くの有名人がチャリティー活動を実施した。

世間の反響は「被災地のことを本当に考えた行動!すごい!」と賞賛の声があがる一方で、「どうせ好感度アップが狙い。偽善にしか見えない」と酷評されるケースもあるなど、その明暗が分かれた。

有名人はその知名度や資産から、チャリティー活動を期待される存在だ。しかし、活動に少しでも落ち度があれば、すぐさまネット上で容赦のない批判に晒(さら)されてしまう。

一体、有名人にとって、どんなチャリティー活動が“正解”なのか? ボランティアやチャリティーなど慈善活動の歴史に詳しい東京大学准教授の仁平典宏(にへい・のりひろ)氏に「どうすれば有名人は叩かれずにチャリティーができるのか」、その方法を聞いた。

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―熊本地震の際、有名人のチャリティー活動に対して「偽善だ!」という批判が一部で盛り上がった件を、どう考えていますか?

仁平 私も偽善批判が盛り上がっていると思い、ネット上のコメントを読んで分析してみました。ところが意外にも、叩いている人はごく一部で、しかも批判としては失敗しているという印象を持ちました。大金を寄付したり物資を送ったりする行為自体への批判は見られず、有名人自身への人格批判に終始していたからです。

―“チャリティー行為への批判”と“人格批判”…これは何が違うんでしょう?

仁平 例えば、紗栄子さんが500万2千円を寄付し、その振込受付書をインスタグラムで公表したことが話題になりました。もしその寄付が災害と関係ない団体や人に送られていて、「被災者のためになってない!」と叩くなら、“チャリティー行為への批判”になります。もちろん実際はそんなことないですが。

一方で、「売名行為」とか「振込受付書をさらすなんて、品のないあの女がやりそうなこと」とか「どうせ、ダルビッシュからむしりとった金だろう」などというように、本人への勝手なイメージや過去の離婚を引き合いに出して、ムリヤリな批判をするのが“人格批判”です。

ネット上のコメントを細かく見ると、実はこじつけの人格批判ばかりでした。人格批判は相手を蔑(さげす)むことが目的のため、どうしても辛辣(しんらつ)な言葉が目立ちます。そこが切り取られてネットニュースになった結果、「熊本地震でも偽善叩きが盛り上がった」という印象が世間に残ったのでしょう。しかし私の印象では、むしろかつてに比べて、行為は行為として評価しようという冷静な声が増えたように思います。

―なぜ増えたと考えられますか?

仁平 3.11以後、ネットに浸透した言葉に「やらぬ善より、やる偽善」があります。有名人側に「好感度を上げたい!」というような、チャリティー行為へ見返りを求める気持ちが仮にあったとしても、一般人ではできないレベルの寄付や活動をしている事実は変わらない。有名人のチャリティーが当たり前になる中で、動機とは切り離して、行為の結果からチャリティーを判断しようという考え方が広がってきたようです。

―紗栄子さん以外に大きな話題となった人といえば、高須院長ですね。

仁平 スケール感と方法論が違いました。約3.2トンの物資を用意する、自前でヘリをチャーターする、自衛隊と連携して運ぶ…投じた金額と方法からみて、チャリティーに慣れたグローバルな金持ちの振る舞いという印象です。事実、高須院長は難民のチベット人医学生のために10億円の基金を作ったり、今年2月の台湾地震でも寄付をするなど、普段からチャリティーに取り組んでいます。だからこそ、熊本地震でも最適な支援を想定して、すぐに動けたのだと思います。

SMAP中居くんも結果的に巧妙だった

―「高須院長、さすが!」とネットでも賞賛ばかりでしたが、方法論や行動力の他に評価された理由はありますか?

仁平 「普段は善人キャラでない人」ほど、少しの善行が大きく評価されがちです。暴力団が阪神淡路大震災の時に行なった炊き出しが、今でも伝説として語り継がれているのも同じメカニズムです。高須院長も普段から、時に過激な発言をする露悪的なキャラとして振舞ってきたことが、チャリティー活動の評価を逆に高めたと思います。

―普段のイメージとのギャップが奏功するということですね。他にも現地へボランティアに行った有名人はたくさんいました。

仁平 SMAPの中居さんや熊本出身の高良健吾さんなど数人を除けば、賞賛や批判以前にほとんど話題にならなかったように思います。そもそも事務所がセッティングをして、事前に「○月○日に行きます!」と告知する形式での炊き出しは、目新しさや意外性がないので話題になりません。一方、中居さんや高良さんのようにお忍びでボランティアを行なう方法は、結果的に巧妙だったと思います。

―なぜでしょうか?

仁平 まず、ネットで拡散され、話題になる可能性の高さです。帽子を目深(まぶか)に被り、マスクをしている人は被災地では逆に目立ち、有名人側の意図がどうあれ、被災者にはバレバレなのです。後は、被災者の誰かが「中居君じゃない?」と気づいて、写真をSNSにアップさえしてくれれば、徐々に拡散されて話題になっていく…これが、お忍びボランティアが拡散される仕組みです。

事前告知なしに身を隠した上でボランティア活動をしていたという事実は、「売名ではない、真のチャリティーである」と一般人が判断する、ちょうどいい材料にもなります。そのため本人に表裏はなかったとしても、売名批判のリスクを抑えられるという意味で、結果として高度な戦略だったと思います。

また中居さんの場合、事務所離脱をめぐる一連の物語も「真のチャリティー」という解釈を後押ししました。やはり有名人の場合、その人がまとう物語が重要で、それをうまく作れないとチャリティーすらも人格批判の材料とされてしまうリスクが大きいようです。

―善意からの行為なのに、有名人も大変ですね…。そもそも、なぜチャリティー活動は偽善叩きというリスクを伴うのでしょうか?

仁平 日本のチャリティー活動が抱える問題の構造は、実は戦前からあまり変わっていないと思います。とにかく動機の純粋性が求められやすいのです。例えば、戦前は今以上に福祉が機能していなかったので、民間の社会事業家が孤児の救済を自腹で行なうことがよくありました。しかし、多くの人は賞賛はするものの、お金は出しません。寄付を求めると「胡散(うさん)臭いぞ! 金儲けのためにやっているんだろ!」という人格批判すら返ってきます。

社会事業家の中には、このような偽善批判に応えるために、贅沢をせず貧しい生活に徹することで、見返りを求めない活動であることを証明しようとする人もいました。その結果、切り詰めすぎて、自分たちが餓死したという笑えない話も残っています。

“叩かれることを覚悟したチャリティー”が重要

―偽善でないことを証明するために餓死するとは、戦前のチャリティーはハードですね。

仁平 このように、純粋な善意のみを求める偽善批判は、結果的にチャリティー活動へのハードルを上げるだけで、社会の役には立たないことがわかるでしょう。これは「善い行ないは人にアピールせずに、こっそりやるものだ」という考え方についても同じです。

明治から昭和初期にかけて活躍した社会事業家の山室軍平は、一時期、気づかれない慈善こそが真の慈善だと言っていました。例えば、人が坂道で荷車を引っ張っている。自分はその人に気付かれないように後ろからそっと押して、「今日はなんだか荷物軽かったな」と思わせてあげることが“真の慈善”だというわけです。

この考え方の問題点は、善い行ないを隠すためにその成果が人に見えず、広がりもしなければ寄付も集められない点です。つまり、さらなるチャリティー活動へと繋げることができません。

―本人は満足しても、社会に広がらないということですね。

仁平 「隠れてやる善行は美しく、偽善批判も受けない。ただ、お金がなければたくさんの人は救えない」…こういった矛盾に苦しんだ社会事業家の中から、やがてバッシングを受けながらも活動を積極的に社会へ発信することを選ぶ人たちが出てきます。彼らは会計を透明化し、寄付用途やその意義を公表することで信用を得ながら、多くの寄付を集めて、重要な活動を展開していったのです。動機の純粋性ではなく活動の成果で勝負する…これが大正時代に見られたチャリティー活動の大きな転換点です。

―その結論は現代にもそのまま使えますね。

仁平 そうなんです。キーワードは「開き直り」かもしれません。チャリティーをする上で、叩かれるリスクをまず引き受ける。その上で建設的な“行為への批判”には耳を傾けつつ、“人格批判”は一切無視する。活動を頑張っているうちに人格批判は少なくなり、味方が増えていきます。紗栄子さんもそうじゃないですか?

―なるほど。“叩かれないチャリティー”ではなく、“叩かれることを覚悟したチャリティー”が重要なんですね。

仁平 そうです。有名人のチャリティー活動は、「チャリティーはカッコいいもの」という新たな文化モデルを生み出す可能性を持っています。一般の人がそれをきっかけに活動するようになれば、より大きな変化が生まれます。ところが、偽善批判は嫌いな有名人を叩いて溜飲を下げるだけにとどまらず、無駄に活動のハードルを上げてしまいます。それは誰にとってもマイナスです。その意味で、不毛な偽善批判こそが最大の「偽善」かもしれません。

そんな現状を変えるためにも、有名人には炊き出しやチャリティーコンサートといった見慣れた活動ばかりではなく、もっとクリエイティビティを発揮したチャリティー活動をして驚かせてほしいです。できれば、芸能事務所もCSR(企業の社会的責任)部門を作って、各機関と連携しながら効果的なチャリティーの戦略を練り、有名人をサポートするべきでしょう。

偽善叩きには開き直る、クリエイティブなチャリティー活動をする、それを隠さずに社会へドンドン発信していく――これが有名人のチャリティー活動における“正解”だと思います。

●仁平典宏(にへい・のりひろ)東京大学大学院教育学研究科比較教育社会学講座・准教授。著書に『「ボランティア」の誕生と終焉――〈贈与のパラドックス〉の知識社会学』(名古屋大学出版会)。共著に『平成史』(河出ブックス)など多数

(取材・文/山本隆太郎 撮影/編集部)