大きな被害をもたらした昨年の熊本地震――。
人間だけでなく多くの動物たちも被災した。東京で活躍する熊本県出身のカメラマン・尾崎たまきが「ライオンが脱走」というデマで二次被害を受けた熊本市動植物園の今を写真でレポートする。
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激震地の益城から7キロほどの距離にある熊本市動植物園が位置する東区健軍(けんぐん)地域の被害も甚大なものだった。当時の状況を熊本市動植物園の獣医であり職員の松本充史さんが振り返ってくれた。
地震のあった4月14日、21時26分。3月30日に生まれたばかりの耳長ヤギの赤ちゃんに授乳中、震度7の揺れが動物園を襲った。身の危険を感じた松本さんはヤギの赤ちゃんを抱え、すぐさま外に出た。暗闇の中、青色灯のランプが、ただくるくると回りながら光り、恐ろしさを助長したという。
揺れが収まると、ヤギの赤ちゃんを室内に戻し、園内を見回った。真っ先に向かったのが猛獣舎。すべての猛獣たちが寝室にいることを確認し、サルやホッキョクグマやキリン、ゾウなどすべての動物たちの安否確認のため、懐中電灯を持って真っ暗の園内を歩いた。
水道管が破裂し、あちこちで水があふれ、想像もできないほどの段差やアスファルトの亀裂が...。園内を走っていた子供列車も崩落。さらにユキヒョウがいた展示スペースの柵にも亀裂が入り、まるで怪獣が踏み荒らしたような光景を目の当たりにしたという。歩き慣れた園内が、スムーズに歩くことさえできないほど激変し、ことの大きさを感じずにはいられなかったという。
そんな中、知人から送られてきた安否を確認するメールに「ライオンが脱走した」との情報があった。松本さんは一瞬ひやりとしたが、たった今、ライオンが寝室にいることを確認してきたばかりだったので胸をなでおろした。
写真をよく見ると、園の周辺ではないのは明らかだった。知人にその旨を返信したが、すでにSNSではそのデマが広まっていた。そこから一晩中、園の電話は鳴り続け、電話応対だけでも随分手を取られた。(その後、ツイッターを使ってデマを流したとして偽計業務妨害の疑いで神奈川県の男性が逮捕)
誰が呼びかけるでもなく集まる職員
デマが流された時には、すでにほとんどの職員が園に到着しており、それぞれが担当の動物たちの様子を見ながら、出なくなった水の調達など飼育に必要不可欠なものの準備を行なった。
「職員みんなが被災者ながらも地震後すぐさま園に駆けつけたのは、誰が呼びかけるでもなく当たり前のような感じでした。生き物相手だからですね。みんな担当の動物たちが心配だったようで」と語るも、何時に何人集まっていたか具体的なことは当時、ほとんど記憶がなく、いつも冷静な松本さんも記憶が飛ぶほどの状況だったという。
松本さんには中2の娘と小5の息子がいる。
「地震後、すぐ家に電話を入れましたが、家内も子供たちも落ち着いていたので安心して仕事を続けました。それから家に帰れたのは翌日の夜。前震から全く寝ていなかったので、22時半くらいには2階の寝室でぱたっと眠ってしまいました。
そして寝たと思ったらすぐに本震が来たような感じで。1階では茶碗などが割れるような音がガシャガシャ聞こえていました。我が家は作り付けの家具がほとんどだったので、倒れてくる心配がなかったから、家族4人2階の寝室で揺れが収まるのを待ちました」。
前震の時と同様に奥さんが落ち着いていたので、安心してまた園に向うことができたとのこと。
職員の中には、前震の震源地である益城に居を構える者もいたが、新築ということもあり家の倒壊は免れたものの避難所泊と車中泊が続き、しばらくはそこから出勤していたという。
幸運にも、一番大切な水は江津湖と動物園を挟む南門の近くから出る湧き水で確保することができた。園の隣には豊富な湧き水で知られる江津湖があったのだ。日頃から飲める水としても知られていた水場で、地震から水が止まっていた1、2週間ほどは多くの住民が水を汲みにくる命の水場となった。
昼間は住民の方々で長蛇の列が出来ていたので、園の職員は夜間に水を汲んだ。地震から10日間ほどは10人体制で泊まり込み、ポリタンク50缶と水族館から借りた水槽とに水をいっぱいにするのが夜間の重要な仕事となった。
「園には施設班と呼ばれる職員がいます。その職員たちが水道の配管をひとつずつ掘り起こし、既存の道具を使いながら手作業でつなぎ合わせ修理していってくれました。業者さんにすぐに来てもらうことは難しい状況でしたから本当に助かりました」(松本さん)
睡眠不足や食欲不振に陥ってしまった動物たち
地下水ポンプから消防ホースをつなぎ、各動物舎へ水を送れるようになったのが地震から2週間後のこと。その間、ライオン、アムールトラ、ユキヒョウ、ウンピョウなどの5頭の猛獣は九州にある他の園で一時的に預かってもらうことが決まった。来年までかかるであろう工事が終わるまで長期の引越しとなった。
地震後も猛獣たちは意外にも落ち着いていたという。その一方で、サルなどの霊長類のほうが神経質になり、人間と同じように大きなストレスを抱え、睡眠不足や食欲不振に陥ってしまった。
中でもアンゴラコロブスという木の葉を食べるサルはしばらく食べることができなくなっていたそうだ。前震も本震も2度の揺れを寝室で体験しているので、寝室を特に怖がったらしい。
担当職員が毎日運動場に連れていき、落ち着かせ、1週間過ぎた頃から少しずつご飯を食べられるようになった。また同じ状態となったチンパンジーの飼育担当、福原真治さんも家族の理解のもと昼夜問わず見守った。
震災から1年が経った現在も、園内のあちこちで消防ホースが張り巡らされ、液状化した時に溢れ出た砂が地面を覆い、地盤沈下のためにできた段差は激しく残る。
地震後しばらくは工事関係者の手も足りず、園内の整備のほとんどは職員が行なってきたが、時間の経過とともに道路などのインフラも改善され、ようやく業者による工事も進み出した。
安全な場所にいる動物だけでも子供たちに見てもらえたらと、今年の2月25日から週末祭日のみ一部開園することが決まった。観覧車やモノレール、メリーゴーランドなどの遊戯施設も一緒に楽しんでもらえるよう、こちらも急ピッチで工事が進められた。
天気にも恵まれた初日、開園を待ち望んだ子供や市民で園内は賑わいを見せた。久しぶりに響き渡る子供たちの声を聞きながら、職員たちは笑顔いっぱいでおもてなしをした。
獣医の松本さん(前出)は、展示できる動物は限られるが、その習性や今の状況をお客さんに伝えるため、マイクを持って話し続けた。久しぶりに賑わった園内に職員たちは心地よい疲れを感じた。
「動物園は笑顔が生まれる場所なんですね」
久しぶりの開園で、ひときわ疲れを見せていた若い女性の獣医は言う。「食肉検査場から動物園に異動してきてすぐに地震が起きたので、人が入った園をあまり経験していないんです。動物園は笑顔が生まれる場所なんですね。疲れたけどみんなの笑顔を見て幸せな気持ちになりました」と、にっこり笑った。
非常事態に動物に寄り添いながら、働く職員の家族とともにみんなで守った動物たちの命。地震によって命を落とした動物が1頭もいなかったことが何よりの誇りだ。
一部開園にこぎつけはしたものの全園オープンまで、またさらに1年はかかる見込み。平成30年4月の完全オープンまでまだ長い道のりではあるが、熊本県民にとって、熊本市動植物園が光り輝く希望の場所となっていることは間違いない。
(取材・文・撮影/尾崎たまき)
■尾崎たまき 熊本県出身の水中写真家。19才の時にダイビングに挑戦し、海の持つ力強さや生きものたちの健気な生き様に感動。水中写真家・中村征夫氏の弟子として11年間研鑽を積む。2011年より独立。水俣、三陸、動物愛護等をライフワークに追い続けている。著作物に「水俣物語」「みな また、よみがえる」(新日本出版社)「お家に、帰ろうー殺処分ゼロへの願いー」(自由国民社)など。