あなたの身の回りにも、世の中の不祥事や芸能スキャンダルに対して、直接関係があるわけでもないのに“正しさ”を振りかざそうとする人がいないだろうか。そんな、「正しさを振りかざす人」はネット上にも多く存在する。彼らの根底にある心理とは、いったいなんなのか。
心理学者の榎本博明氏の『正しさをゴリ押しする人』は、そんな彼らの攻撃衝動と、それを生み出す現代社会の様相を細やかにひもといている。現代を生きるわれわれにとって、この現象はもはや人ごとではないはずだ。
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―これまで心理学にまつわる数多くの著書を書かれてきた榎本さんが、本書を書こうと思い立ったきっかけはなんでしょうか。
榎本 まず、私が本を書くときは、「こんなどうしようもない人がいるぞ」と人をあざ笑うのではなく、「もしかしたら、自分もそうかもしれない……」と読者に後から気づきを得てもらえるよう常に心がけています。特に近年は、不景気や不透明な将来性によって世の中の空気がよどんでおり、人々の欲求不満が多く渦巻いています。
かつては、そういった状況でも冷静に自分の感情を制御できる人が多かったのですが、SNSとスマホの台頭によって、どこでも攻撃衝動を発散できるようになりました。相手の落ち度を見つけてはネット上で叩き、“正義”を振りかざす。でも、そこで相手の視点と立場を無視していては、ただの攻撃やイジメです。そのことにもっと気づいてほしいという思いがありましたね。
―なるほど。しかし、「日本人は謙虚である」とも書かれていますね。国際的なツールであるSNSですが、このような問題は海外ではより大きく取り沙汰されているのでしょうか?
榎本 SNSによる攻撃は海外でも問題にはなっています。ただ、欧米人は日本人と比べて“自己”の構造が大きく異なっているのが特徴です。欧米人は自分の殻をしっかりと持っているので、「自分は自分。人は人」と幼い頃から叩き込まれ、自分と他人が切り離されています。
一方で、日本人は「常に人と一緒にいるのが当たり前」という教育を受けています。すると、SNSでつながっていようと欧米人は “個”がしっかりとしていて自分を守れるのに対し、日本人は常に「相手あっての自分」なので、相手のことが気になって仕方がない、という現象が起こります。
日本社会は古くから相手を気にする「間柄の文化」であり、欧米社会は「自己中心の文化」です。なので、欧米人は自分の言いたいことを言うのが当たり前なんですね。日本だと「それはダメだ。自分勝手すぎる。相手の立場や気持ちを考えて何を言うべきか」と自己をコントロールしようとします。常に誰かとつながれるSNSの負の影響は、そうやって常に相手を気にする文化を重んじる日本のような国にこそ、より顕著に表れたりするんですよ。
職場で「正義を振りかざす人」と関わることになったら?
―コメント欄やレビューなどネット社会全般において攻撃的な発言は問題視されています。
榎本 日本のネット社会は、コミュニケーションの多くが匿名で行なわれているのが大きな特徴です。ほかの国であれば、匿名のものはたいてい相手にされず、名乗らなくてはいけません。しかし日本人は、「自分がどう思われているか」を気にするため、多くが匿名にします。そのことの良い面は、「優しく秩序のある、思いやりのある社会をつくっている」ということですが、悪い面を考えると、それは「自己規制をしすぎてしまうことで、言いたいことが言えなくなってしまう」ということであったりします。
今年話題になった「忖度(そんたく)」という考え方も同様です。規制される前に自己規制してしまっている。これは、相手を気にする「間柄の文化」の悪い面だともいえます。なので、今のネット攻撃の問題にしても、「誰か落ち度のある人を攻撃する」というのは、ひとつのパターンとしてありますが、もうひとつ、「政治思想や自らの正義」を振りかざしているつもりの人は、相手には相手の理屈があることを理解できていません。
本書でも、「理屈と理屈の争い」は「どちらが正しい」というのではなく、互いに言い分があるのであって、視点によって何が正解であるかは違ってくる、ということについて触れています。今の多くの人は視野が狭くなっていると思いますね。ある意味、日本人の良さが失われつつあるともいえるでしょう。そのようなやり方は、欧米人に多く見られるものですからね。
―攻撃こそしないものの、日常でストレスを感じることや、SNSで見た知人の生活などにねたみを抱いた経験があります。これは、危険なサイン?
榎本 ストレスをため込むことは誰にでもあります。問題はその「発散=対処行動」ができているかどうかです。スポーツ観戦でも、カラオケで熱唱するでもいい。時折自分の好きなことで発散できるといいでしょう。自分の殻に閉じこもってしまうと、そのストレスがどんどん蓄積してしまいます。ネットにハマりすぎて、そこにしか友達がいないとなると、「認知のゆがみ」ができてしまい、「敵意帰属バイアス」がかかってしまいます。
敵意帰属バイアスというのは、相手がなんの敵意や悪気もなく言ってきた言葉なのに、「これは自分のことをバカにしているんだ」などと解釈してしまう症状のことで、突然キレたり、「あいつは許せない」といったネット攻撃、対面で怒鳴りだす、などといった欲求不満の爆発が起こります。
―では、職場などのコミュニティで「正義を振りかざす人」と関わることになった場合、どう向き合えばよいでしょう。
榎本 現実的には非常に難しい部分でもありますが、相手にあまり深入りしない、ある程度の距離を置くことは重要ですね。あとは、相手を変えようとしないことです。反論をすれば深みにハマっていきます。相手が攻撃性をはらんでいる場合、ちょっと親しくなるとどんどん要求してきたり、誘いがきたりして、密着感が増してきます。そういった自己コントロールの利かない一方的な自己中心的タイプの人は「危ない人」といえるでしょう。
そして気をつけなくてはならないのは、ヘタに親しくなった後に距離を置こうとすると「裏切られた」とか「見損なった」などと言いがかりをつけて攻撃される可能性が大きくなるということです。あまり初めから懐に飛び込んだりせず、冷静に様子を見ることが大切です。
(撮影/五十嵐和博)
●榎本博明(えのもと・ひろあき) 心理学博士。1955年生まれ、東京都出身。東京大学教育心理学科卒。東芝市場調査課勤務の後、東京都立大学(現・首都大学東京)大学院心理学専攻博士課程中退。カリフォルニア大学客員研究員、大阪大学大学院助教授などを経て、現在、MP人間科学研究所代表、産業能率大学兼任講師。心理学をベースにした企業研修、教育講演を行なっている。著書に『「過剰反応」社会の悪夢』(角川新書)など多数
■『正しさをゴリ押しする人』 (KADOKAWA 820円+税) 「自分の主張こそが正しい」と、それだけを信じ込み、押しつけてくる人がいる。だが、それは本当にその物事を「正しい」と思って行なう主張なのか……? そのような「正しさ」のなかには、「ゆがんだ正義感」と「攻撃性」が隠れてはいないか? 心理学者として大学で教鞭を執り、心理学を基盤とした多くの企業研修も行なう筆者が、一歩間違えると「危ない人」にもなりえてしまう人間の心理と、それを取り巻く環境について考える