東京地裁前で事件をレポートする「フェニックステレビ」東京支局長の李氏(中央)を、来日した他の中国メディアが囲むという異様な光景が…

日本ではほとんど注目されていないが、2016年に東京で起きた中国人留学生同士による殺害事件が中国で社会現象となっている

被害者となったのは女性留学生の江歌さん。彼女はルームメイトの劉シンさんと一緒に東京・東中野のアパートに住んでいた。犯人の陳世峰は劉シンさんの元恋人だったが、破局後も彼女に脅迫紛いのメールを送るなどストーカー的行為を繰り返していたという。

16年11月2日、彼女たちのアパートの外階段に潜んでいた犯人は、帰宅した江歌さんと揉み合いになった末、ナイフで彼女の頸部を刺して死亡させた。事件後、亡くなった江歌さんの母親は、犯人の死刑を求め450万人もの署名を集めるとともに、ルームメイトの劉シンさんに対してもブログで激しく非難したという。

これにより中国国内で報道が過熱し、昨年12月11日に東京地裁で開かれた初公判には中国メディアが大挙して押し寄せたのだ。

「週プレ外国人記者クラブ」第104回は、前編(東京で起きた「中国人留学生殺害事件」の狂騒)に続き、この事件を最も精力的に報道した「フェニックステレビ」東京支局長の李淼(リ・ミャオ)氏に話を聞いた。

裁判が終わった今も残る謎、そして、この事件によって浮き彫りになった様々な問題点とはーー。

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─「判決後も残る謎」とは、具体的には?

 最大の謎は、凶器に使われたナイフについてです。私が東京拘置所で犯人に取材した際も、彼は「ナイフは自分のものではなく、劉シンさんのものだ」と主張していました。そして、そのナイフを江歌さんが取り出したので、奪おうとして揉み合いになった、と。犯人は劉シンさんが江歌さんにナイフを渡した瞬間を見てはいないものの、そうとしか思えないと主張しています。

一方、検察は、凶器は犯人が大学の実験室から持ってきたものだと主張しました。実験室からナイフのケースが発見されたとしていますが、このケースに犯人の指紋は残っていません。

結局、「ナイフが誰のものか?」という点について、裁判所は「犯人はナイフが劉シンさんのものだと主張しているが、劉シンさんは自分のものではないと証言している。よって、ナイフは劉シンさんのものではない」としました。あまり論理的とは思えないし、少なくとも私の中では謎が残っています。

─凶器が、犯人があらかじめ自分で用意していたものかどうかは、刑の重さを決める上で重要な要素となるはずです。しかも、被害者となった江歌さんと揉み合いになって刺してしまったのであれば、過失となる可能性もありますね。

 そうです。揉み合いとなって犯人は江歌さんの頸部を刺し、これが致命傷となったのですが、江歌さんが死亡した後も、さらに10数回、彼女を刺しています。犯人は被害者が死亡した後に刺したことに関しては殺意を認めているものの、最初に致命傷を与えたことについては「殺意はなかった」と言っています。そのため犯人側弁護士は殺人未遂を主張し、最初の刺突は故意によるものではないと主張していました。

─最終的に懲役20年の刑が確定したわけですが、同じ量刑が下った裁判が2017年10月に福岡地裁で開かれています。この事件の犯人はナイフや斧を使って被害者に59ヵ所の傷を負わせています。これと比べても、今回の判決は少し重すぎる気がします。また、福岡地裁の裁判では、求刑は懲役22年でした。

 今回の裁判では求刑通り、懲役20年の判決が下っています。弁護士を含めて日本の裁判事情に詳しい識者たちにも取材しましたが、こういったケースは「極めて異例だ」とのことです。

また、証人である劉シンさんは別室からモニターを通じて証言しました。法廷には彼女を非難してきた江歌さんの母親もいたので、ふたりが感情的に対立する可能性を考えての措置だと思いますが、これも異例のことです。

他にも異例と言うべき要素が数多くあった裁判ですが、裁判長は大挙して来日した中国メディアに神経過敏になっているように見受けられました。日本の裁判所が外国メディアから注目されることに不慣れであることは、日本人の司法記者でも多くの人が指摘しています。

言い方を換えれば、国際化時代に対応できていない。確かに、私も日本で10年以上、取材活動をしていますが、今回のように中国で大きな注目を集めた裁判は過去にありませんでした。

“中国メディアいじめ”もあった?

─そこには、“中国メディアいじめ”のようなこともあった?

 ありました。私が最も怒りを覚えたのは、法廷の冒頭撮影を申請して断られた件です。法廷での審議の最中にカメラ撮影ができないのは承知していますが、通常、審議が始まる前の冒頭撮影は許可されるはずです。しかし、フェニックステレビの申請は却下され、日本の司法記者クラブには判決当日に代表による撮影が許可されています。

明らかに不当で、差別と言ってもいい対応なので、東京地裁の広報係に抗議し、質問書を送付して書面での回答を求めました。しかし、書面での回答は得られず、電話で説明を受けただけです。

「冒頭撮影の不許可が誰の判断だったか?」という質問に対しては、「裁判体の判断を踏まえ、組織としての東京地裁が判断した」という説明でした。裁判体というのは、裁判長を含めて裁判を行なうチームを指す言葉です。「不許可の理由は何か?」という質問に対しては「理由は、答えていない。了承してほしい」という説明でした。

また、質問書の中で、日本の最高裁判所による判例でも「報道の自由は憲法21条によって保障されなければならない」と指摘されていることを挙げ、司法記者クラブによる冒頭撮影が許可されたのもこういった憲法上の保障に基づいているはずだと伝えました。

そして今回の、外国メディアに対しては代表による撮影も許可されないという差別的扱いの理由も問いましたが、これに対しては「ご意見は拝見したが、お答えすることはない」という回答でした。

─悪名高き日本の記者クラブ制度ですが、その中でも司法記者クラブというのは最も閉鎖的な組織という印象があります。東京地裁の口頭による回答も官僚的ですが、結局、記者クラブというのも官僚機構の一部。そういった批判が的を射ていると思わせるケースですね。

 日本は今、グローバリズムの波の只中にいるはずです。先ほども申し上げた通り、日本に滞在している外国人留学生は20万人を超えています。また、2017年に日本を訪れた外国人観光客は2800万人以上です。

そういった状況で、外国人が犯罪を起こしたり事件に巻き込まれるケースが増えるのは当たり前で、今回のように日本の法廷に外国メディアが注目することは今後も起こりえます。日本の裁判制度が、より国際的に開かれていくことは時代の要請でもあると思います。

─李さんのフェニックステレビはいち早くこの事件を報道していましたが、大挙して来日した他の中国メディアの報道姿勢はどうでしたか?

 日本の裁判所の閉鎖性に驚くと同時に、中国メディアの未成熟ぶりも今回の取材を通じて痛感しました。最もショックを受けたのは、ある中国メディアに私のインタビュー記事が掲載されたことです。内容は、今回の事件・裁判について私が解説するといったものですが、このメディアから取材を受けた記憶がないのです。

一瞬、自分が記憶喪失になったのかと疑ったぐらいですが、要は私がフェニックステレビやブログを通じて発信した情報を盗用しただけです。それをインタビューに応えたという体裁にして記事化したのです。

また、裁判期間中に私が地裁前からカメラに向かってレポートしている姿を、横からそのまま撮影し、私が話を終えると「以上、東京からでした」というコメントだけ加えて、まるで自社のレポートのように使うメディアも数多くありました。

その反面、フェニックステレビに対しては「ちゃんと取材しているメディアは信頼性が高い。ネット・メディアとは違う」といった評価もたくさんいただきました。中国の、特にネット・メディアの問題点、そしてその情報に過度に依存する中国の国内事情、その一方で国際化時代に対応できていない日本の裁判所の閉鎖性…これらの問題点が今回の事件の取材を通じて見えてきたものです。

(取材・文/田中茂朗)

●李淼(リ・ミャオ)中国吉林省出身。1997年に来日し、慶應大学大学院に入学。故小島朋之教授のもとで国際関係論を学ぶ。2007年にフェニックステレビの東京支局を立ち上げ支局長に就任。日本の情報、特に外交・安全保障の問題を中心に精力的な報道を続ける