表現を表面的に削るだけでは差別はなくならないと指摘するモーリー氏

『週刊プレイボーイ』本誌で「モーリー・ロバートソンの挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンがアメリカのロックバンドの商標登録をめぐる訴訟からみる“差別問題”について語る!

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先日、アジア人に対するスラント(=つり目)という蔑称をグループ名に使用したアメリカのロックバンド「The Slants(ザ・スランツ)」の商標登録をめぐる訴訟で、米連邦最高裁判所がバンド側勝訴の判決を下しました。「差別的な言葉を、差別される側(バンドメンバーはいずれもアジア系アメリカ人)が肯定的な意味で使うのはOK」というバンド側の主張が認められた形となります。

社会の断層が深まる現在のアメリカで、わざわざ差別表現を使う必要はないとの意見もあります。しかしその社会で差別的とされる表現を、臭いものにフタをするかのように封印したり、表面的な言い換えで“漂白”することが、本当に差別をなくすことにつながるとは思えません。

例えば、米奴隷制時代に黒人奴隷たちが口ずさんだ「Slave Songs(スレイブソング)」。人々の悲哀や苦しみ、それを乗り越えようとする明るさ、そして当時の労働者ならではの卑猥(ひわい)な言葉も飛び出す生々しい歌詞……。歴史の教科書には載らない“エグさ”がそこにはあります。

実は、スレイブソングは長らく、白人のみならず黒人にとっても「ふり返りたくない負の遺産」という色合いの濃いものでしたが、昨今では黒人たちの間で再評価する動きもあります。アフリカ大陸から強制的に連れてこられた祖先の“魂の歌”を知ろう。白人たちの罪を糾弾するためでなく、過去と向き合い、未来の差別をなくすためにーーと

それを助けたのが、残された記録でした。19世紀の南北戦争前夜、「こうした歌は後世に残すべき」と考えた北軍(現在のアメリカ合衆国)側の知識人らは、南部の黒人奴隷に直接面談してスレイブソングを譜面に起こし、歌集として出版するなど歴史の保全に努めたのです。

日本の表現者には「問題を起こしたくない」という体質が染み込んでいる

翻(ひるがえ)って、日本はどうでしょうか。戦後もしばらくの間、日本社会には様々な差別がむき出しでした。僕が幼少期を過ごした昭和40年代も、子供が見るマンガやアニメには、東アジアの国々などに対する差別意識、あるいは欧米に対するゆがんだ劣等感が生々しく表出していたものです(日米ハーフとして日本社会を生きていた僕は、より敏感にそれを感じ取ったのかもしれません)。

しかし、時代を経るごとに日本の言論空間やメディアは“漂白”されていきました。24年前、作家・筒井康隆氏の断筆宣言に至った日本てんかん協会との騒動は象徴的な事件ですが、それ以降も“表現規制”はがんじがらめになるばかり。今やテレビのプロデューサーから作家、芸術家、ミュージシャンまで、日本の表現者には「問題を起こしたくない」という体質が染み込んでいますし、近年では例えば『妖怪人間ベム』など過去の名作アニメが再放送される際、多くのセリフに“ピー音”が重ねられてしまうという事例もあります

“漂白されたコンテンツ”だけの社会が、本当の意味で差別をなくせるのか――。「今その社会で差別とされるもの」は時間の経過とともに消えていくかもしれませんが、しばらくすればまた別の“差別の芽”が顔を出すでしょう。差別とは人の心から決してなくならないものだからこそ、正面から向き合う必要がある。表現を表面的に削るだけでは差別はなくならない。それもまた、ひとつの真理なのだと思います。

●Morley Robertson(モーリー・ロバートソン)1963年生まれ、米ニューヨーク出身。国際ジャーナリスト、ミュージシャン、ラジオDJなど多方面で活躍。フジテレビ系報道番組『ユアタイム』(月~金曜深夜)にニュースコンシェルジュとしてレギュラー出演中!! ほかにレギュラーは『NEWSザップ!』(BSスカパー!)、『モーリー・ロバートソン チャンネル』(ニコ生)、『MorleyRobertson Show』(block.fm)など