茨城県取手市の中学3年女子生徒がいじめによって自殺に追い込まれた事件など、2013年に「いじめ防止対策推進法」(いじめ防止法)が施行されて以降も、被害を受けた子供が自ら命を絶つ悲劇は繰り返されている。
外国人記者の目には、日本のいじめ問題はどう映っているのか? 「週プレ外国人記者クラブ」第81回は、英「エコノミスト」などに寄稿するジャーナリストで、日本で2児の子供を育てるデイヴィッド・マクニール氏に話を聞いた――。
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―2015年11月に女子生徒が自殺した取手市の事件では当初、市教育委員会はいじめの事実を認めず、生徒の両親が第三者委員会の設置を要求。しかし、第三者委員会は全く機能せず、先日、両親の求めにより解散しました。
マクニール この事件の報道に接した時、「またか」という印象を抱きました。私は以前、神奈川県の津久井町に住んでいたのですが、1994年に近所で起こったいじめ自殺事件の裁判を取材して記事を書いたことがあります。
相模原市から津久井町に転居した中学2年男子生徒が新しい学校でよそ者扱いされ、数ヵ月間いじめられた後に自ら命を絶ってしまったのです。その前に彼のお母さんがいじめに気付き、学校に相談していたのですが、いじめはその後も繰り返されていました。ご両親はいじめはなかったと主張する学校や町教委を提訴し、2002年、東京高裁が被告側に損害賠償を命じました。「学校はいじめによる自殺を予見できた」ことを認定する判決は初めてのケースだったとされています。
―学校や教育委員会がいじめの事実を認めないというケースは他にも多く見られます。このような隠蔽体質はどこからきているのだと思いますか?
マクニール 学校や教育委員会が組織の名誉を守ろうとするからでしょう。学校の先生の労働状況にも問題があります。忙しさが尋常じゃない上に、1クラスの生徒数が多すぎる。40人もの生徒ひとりひとりに目を配り、いじめを見極めるのは簡単なことではありません。フィンランド、デンマーク、エストニアといった国では、1クラスの生徒数が20人程度と少ないので、先生が各生徒に十分なケアをできるそうです。
私の知り合いの日本人に、かつてインターナショナルスクールに勤務し、現在は息子を公立の幼稚園に通わせている女性がいます。息子が幼稚園でいじめを受け、そのことを報告すると、先生はほんの少数の保護者たちに漠然とこの話を伝えるだけに留めました。
しかし、かつて彼女が勤務していたインターナショナルスクールでは、いじめがあれば公にして直接話し合っていた。一方で、日本の学校は問題をうやむやにしてしまう。これこそ日本の学校の典型だ、と彼女は言っていました。
―2013年に「いじめ防止法」が施行されましたが、2015年度に全国の学校が認知したいじめは22万4540件と過去最多でした。
マクニール 法律の施行によって認知件数が急増したわけですが、一番多かった千葉の2万9665件に対し、一番少ないのは佐賀で351件。この数字の開きは人口の多寡(たか)によるものではないでしょう。地域によって調査方法などに差があり、いじめがきちんと認知されていないことが読み取れます。そして、2015年度には9人が自殺で亡くなっています。
法律はできた、各自治体はいじめ対策を強化している、いじめに関する本も無数に出版されている…しかし、私が取材した津久井町の事件の頃から、状況は根本的には変わっていないように思います。
日本のお父さんたちは働きすぎです
―マクニールさんの母国アイルランドやイギリスでも、学校や教育委員会の隠蔽体質は見られますか?
マクニール アイルランドにも、いじめによる自殺はあるし、他のヨーロッパ諸国にもあるでしょう。しかし、いじめを隠蔽しようとする体質は見られません。
私も幼い時、「赤毛」だという理由でいじめられた経験があります。今は見ての通りのヘアスタイルですけれど。アイルランドやイギリスでは、いじめる側はせいぜい2、3人ですが、日本では集団的ないじめが多く見られますよね。このあたりが大きな違いで、文化的背景が要因になっているのだと思います。
―文化的背景というと?
マクニール 集団の和を重んじるのは日本の美徳でありますが、同時に弱点でもあると思います。息子が小学校でいじめにあっていた私の友人は、先生から「問題はあなたのお子さんにあるようです」と言われたそうです。和を乱すような行動を取っているほうに問題があるのだと。日本の学校は、問題を解決するよりも和を重んじることを優先するようです。
アイルランドやヨーロッパ諸国では、子供は感情を表現することと同時に、感情をどう処理するかを学びます。感情を表すことに問題はない、そのやり過ごし方を考えるべきだと。
「出る杭は打たれる」という言葉がありますが、日本の学校では自己主張して目立つよりも、その他大勢に合わせることが求められる。そして、自分の感情を抑圧することを学ぶ。そのような感覚は大人になっても続きます。私の息子が通う保育園で、保護者たちの間で意見がぶつかり合い、あるお母さんが反対意見を述べただけで村八分になったという話を聞きました。ヨーロッパ出身の私からすると、どう考えてもこれはおかしい。
日本の学校は規則も厳しいし、集団への協調性が求められます。OECDが2015年に実施したPISA(国際学習到達度調査)のアンケート結果によると、日本の学生の「生活満足度」はOECD参加47ヵ国のうち下から6番目でした。これは集団の和を重んじるあまり、感情を抑圧していることに起因しているのではないでしょうか。
―他に、日本でのいじめの原因として何が考えられますか?
マクニール ヨーロッパのほとんどの国では、教師による体罰が禁止されています。アイルランドも1982年に法律により禁止されました。私が子供だった70年代には、先生から殴られたり、ものさしで手を打たれたりといった体罰は日常茶飯事でした。これは子供に悪い影響を与えます。暴力を容認することを学んでしまうからです。日本の学校でも先生による体罰は法的に禁止されていますが、依然として存在していますよね。
また、日本ではいじめた側が処罰の対象となることはほとんどない。厳罰化するべきだとは思いませんが、保護されるべきはいじめられた側のはずです。
―日本社会は本当に子供を大切にしていると思いますか?
マクニール とても難しい質問ですね。もちろん親は子供を愛していると思います。ただ、社会全体としてはどうか…。子供時代は誰もが通り過ぎる人生のひとつのステージですが、日本の社会や教育制度は、子供を規律正しくしつけて、規則に従う人間に育て上げることが目的のように見えます。
社会が本当に子供を大切にしているのなら、父親の仕事量を減らすべきだと思います。日本のお父さんたちは働きすぎです。平日は夜遅く帰宅して、週末は疲れ果てて子供たちと過ごす時間も取れない人が多い。どんな社会でも、そこまで働く必要はありません。
(取材・文/松元千枝 撮影/長尾 迪)
●デイヴィッド・マクニール アイルランド出身。東京大学大学院に留学した後、2000年に再来日し、英紙「エコノミスト」や「インデペンデント」に寄稿している。著書に『雨ニモマケズ 外国人記者が伝えた東日本大震災』(えにし書房刊 ルーシー・バーミンガムとの共著)がある