東電の驚くべき賠償業務の実態とは? 実際に業務に携わっていた元社員が告発! 東電の驚くべき賠償業務の実態とは? 実際に業務に携わっていた元社員が告発!

福島第一原発事故後の2011年9月から始まった、東京電力による被災者への損害賠償。その総額は7兆円を超えている(4月時点)。

その一方、賠償金が支払われないなどとして、国の開設した原子力損害賠償紛争解決(ADR)センターに被災者が仲裁を申し立てた件数は2万件を超えるなど、すんなり解決に至らないケースも多い。

賠償の現場では何が起きているのか。前編記事に続き、実際の業務に携わっていた元東電社員・一井唯史(いちい・ただふみ、36歳)氏に話を聞いた。

■名刺は持たされず家族にも「通勤場所を伏せろ」

一井氏は2012年5月から別グループに異動し、法人賠償の審査も手がけるようになった。そこでは、賠償金をなるべく出さないようにする上司と衝突している。

―どんなケースでしょう?

「原子力発電所の運転訓練をする企業から、原発事故のせいで避難を余儀なくされ、営業損害が出たとして総額13億円近い請求がありました。この会社は、私が協議グループにいたときに『審査がズサンで賠償金が出ない』とお叱りを受けていたところです。

上司に承認をもらおうとしても、『事故を起こした東電と同じ業界にいる原発関連企業は賠償対象外だ!』と、受けつけてくれないことがありました。

当時、賠償金全体を抑える動きが出ていて、真っ先に目をつけられたのが原発関連企業でした。しかし、事業内容や事業規模にかかわらず、損害に応じた適正な賠償金を支払うのは当然というのが私の考えです。それに原発関連企業が倒れれば廃炉作業に支障が出てしまいます。

結局、なんとか上司に認めさせ、その額は6億6000万円に上りました。もし賠償金の支払いがなければ、その会社は経営危機に追い込まれてもおかしくなかったと思います」

―賠償額を絞ろうという動きはいつ頃から?

「2012年の7月頃、賠償総額が想定を超えて膨らんできたため資金繰りが間に合わないという話がされていて、賠償審査のマネージャーらに賠償を抑えるよう指示があったのではないかと思います。

私も担当マネージャーから『審査が甘い。もっとちゃんとやるように』と何度か言われるようになり、賠償の承認をもらいに行っても突き返されることが増えました。現場の審査担当者同士で『審査が急に厳しくなった』と話したのを覚えています」

―この部署があった建物に、東電という名前はどこにも見当たらなかったそうですね。

「東京・有明(ありあけ)の国際展示場近くにある大きな貸しビルの半分くらいを借り切っていたのですが、『場所がわかると被災者が押し寄せてくるから』というのが会社の言い分です。同じ理由から社員は名刺も持たされず、家族にも『どこに通勤しているか伏せろ』と言われました」

賠償の可否を左右するポストをひとりで担当

―家族にも、ですか。

「もちろん、SNSで会社に関することを書くのも禁止です。さらに当時は、民主党・野田政権でしたが、朝礼ではグループの上司が、『原発を推進する自民党に政権が代わるまでは、みんなおとなしくしていること!』と臆面もなく話すのです。社員だけではなく、派遣社員もいる前でのこうした発言には、とても違和感を覚えました。

また社内では、東電の再生と福島の復興のために、原発の再稼働が必要不可欠だという考えが根強くありました。再稼働によって得られる利益を賠償金の原資にしようというのです。しかし、東電は原発が止まってからも、電力事業で2013年度から毎年利益を上げ、15年度は連結の経常利益で3259億円を出しています」

―原発事故前から、こうした体質を示すものはあった?

「私が内定をもらった4ヵ月後の2002年8月に、原子炉の自主点検記録を改竄(かいざん)して部品のひび割れを隠したことが明らかになりました。社会的に批判を浴びて、当時の社長が辞任する事態にまでなった。

そのとき会社は『言い出す仕組み』という幼稚園児に言い聞かせるようなスローガンを社内で掲げて風通しのいい組織にすると言っていたのですが、実際は会社の方針に異を唱える社員は変な目で見られて閑職に追いやられる、そういう空気は事故後もまったく変わりませんでした」

■賠償の可否を左右するポストをひとりで担当

一井氏はその後、2013年2月から賠償の社内相談窓口の担当となる。これは約450人いる法人賠償の担当者が判断に迷った際、その相談を受けつける部署で、賠償の可否を左右する責任の重いポジション。難易度の高い案件が持ち込まれるため常に緊張を強いられる。その担当者はたったの6人だった。過酷な業務が重なり、ついに体調を崩してしまう。

―一日の勤務スケジュールを教えてください。

「就業時間中は目いっぱいの相談業務があり、それが終わると夜中まで事務作業です。帰宅は毎日深夜1時過ぎ。睡眠時間は3時間半から4時間しか取れません。2013年4月の時間外労働は記録上だけで89時間に上り、仕事の緊張からベッドに入ってもよく眠れない日々が続きました。

それに私の場合は、賠償基準に関する経験が乏しいなかで、それを総括するポジションへの異動を命じられたため、通勤電車の中や休日でも賠償基準の参考資料をひたすら読む必要に迫られました。

さまざまな産業の複雑な賠償事例を頭に叩き込んでおかないと、相談に応じられないのです。そうした時間も含めると、時間外の労働は少なくとも月170時間近くにまで膨らんでいました」

うつ状態と診断され休職に

―過労死ラインは月80時間の残業とされています。

「当時、東電は賠償業務を派遣社員にやってもらうことを決め、われわれ6人のうち4人が、その準備に振り分けられました。つまり、450人の相談をふたりでこなすことになったのです。その上、ひとりがダウンしたため、実質私だけで担当することになりました。

その時期は、電気事業への異動に伴う引き継ぎやフロア替えの作業も重なり、忙しくて本当に気が狂いそうでした。それでも自分の判断で被災者の方々の賠償内容が決まると思うと、気を緩めることはできません。極度の緊張から、仕事中に気分が悪くなり視界が狭くなったりしました。疲れすぎて昏睡(こんすい)してしまい、出社できなかったこともあります」

―こうした過重労働を余儀なくされて、休職に至ったと。

「2013年7月の定期異動で電気事業へ戻ったものの、自分の体をコントロールすることができなくなっていました。仕事中にめまいや吐き気を催しトイレに駆け込むことが何度もあり、異変に気がついた上司から心療内科へ行けと言われ、医師からうつ状態と診断されたのです。その年の9月から仕事を休まざるをえなくなりました」

 一井氏は13 年9月から休職していたが、昨年11月に傷病休職満了を理由に東京電力を退職となった。辞令を手にする一井氏 一井氏は13 年9月から休職していたが、昨年11月に傷病休職満了を理由に東京電力を退職となった。辞令を手にする一井氏

―聞いていると、東電という会社は現場の人を大切にしない印象を受けます。

「私の後任の女性社員は電気事業から来ましたが、いきなり重要な判断に迫られる賠償のスペシャリストにされるのです。その女性はストレスで難聴になったと聞いています。

また、原発事故後も避難準備区域から福島県内にある勤務先に通っていた社員は、転勤で避難区域外に住居が変わったことを理由に、2012年12月に賠償金が打ち切られました。さらに、区域外に転出した11年6月からは『払い過ぎた分』として、東電は数百万円の返還を求めたのです。

国の指針では原発事故による避難者に一律月10万円などを一定期間支払うことになっています。東電の社員であろうとそれは例外ではない。しかし、少しでも賠償金を抑えようとこうしたことは平気でします。このとき、賠償審査の部署には、『この社員から電話があるかもしれないから、対応を注意すること』との指示が出されていました」

* * *

賠償の現場で約2年働き、様々な事例を見てきた一井氏は、東電の被災者への誠意がいかに上辺だけかを実感し、社員として申し訳ない気持ちになったと話す。

原発事故で家族や親族、地域のつながりを分断され、仕事を失った上に賠償さえ受けられず苦しんでいる人たちがまだ大勢いる。そうした被災者が救われるためにも、自分本位な東電の賠償のあり方が見直されることを願っているという。

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(インタビュー・文・撮影/桐島 瞬)

●一井唯史(いちい・ただふみ) 2003年に東京電力入社。原発事故後の11年9月から賠償部門に異動。うつ病を発症し、13 年9月から休職、16年11月に退職に。労災認定を申請中