「オスプレイが高江で訓練を再開した!」
沖縄県名護市の沿岸にMV‐22オスプレイが墜落してから7日後の2016年12月20日。午後4時過ぎに東村(ひがしそん)高江地区の上空を見上げると、轟音(ごうおん)を響かせながら2機が西に向かって飛んでいく姿が見えた。
カメラを構えるがすでに遅く、慌てて空撮手配者に連絡した。この場所を飛ぶということは、これから訓練場内で離着陸訓練をするに違いない。その姿をカメラに収められるはずだ。
上空から見るオスプレイは、沖縄本島北部の東村と国頭(くにがみ)村にまたがる米軍・北部訓練場に6ヵ所あるヘリパッド(ヘリコプター離着陸帯)のうちのひとつ、N‐4と呼ばれるヘリパッド区域に着陸し、30秒ほどで再び舞い上がった。そのまま時計回りに大きく旋回すると同じ場所に戻って着陸。この「タッチアンドゴー」と呼ばれる離着陸訓練を20分ほど繰り返した。
墜落事故のわずか6日後の19日にオスプレイの飛行訓練を再開したことで沖縄県民の怒りのボルテージは上がっている。ましてや、その翌日に建設反対運動が起きている北部訓練場に飛来したとなれば、怒りに火を注ぐのは目に見えていた。その時、取材していた名護市在住の50代の男性は苦々しくこう言い放った。
「米軍は日本を完全にナメている。そして、これが沖縄の日常です」
その2日後の12月22日、名護市で開かれた国内最大規模の米軍演習施設「北部訓練場」の返還式典には菅官房長官、稲田防衛相、ケネディ駐日大使らが出席していた。
米軍は訓練場のおよそ半分に当たる約4千ヘクタールを日本に返還する。本来なら基地縮小につながる喜ばしいことのはずだ。だが、沖縄の承認なしにオスプレイ用のヘリパッドを建設している上、今回の事故も重なり、基地反対派の怒りは収まらなかった。
沿道には「NOオスプレイ」「新基地反対」などのプラカードを抱えたデモ隊が数百人集まり、米軍基地反対へのシュプレヒコールを上げる。それと向き合うように警視庁等から派遣された大量の機動隊員が配置されていた。
記者がその状況を写真に収めようと、車がこちらに来ていないことを確認して2、3歩、車道側に出ようとした時だ。すぐさま若い機動隊が飛んできて、「危ないです。出ないでください!」と体を張って制された。
オスプレイの“墜落現場”に行ってみると…
「報道目的で危険のない場所から写真を1、2枚撮りたいだけだ」と伝えても、機械のようにただ「危ないですから」と繰り返す警官。デモ隊から「機動隊はこの状況を報道させないのか!」との怒号が飛び、両者がもみ合い寸前になった。周囲を見渡すと、デモ参加者と機動隊の緊張したにらみ合いは、あちこちで続いていた。
日本のどこを探しても、警察と市民がこんな激しい衝突を繰り返している現場は今どき珍しい。だが、沖縄の基地問題が関係する場所では今やこうした光景が日常になっているのだ。
沖縄の人が米軍基地に怒っている一番の理由は、基地があまりにも県内に集中しているためだ。国内の米軍が使う専用施設の74%があり、沖縄本島の面積で考えると18%に上る。こんなに多いのは、沖縄の歴史と関係がある。県関係者が説明する。
「米国が最初に沖縄に米軍基地を作ったのは太平洋戦争中に沖縄本島に上陸した時です。1945年の終戦後も沖縄は1972年までの27年間、米国に統治されたままでした。そのため、米軍は人々の家や畑などを強制的に取り上げて基地を拡大したのです」
軍事基地があると、住民にいろいろな影響を及ぼす。
「2004年にも沖縄国際大学にヘリが墜落しました。それに軍用機のけたたましい騒音も大きな問題。昼夜構わず民家の上を飛ばれて、睡眠不足になる人もいます。せめて夜間飛行の自粛を要請しても米軍は守らないことが多いのです」
たとえ住民が騒音被害を裁判に訴えても、日本の裁判所は「米軍機の飛行を止める権利がない」と繰り返すだけ。結局、我慢するしかない。
米軍人や軍属が起こす犯罪も深刻だ。95年に米軍の3人が12歳の少女を集団強姦した時には、8万人を超える県民が抗議集会に参加。今年4月にも基地で働く軍属による女性暴行殺人事件が起きている。
今回のオスプレイ墜落は、県民の間にそうした米軍基地のストレスが溜まりに溜まった中で起きた事故だった。
12月13日の夜、名護市の東の沖合約30キロの場所で空中給油訓練をしていたところ、前を飛ぶ燃料を送り出す側の輸送機から伸びていたホースが乱気流の影響でオスプレイのプロペラに当たり、制御不能になった。
機体は基地までたどり着くことができず、米軍によると「住民に被害を与えないために、名護市の沿岸に不時着水した」というが、機体は大破。乗員5人のうちふたりがろっ骨を折る等して重傷だったことを考えたら、墜落と呼ぶのが自然だ。
「米軍基地が必要だというなら、沖縄以外に分散すればいい」
不時着現場から300メートルほど離れた場所には150人ほどが住む阿部(あぶ)の集落がある。事故の起きた午後10時前には「いじゃり」と呼ばれる夜の海での漁をしていた住民もいたため、一歩間違えば住民を巻き込む大惨事になるところだった。
現場を訪れると、墜落場所や機体回収場所には米軍が規制線を引き、そこから離れた場所に沖縄県警の規制線があった。米軍の規制エリアからは日本の警察も締め出された。
米軍に有利な「日米地位協定」の壁に阻まれて日本側は十分な捜査すらできない。海上保安本部が航空危険行為処罰法違反で米軍に捜査協力を申し入れたが、米軍は回答しないまま事故機の回収を進めた。いつもの米軍がらみの事故や犯罪と同じことがまた繰り返されている。
もし自衛隊のヘリがハワイで墜落し、そこに米国の捜査機関が入れない事態が生じたら、米国人やナショナリストたちが黙っているとは思えない。だが、日本では政府から不平等だとの声は上がらないのが現実である。阿部の集落にすむ元漁師の男性(77歳)は、米軍の機体回収作業を眺めながらこうつぶやいた。
「普天間から辺野古に基地が移れば、こっちがさらに危険になる。ヘリパッドがある高江の北部訓練場と辺野古との間に私たちの集落があるからです。米軍基地が日本に必要だというなら、沖縄以外に分散すればいい。でも本土の人たちは黙っているだけで何もしてくれない。自分の住む場所に米軍基地が来たら困るからでしょう」
この元漁師の心配は、沖縄中部から北部の住民全体に当てはまる。なぜなら米軍はこれから建設が進む辺野古、オスプレイのヘリパッドが完成する北部訓練場、そして強襲揚陸艦を見立てた着陸帯の拡張工事が始まった伊江島・補助飛行場を結ぶ三角地帯で飛行訓練を増やすことが予想されるからだ。
●後編⇒基地反対運動は活動家が扇動しているだけなのか?「米軍も日本政府も私たちを人間と見ていない」沖縄のリアル
(取材・文・撮影/桐島瞬)