1993年に起きた北海道南西沖地震はM7.8(震度6)だった。写真はこのときの津波被害に遭った奥尻島の奥尻町青苗地区。

政府の地震本部は、北海道巨大地震の発生確率が高まっていると発表。この年末年始には、関東地方で地震が連発。今、日本の地下で何かが起こっている!?

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昨年12月19日、政府の地震調査研究推進本部(地震本部)は、北海道東部沖の千島海溝沿いを震源に、東日本大震災のM8.8を超える“超巨大地震”がいつ起きても不思議ではないとの見方を示した。

その理由は、次のようなものだ。17世紀に北海道東部太平洋側で、沿岸から1~4km内陸まで浸水するような津波が発生したことが堆積物から推定される。これはM8.8超の超巨大地震だったという。その平均発生間隔が約340~380年。2018年現在、すでに約400年が経過しており、「発生が切迫している」というのだ。

ここで、北海道南部に残る興味深いアイヌ伝承がある。元東京大学地震研究所の准教授で、現在は深田地質研究所の客員研究員を務める地震学者の都司嘉宣(つじ・よしのぶ)博士によると、17世紀の地震では、北海道を標高60m地点まで達する津波が襲った可能性が高いというのだ。

「1611年に三陸地方を襲った慶長三陸地震というものがあります。伊達藩(仙台)や南部藩(盛岡)にはそのときの記録が残っていて、津波で約3千人の死者が出たといわれている。それほどの大きな津波が起きたならば、北海道でも被害があったはず。でも、当時のアイヌの人たちは文字を持っていないため津波の記録は残っていません。ただ、文字の記録の代わりに津波にまつわる口碑(こうひ)伝承が各地に残っていたのです」

都司氏は、アイヌの津波伝承が残る地が、近代以降に津波地震の記録がある場所とも重なることを示した上で、伝承の具体的な内容を語ってくれた。

「日高町のアイヌの伝承に『昔、松前からの使者が日高の沙流太(さるふと)に来て、平取(びらとり)以南の首長が集まった。そのとき津波が起き、沿岸の多くのアイヌが波にさらわれ、ニナツミのチャシ(砦[とりで])にいた老人も食事中に溺死した』というものがあります。

北海道南部を治めていた蠣崎(かきざき)氏が、徳川家康から『松前』という名字をもらったのは慶長4年(1599年)。だから、この津波はそれ以降となる。となると1611年の慶長三陸津波のときだったのではないかと考えられます。

また、ニナツミのチャシ跡の標高は61m。つまり、この高さまで津波がやって来て老人が波にさらわれたのです」

さらにアイヌ伝承に耳を傾けることで、現代人が学べるものとは!?

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(取材・文/村上隆保 写真/時事通信社)