1月8日の「成人の日」、今年は123万人(総務省推計)が新たに「大人」の仲間入りを果たしたが、明治以来、続いてきた「20歳」という成人年齢を「18歳」に引き下げる民法改正案が今月から始まる通常国会で成立する見通しだ。
成人年齢の引き下げが意味するものは何か? また、日本人は欧米と比べると「子供っぽい」と言われることもあるが、「大人になる」とはどういうことなのか?
「週プレ外国人記者クラブ」第103回は、フランス「ル・モンド」紙の東京特派員、フィリップ・メスメール氏に聞いた──。
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─「成人の日」といえば、毎年のように「新成人の子供じみた大騒ぎ」がニュースになり、それに大人たちが苦言を呈する...というのが恒例になっています。長年、日本に暮らしているメスメールさんは、この「お決まりの景色」をどう見ていますか?
メスメール 確かに、毎年おなじみの光景ですね。でも、僕はそうした若者たちを批判しようとは思いません。なぜなら、皆さん、自分の若い頃を思い出してほしいのですが、20歳の若い男女をあれほど大勢1ヵ所に集めたら、彼らがハメを外してバカ騒ぎしたくなるのは当たり前じゃないですか。
むしろ、僕はそういう若者たちを毎年、批判し続ける「大人たち」を批判したいですね。そういう大人たちは新成人たちのバカ騒ぎに顔をしかめることで、自分たちが大人だということをアピールしたいのかもしれません。自分たちが20歳の時はどうだったのか、忘れてしまっているのでしょう。
─フランスには「成人の日」とか、自治体が行なう「成人式」みたいなものはあるのでしょうか? ご自身は自分が「大人になった日」を覚えていますか?
メスメール フランスには「成人の日」も「成人式」もありません。あったら大変ですよ。あの国で若い男女を大勢1ヵ所に集めたら、日本の成人式のバカ騒ぎなんかじゃ済まないと思います。ヘタをしたら暴動になっちゃうかも(笑)。
日本と違ってフランスの成人年齢は18歳ですが、単純に18歳の誕生日が来たら「大人」という感じで、僕も「ああ、今日から大人の仲間入りだ」というような特別な感慨はありませんでしたね。18歳になったので、すぐに自動車の運転免許を取りに行ったぐらいかな。大人になって選挙権は与えられたけど、国政選挙があったのはその2年後でしたし。
─日本でも、今月始まる通常国会に民法改正案が提出され、成人年齢が20歳からフランスと同じ18歳に引き下げられることになりそうです。フランスの成人年齢が18歳になったのは、だいぶ前のことですよね?
メスメール 1974年ですから、もう44年前ですね。1968年の「五月革命」以降、学生を中心とした若者の政治参加を求める声が高まっていた中で、当時のジスカール・デスタン大統領が成人年齢をそれまでの21歳から18歳に引き下げ、18歳以上に参政権が与えられることになりました。おそらく、日本の民法改正も若者の政治参加や政治への関心を高めたいという目的があるのだと思います。
日本でも一昨年、選挙権年齢の18歳への引き下げが実現しています。また、今回の民法改正後も、少年法の適用年齢や飲酒や喫煙については「20歳以上」という規制を維持するようなので、新たに成人年齢を18歳に引き下げることが、正直、それほど大きな意味を持つとは思えません。
今回の民法改正で大きく変わることといえば、これまで男性は18歳以上、女性は16歳以上とされていた結婚年齢が男女とも18歳に統一され、18歳以上の「成人」であれば、親の許可がなくても自分の意志で結婚できるようになることぐらいでしょうか。結婚年齢を男女で統一したことは、基本的に良いことだと思います。
とても重要な「大人」の条件とは...
─法律上の「成人年齢」というのは、いろんな意味で「大人とは何か?」あるいは「社会が大人に何を期待しているのか?」という問いにも繋がると思います。時々「日本の若者は欧米に比べて子供っぽい」という声を耳にしますが、メスメールさんはどう思いますか?
メスメール 「大人である」ということは、ひと言でいえば「ひとりの個人として責任を負う」ということだと思います。言い換えれば、ひとりの人間として自分で考え、その考えに基づいて判断したり、社会を構成する一員としての自覚を持って行動したりできるということです。
僕は日本の若者たちは皆、能力も高く、誠実で優秀な人が多いと思いますが、唯一、フランスとの大きな違いを感じるのが、日本の若者の「政治」への意識や関心の低さですね。「大人」として参政権を与えられるということは、その国の政治や制度に対しても、ひとりの独立した個人として「責任」を負うことを意味します。
ところが、日本の20歳や18歳に選挙について聞くと「政治はよくわからない」と答える若者が驚くほど多い。これはフランスではあり得ません。18歳になれば皆、自分なりの政治への意見を持ち、誰に投票するのかは自分で決めるのが当たり前です。
─そうした日仏の「若者の政治への意識の違い」はどこからくるのでしょう。
メスメール 僕は「教育の違い」に大きな理由があると考えています。フランスの教育制度は「大人」になる18歳までに政治への興味と関心を育て、それぞれが自分の意見や考え方を持つ「独立した有権者」を育てることを重視しています。
一方、日本の教育制度はあまり政治に触れたがらず、逆に一種のタブーのように扱っているように見えます。フランスの教育が「自分の意見を持ち、それをはっきりと主張できる人間」を育てるのに対して、日本の教育はむしろ「あまり自己主張しすぎず、協調性を持って社会に適応できる人間」を育てることを重視しているので、政治についても「自分なりの意見」を持つのではなく「なんとなく周りに合わせる」ということになるのでは?
─つまり、フランスでは「一個人として自分の考えを持ち、それをしっかりと主張できること」が「大人の条件」であり、そうした大人を育てることが教育の目標であるのに対して、日本の場合は「あまり自己主張せず、自分を抑えて、ちゃんと社会や周囲に合わせること」ができるのが大人の条件だとみなされ、教育の主な目的がそうした「協調性」を育てることに向けられている...と。
メスメール そう考えると、日本が18歳に選挙権を与え、さらに民法を改正して成人年齢を18歳に引き下げるとしても、それだけで日本の若者の政治への関心や有権者としての自覚が高まるようには思えません。それと同時に、教育でも政治への関心を育て「自分の意見を持ち、それをきちんと主張できる」大人を育てなければ、結局「迷える有権者」を増やすだけです。ところが、日本の政治家たちは逆に、この国の教育をこれまで以上に「型にハメる」方向に変えようとしているように見えます。
─最後にちょっと変わった質問をひとつ。人間にも「大人な人」と「子供っぽい人」がいるように、国にも「大人な国」と「そうでない国」があるような気がします。メスメールさんは「大人な国」の条件ってなんだと思いますか?
メスメール うーん、「大人な国」...難しい質問ですね。基本的には「人間」の場合と同じで、まず、その国が独立したひとつの国として、自分で考え、その考えを主張し、同時に国際社会の一員としての自覚や責任をきちんと持つことでしょうか。もちろん、経済的にも政治的にも、他国に依存するのではなく、きちんと自立できることが必要です。
ただ、そうした条件を満たす「先進国」の多くが本当に「大人な国」かというと、必ずしもそうとは言い切れない。多くの課題に直面する現代という時代は本当に複雑です。そうした世界の複雑さを理解し、幅広い視点でその複雑さにきちんと向き合う姿勢がなければ、本当の意味での「大人な国」とは言えない。日本や欧米の先進国でもそれができていない国は多いですね。
それからもうひとつ、とても重要な「大人な国」の条件があります。それは、「自分と異なる立場の相手」の考えを聞き、理解しようと努力する姿勢を持つこと。そして、お互いの立場の違いや利益の相反といった問題を暴力ではなく、「話し合い」で解決することができること。もちろん、これも「人間」の場合と同じですが、僕はそれができることが本当の「大人な国」の条件なのではないかと思います。
(取材・文/川喜田 研 撮影/長尾 迪)
●フィリップ・メスメール 1972年生まれ、フランス・パリ出身。2002年に来日し、夕刊紙「ル・モンド」や雑誌「レクスプレス」の東京特派員として活動している