『週刊プレイボーイ』本誌で「モーリー・ロバートソンの挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが移民受け入れの議論すら避ける日本に、なぜ「多様性」が大事なのかを語る。
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Diversity=多様性。このコラムで幾度となくこの言葉を用い、その重要性を語ってきました。
近年、ヨーロッパでは移民の流入などで社会の多様性が急速に進み、その反動として各国で極右政党が台頭。イギリスはEU離脱という結果に至りました。アメリカでも人種、男女、LGBTなどあらゆる面で多様化が進むことに嫌悪感を示す人々が、ドナルド・トランプという希代のポピュリストを支持。以前紹介した「Alt-right(オルトライト)」のような新たな極右運動も生まれています。
こうした状況を日本から見て、「多様化なんてするもんじゃない」「やはり移民なんか受け入れないほうがいい」などと、したり顔で語る人々がいます。しかし、僕は何度でも言いたい。多様性を受け入れないばかりか、そのための議論すらない社会に未来はありません。現在の欧米の混乱は、社会がさらに多様に、さらに一歩前に進むための過渡期ーー僕はそう見ています。
欧米諸国には多様化の長い歴史があります。アングロ圏のイギリスやアメリカを例にとれば、まず英語という言語自体、サクソン語やゲルマン語をはじめ、いろいろな言語が交じり合って成立しており、語法やボキャブラリーに一貫性がない。さらに、植民地時代以降は社会がより複雑化。本土と植民地、本国人と移民、支配者と奴隷、人種対立…それらが年月を経るうちに全部ごちゃ混ぜになっていきました。
異なるバックグラウンドを持つ人々が混在する社会では、必然的に「論理」で整合性を出すことに重点が置かれ、あらゆる分野で闊達(かったつ)に議論が行なわれ、いずれ“異なる価値観の視点”が社会に組み込まれます。今の欧米の混沌(カオス)も、こうした歴史の延長線上にあるものでしょう。
日中韓に共通する「不都合な真実」を言わない社会
ちなみに、感覚的な話になり恐縮ですが、議論においてより「なんでもあり」なのはイギリス。女王陛下をコメディでいじってもOK。一方、アメリカでは近年、社会の進歩の過程で生まれたポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)が大きくなりすぎ、その不満をトランプがうまく突いているといえます。いずれにしても、大前提として「タブーに突っ込む議論が奨励される」という方向性は同じです。
それに対し、日本は(使い古された表現ですが)「不都合な真実」を言ってはいけない社会です。一般人同士の会話でも、お互いへの敬意や“憚(はばか)り”によって自然とブレーキがかかる。これは、実は東アジアの漢字圏の国ーー日本、中国、韓国に共通しています。
日本はアジアの中では欧米化された国で、皆さんの中には「中韓より欧米に近い」と考えている人も少なくないでしょう。しかし、こと社会の多様性のレベル、議論の透明性という面では、民主主義のない中国や、しばしばナショナリズムが論理を超えてしまう韓国に非常に近いと僕は思うのです(認めたくない人も多いでしょうが)。
多様性がなく、「みんな同じことを考えている」ことが前提となる社会ーーそこでは進歩的な人の声は潰され、多くの人が空気を読んで面倒な議論を避けるようになります。それでも日本人は多様化を否定し続けるのでしょうか。僕はこのことを問い続けたいと思っています。
●Morley Robertson(モーリー・ロバートソン) 1963年生まれ、米ニューヨーク出身。国際ジャーナリスト、ミュージシャン、ラジオDJなど多方面で活躍。フジテレビ系報道番組『ユアタイム~あなたの時間~』(月~金曜深夜)にニュースコンシェルジュとしてレギュラー出演中!! ほかにレギュラーは『NEWSザップ!』(BSスカパー!)、『モーリー・ロバートソン チャンネル』(ニコ生)、『MorleyRobertson Show』(block.fm)など