超人・ウルフマンのモデルは当時、国民のヒーローであった千代の富士関。2015年1月7日の「グランドジャンプ」3号(集英社)では新作読切「超人列伝 ウルフマンの巻 -土俵上の士(もののふ)-」が掲載されたことも… 超人・ウルフマンのモデルは当時、国民のヒーローであった千代の富士関。2015年1月7日の「グランドジャンプ」3号(集英社)では新作読切「超人列伝 ウルフマンの巻 -土俵上の士(もののふ)-」が掲載されたことも…

7月31日、元横綱・千代の富士として1970年から引退する91年まで圧倒的な強さを誇った土俵の英雄、九重(ここのえ)親方が膵臓(すいぞう)がんのため逝去した。61歳の若さだった。

九重親方が全盛を振るった横綱在位時代とほぼ重なる時期に「週刊少年ジャンプ」で『キン肉マン』を連載し続けた漫画家・ゆでたまごの原作担当・嶋田隆司先生は、この訃報を受け「僕らの漫画に出てくる“ウルフマン”という超人が生まれたのは九重親方の存在あればこそ。まだまだ若いのに信じられない」とショックを隠しきれない様子で、生前に深めた親交に想いを馳せながらこう語った。

「ウルフマンの名前の由来はもちろん、当時最強の横綱として活躍されていた千代の富士関のニックネーム“ウルフ”にあやかったものです。

『超人オリンピック ザ・ビッグファイト』というシリーズで、キン肉マンと同じ日本代表超人のライバルとして登場させ一躍、大人気キャラクターになりましたが、それは当時の千代の富士関がすでに全国の子供たちにとって最強のヒーローだったから、という下地が世の中にあってのことでした。

やがて1983年に『キン肉マン』がアニメ化された際に、関係各社の自主規制でアニメ内では“リキシマン”という名に変更されたんですが、のちに九重親方に直接お会いした際、『なぜ名前を変えてしまったのか。ウルフマンのままでよかったのに』と私どもに自らおっしゃっていただいたことがあり、非常に感動したのを覚えています」

 闘いに継ぐ闘いで傷だらけのウルフマンがもう一度奮起し、対戦相手ブラック・シップを倒した後の決め台詞(『グランドジャンプ』2015年1月7日発売号「超人列伝 ウルフマンの巻 -土俵上の士(もののふ)-」より) 闘いに継ぐ闘いで傷だらけのウルフマンがもう一度奮起し、対戦相手ブラック・シップを倒した後の決め台詞(『グランドジャンプ』2015年1月7日発売号「超人列伝 ウルフマンの巻 -土俵上の士(もののふ)-」より)

2013年にはステージで共演も

3年前の2013年7月に新宿FACEで開催されたイベント「週プレ大学  キン肉マン通巻100巻記念 謝肉祭~キン肉マンと学ぶエンターテインメント~」ではシークレットゲストとして登場し、ゆでたまご先生から愛弟子・千代大龍関に贈られた描きおろしの化粧まわし贈呈式にそろって参加。

「あの時は、国民栄誉賞を取られた方が僕らのイベントに駆けつけてくれるなんて、と大変感動しました。わずか3年前のことですが、その迫力は現役時代と変わらぬままで、あんなにお元気そうだったのに…。また是非、元気になられてお会いしたく思っていたんですが、今はただただショックで。心よりご冥福をお祈り申し上げます」

と沈痛な表情で語った嶋田先生。『キン肉マン』という作品にも多大な影響を及ぼした伝説の大横綱の逝去を悼んだ。

 2013年7月1日に行なわれた「謝肉祭」では、ゆでたまご先生デザインの化粧まわしの贈呈時に九重親方が登場(奥は千代大龍関)。会場からは「ウルフーッ!」と歓声が飛んだという 2013年7月1日に行なわれた「謝肉祭」では、ゆでたまご先生デザインの化粧まわしの贈呈時に九重親方が登場(奥は千代大龍関)。会場からは「ウルフーッ!」と歓声が飛んだという

(取材・文/山下貴弘 撮影/佐賀章広【謝肉祭】 (c)ゆでたまご/集英社)