かつて『週刊プレイボーイ』で人気を博したコラム「衆愚レアリズム宣言」を執筆していたジャーナリストの川喜田研氏が、エープリル・フールに物申す!

あぁ、昔は良かったなぁ…。若い人は知らんだろうが、昔は「エイプリール・フール」という風習があって「毎年、4月1日には嘘をついてもいい」ことになっていた。

ちなみに「嘘をついていいのは、4月1日の正午まで」という説もあるそうだが、いずれにせよ、その日は新聞やTVまでが「嘘の記事」や「嘘のニュース」を流して、それをみんなで無邪気に面白がったりしたものだ。いわゆるひとつの「春の風物詩」だったが、今思い返せば、あれは随分と「のどかな時代」だったなぁ。

「フェイク・ニュース」だの「ポスト・トゥルース」だの、そんな言葉を当たり前のように耳にするようになる以前のずっと昔の話だ。当時はまだ「嘘」にそれなりの「希少価値」があったということか…。

だが、今や「毎日がエイプリール・フール」である。そう、「嘘の時代」の到来だ。アメリカの大統領もどこかの国の総理大臣や政治家や官僚も、みんな平気で嘘をつく。ネットには大量のフェイク・ニュースが流れ、それを信じる人たちも少なくない。『悩む力』『続・悩む力』『心の力』『悪の力』…と数々のベストセラーを重ねてきた、あの姜尚中センセーが新刊『嘘の力』を出すのも、もはや時間の問題だろう(※嘘です)。

もちろん、昔から政治家や大手メディアが常に「正直」で、常に「真実を語っている」なんて本気で信じている「ノンキでオメデタイ人」は多くなかったかもしれないが、少なくともかつては「嘘はコソコソつくもの」で、「バレたら困るし、恥ずかしいもの」だった。それに嘘をついていたことがバレたら、それだけで大問題になり、社会的に重いペナルティが課されたり、失脚したり、なんてことも普通だった。

でも、今は違う! もし、「嘘をつけばコトが済む」なら、あるいは「嘘をついたほうが得」なら…迷わず、嘘をついたほうがいい! そして、ココが重要なポイントだが、一端、嘘をついたなら、どんなにボロが出ても、どんな状況証拠を突きつけられても、勇気を持って「最後まで徹底して嘘をつき通すこと」が何よりも肝心だ。

だから、福島の原発事故処理がどんなに難航していようと、ひとたび「アンダー・コントロール」だと言ったら、最後までブレずにそう言い通さなきゃいけない。南スーダンの自衛隊は誰がなんと言おうと「安全」なのだ。それでも「戦闘行為」の記述がある日報を開示しろと言われたら「破棄した」と嘘をつけばいいし、「そんなはずはない」と反論されたら「実は別の場所にも保管されていた」と、また嘘をつけばいいだけのことだ。

「信頼できる、嘘つき仲間」が多いことが大切だ

嘘をつき通すためには「信頼できる、嘘つき仲間」が多いことが大切だ。もし、あなたの嘘が綻(ほころ)びそうな時は、あなたの周りにいる親しい人たちにも一緒に嘘をついてもらえばいい。そうやって、ひとつの嘘が破綻しても、その先にまた嘘をいくつも重ねていけば、そのうち、どこまでが嘘なのかもわからなくなる。

そして、あなたの嘘を「嘘」だと糾弾する相手には「嘘だというなら、具体的で確実な証拠を示せ。それができないなら、名誉棄損で訴えてやる!」とでも言ってやろう。あなたが嘘の上にいくつも嘘を重ね、信頼できる仲間たち(もちろん、彼らがあなたに嘘をつかないか、十分な注意が必要だ)と一緒に嘘をつけば、その大量な嘘のすべてを具体的な証拠と共に「嘘」だと証明するのは困難になるはずだ。

それでもダメなら「忘れた」とか「記憶にない」という嘘をつくのも有効だ。本当に忘れているかどうかなんて、本人以外には絶対に証明できないので何があっても嘘にはならないし、偽証罪にも問われない。これは特に御高齢の元都知事などにお薦めの方法だ。文句を言われたら、「高齢者を差別するのか!」と言い返してやろう。誰も「老人の物忘れ」を非難することなどできるはずはない。

嘘にそれなりの希少価値があった昔と違い、今や公然と嘘が溢れている。また、メディアにはその嘘を徹底的に追及するだけの力はない。それに、もしあなたが政治や行政に関わっているのなら、今は「特定機密保護法」という便利な道具もあるではないか。バレたら困る嘘に関する情報は、それなりの理屈をつけて「特定機密」にしてしまうのもいいだろう。

何より嘘というのは、それが蔓延すればするほど、人の気持ちを萎えさせるものだ。誰もが「どうせ、みんな嘘をついているんだろう…」と思うようになれば、こっちのもの。日々、生きていくだけでも大変で、忙しい人たちはもはや、ひとつひとつの嘘にいちいち怒っている気力すら失ってしまう。

それが嘘だと思うなら、森友学園問題で揺れる国会中継を見てみればいい。「安倍首相から100万円を寄付された」と主張する森友学園の籠池元理事長と「籠池は嘘をついている」と主張する安倍首相や首相夫人。ホントはどちらが嘘つきなのかは知らないが、延々とお互いが相手を嘘つき呼ばわりしている景色は見ているだけでウンザリする。答弁に立つ官僚の言葉も「一体、どこまでホントなんだか」と感じている人がほとんどだろう。「もう誰も信用できない」と感じた時、人はウンザリして「何も考えたくなくなる」ものだ。

「嘘のハイパーインフレ」時代に、バカを見るのは誰なのか?

「嘘つきのパラドックス」というのをご存じだろうか? 誰かが「俺は嘘つきだ」と言った時、彼が本当に嘘つきならば、「正直」に「俺は嘘つきだ」とは言うはずがないし、逆に「俺は嘘つきだ」というのが「嘘」ならば、「俺は正直者だ」ということになるが、その「正直者」が自分を「嘘つき」だと言っているのは「嘘」だから、彼はやっぱり「嘘つき」だということになる…というヤツだ。

だが、この「嘘つきのパラドックス」には前提に大きな間違いがある。「嘘つき」は常に嘘をつき、「正直者」は常に真実を語るという、「実際にはあり得ない」設定が前提になっているためにパラドックスに陥ってしまうのだ。

現実の世界では嘘つきだって本当のことを言うし、むしろ本当のことの中に巧みに嘘を滑り込ませるから嘘が生きてくる。逆に、正直者だって時には嘘をつくこともある。100%本当のことしか言わない人は、正直者というより「空気の読めないヤツ」と呼ばれてしまうだろう。そう、実際、世の中には「必要な嘘」もあったりするものなのだ。

このように世の中は昔から「嘘」と「真実」にキレイに分かれているワケじゃなく、そのふたつが微妙に入り混じりながら、なんとも曖昧な「常識的なライン」の上でなんとかバランスを保ってきた。そして「嘘をつくのはいけないことだ」とか「嘘をつくのは恥ずかしいことだ」とか「嘘をついたら閻魔様に舌を抜かれる」といった、これまた「曖昧な道徳観」が「嘘の力」に一定の歯止めをかけてきたのだろう。

だが今や、そのバランスは完全に失われ、「国のトップまでが平然と、公然と嘘をついても、なんとなくやり過ごせそうな時代」になってしまったようだ。その人たちに「道徳教育の大切さ」なんて言われてもなぁ…と思わなくもないが、いずれにせよ、そんな「嘘のハイパーインフレ」時代にバカを見るのは誰なのか? そう、昔から言われている通り、「正直者はバカを見る」。それがイヤなら「嘘の力」を信じることだ。迷わず、躊躇(ちゅうちょ)せずに「嘘をつく」。そして、その嘘をつき通すことが大切だ!

賢明な読者諸兄は、私の言いたいことがわかってくれたはずだ。いや、嘘でもいいから「わかった」と言ってくれたら嬉しい。まぁ、どーせ嘘なんだろうけどさ。逆に私が書いたことも嘘かもしれないから、十分に注意してくれたまえ。何しろ今日は「エイプリール・フール」なのだから。

(文=川喜田 研)

●川喜田 研(かわきた・けん)衆愚レアリスト。1965年横浜生まれ。プチブル家庭のアホな「腐れお坊ちゃま」として育ち、受験戦争と失恋で重傷を負いドロップアウト。ヒキコモリや数年間の国外逃亡、雑誌編集者を経て「F1ジャーナリスト様」として10年間ほど世界を転戦。2009年に『さらば、ホンダF1』(集英社刊・既に絶版)を出版後、業界を干される。失業していた第2期ヒキコモリ時代に3.11と第2次安倍政権誕生を目の当たりにし、「お前たちはシューグ(衆愚)である」という天の啓示を受け、2013年から15年まで『週刊プレイボーイ』誌上で連載コラム「衆愚レアリズム宣言」を執筆。好きな芸術家はもちろん「シュールレアリスト」のサルバドール・ダリ!