昨年の衆院選で自民党は「教育無償化」を公約のひとつに掲げて圧勝した。これまで民進党などの野党が訴えていた政策が突如、与党の選挙公約になったことにも驚かされたが、具体的な財源の見通しもなく先行きは不透明だ。
経済格差の拡大が深刻な社会問題になっている現在、教育行政がすべきことはなんなのか? 「加計学園問題」で一躍、時の人となり、昨年11月に『これからの日本、これからの教育』(ちくま新書)を上梓した前文部科学事務次官の前川喜平氏に聞いた――。
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―大学や専門学校などの「高等教育」無償化による「教育の機会均等」が格差縮小に寄与するものは大きいと思いますが、こうした動きをどのように見ていますか?
前川 安倍政権の教育無償化政策は、単なるバラ撒きによる人気取りのようなニオイもしますが、大学と専門学校を合わせた高等教育の進学率が約80%に達している今、教育費負担を軽減して誰でも高等教育を受けられるようにするという基本的な方向性は正しいと思います。
富裕層と貧困層の資産や所得の格差は拡大する一方です。高等教育の分野でも、所得の再分配で格差を縮小するための政策がもっとしっかり行なわれる必要があります。
その意味でいうと、「高校教育」に関していえば、かなり環境は整ってきている。民主党政権下でいわゆる「高校無償化」が実現し、その後、自公政権に戻った時に一律無償化から「所得制限」(年収910万円以上の世帯には就学支援金を出さない)という、ちょっと問題のある制度変更があったのですが、プラスの部分としては、生活保護受給世帯や非課税世帯に対して教科書や学用品費、通学用品費、校外活動費など、授業料以外の経費を支援する「奨学給付金」が制度化されました。
もちろん現状ではまだ不十分で今後、制度をさらに充実させていく必要があるけれど、少なくとも高校に関しては、経済的な理由でドロップアウトするというケースはほとんどなくなっていくだろうと思います。
―では、大学などの高等教育の無償化が単なるバラ撒きになるか、本当に実のある政策になるか、その分岐点はどこにあるのでしょう?
前川 「希望者全入」という体制をどこまで取るか、そことの兼ね合いだと思います。「学費を無償にする」ことと「教育費を支援する」ことは意味が違うんです。無償にするということは国民全員に対して確実に学びを保障することであり、学びたい人は誰でも必ずどこかの学校に入れる環境を整えなくてはいけない。これが「希望者全入」の考え方です。先ほど言ったように、高校に関してはそれが実現しつつある。
ただ、大学や専門学校も高校と同じように「希望者全入」を目指すのか…というのは、まだ議論があるところだと思います。例えば、私が高校に進学した1970年代は高校進学率は90%になるかならないかという時代でした。中卒で働く人も一定数はいた。地方から就職列車に乗って子供たちが上京してきて町工場に雇われていくような。『あゝ上野駅』なんて歌があった頃ですからね。
─まさに、去年の朝ドラ『ひよっこ』の世界ですね!
前川 その時代には「高校無償化」なんて、ありえない話だった。つまり、15歳で働く子供もいるのに、高校に通える、ある意味、恵まれた人たちの学費を国費負担で無償にするというのはおかしなことだった。繰り返しますが、無償化というのは必ず希望者全入を求める制度なんです。そういう環境を公的に支えることの一歩先には義務教育化があるんですね。だから、義務教育化を視野に入れて、無償化政策を考えていくことが必要なんです。
収入の多い人ほど「たくさん税金をまけてもらえる」制度
―小中学校の義務教育とは違って、高校や大学や専門学校に「行きたい」と思えば誰でも行ける環境を整えるけれど、「別に行きたくない」と思うなら行かなくてもいいと。
前川 そうです。中学を卒業したらパティシエの修行がしたいんだという人がいれば、それはそれでいいんです。でも、自分は高校、あるいは大学に行きたいという人は必ず行ける環境を整えるというのが本当の無償化です。
大学、専門学校といった高等教育に関しては、まだ「無償化」≒「希望者全入」という制度を目指す段階にはない気がするんですね。とりあえずは、少なくとも経済的理由で進学を諦めることがないようにする環境を整えるところから取り組むべきじゃないかと。
―経済的な理由で進学を諦めざるを得ない人たちをどう支えるかという制度設計が、教育による格差拡大を防ぐための鍵だと思うのですが、これも非常に難しいところがあって。例えば、ヨーロッパ諸国では基本的に大学まで、公立であれば教育は無償という国が多い。でも日本の場合、この厳しい財政状況の中ではヨーロッパ型のような高等教育の無償化はおろか、充実した教育費支援を実現するのも難しそうです。
前川 その点でいうと、私は「教育費負担という領域の中での所得再分配」が必要だと思っているんです。つまり、高等教育に関しては富裕層から財源を持ってきて、貧困層の教育費に回すという。
─つまり、財政全体じゃなくて、教育費の枠に限った形での富の再分配の仕組みを別途作るということですか?
前川 私はそれがいいと思っているんですよ。例えば、国立大学は年間の授業料を50万円とか60万円に設定しているけれど、貧困層に対してはその負担を軽減して、その分、富裕層の授業料を上げてもいいと思います。こういうポリシーを各大学が取ることは可能ですよね。これは言ってみれば「大学の授業料」という枠の中での所得再分配。持てる者から取って、持たざる者に還元する仕組みです。
一方、これは少しややこしい税制の話ですが、より大きな「国の歳入と歳出」という点でいうと、私が以前からずっと思っているのは「特定扶養控除」という仕組みの見直しです。
所得税の控除は課税前の所得から引かれます。特定扶養控除では、19歳から22歳までの高等教育該当世代の子供がいる家庭の場合、63万円の控除が受けられることになっています。これは一見すると、教育費の負担を控除で軽減しているのだから経済的な弱者に配慮した税制のように思えるかもしれません。
でも冷静に考えれば、これは収入の多い、所得税率の高い人ほど「たくさん税金をまけてもらえる」制度なんです。例えば、一番税率の高い45%の所得税率が適用される富裕層であれば、所得税は控除分を差し引いた所得に課税されますから、63万円×所得税率0.45で28万円くらい税金をまけてもらえる計算になりますよね。
一方、所得税を払えるほどの所得がない、例えば年収200万円の家庭であれば、そもそも控除の対象となる課税所得がないので恩恵はゼロです。それより少し上の300万円くらいの年収で所得税率が5%の家であれば、63万円の控除はあるけれど、税金が実際に減るのはいくらかというと、63万円×0.05ですから、年間でたったの3万1500円です。
歌舞伎町の「出会いバー」で実感したこと
─お金持ちは控除で30万円近くも得するのに、庶民はちょっとだけしか税金が安くならないし、本当に助けが必要な貧困層に至っては恩恵ゼロなんですね!
前川 そういうことです。かつて民主党政権下で「控除から給付へ」というスローガンがあったのですが、これは基本的に正しい方向だと私は思っています。税金の控除ではなくて、歳出のほうで本当に助けが必要な人たちにきちんと必要なお金を出して、基本的なところまではちゃんと国が保障する方向に転換していく。そういう実効性のある教育費負担の軽減を「税制と歳出政策の見直し」を通して実現することが必要なんじゃないかと。
こういう税制や歳出の話っていうのは複雑で面倒くさい話かもしれませんが、ものすごく大事なんです。「富の再配分」なんて言うと、なんだか難しい言葉に聞こえるけれど、それは結局、みんなのお金を「税金」という形でどう集めて、それをどう使うかということであって、その方法をみんなで考え、話し合って決めるのが「民主主義」でもある。
ところが、選挙の時も税制については「消費税率を云々…」という話以外はほとんど議論にならないことが多い。だけど、よーく考えてごらんなさいと。金持ちが得するようになっていますよと。この特定扶養控除なんてまさに金持ち優遇になっていると思います。
―家庭の教育費負担を軽減するための控除制度が、結果的に金持ち優遇になっている。目的と現実が乖(かい)離していると言わざるを得ませんね。
前川 おそらく、ひと昔前までは高等教育なんて贅沢なものだ、金持ちのためのものだというような社会的な通念みたいなものがあったと思います。しかし、今や80%が高等教育に行くわけです。ところが、例えば児童養護施設出身者の高等教育進学率を見ると、大学と専門学校を合わせてたったの2割に過ぎない。つまり、児童養護施設出身者の8割は高卒で止まっているんです。
―そういう意味では、全体の大学進学率が上がっているからこそ教育機会の格差が現実の格差に反映する影響も大きいわけですね。
前川 その通りです。だから、今は18歳以降になんらかの高等教育の機会を得られないほうがマイノリティで、そのハンディキャップが大きくなっているわけです。高等教育の機会を経済的な理由で諦めなければいけない人たちに対して、どうやってチャンスを与えるのか。そのための有効な制度設計というものをきちんとやっていかないといけない。大学や専門学校の「希望者全入」を前提とした「高等教育の無償化」を目指す前に、まずはそうした環境づくりを優先すべきじゃないかと思います。
ただ、格差と教育の問題という意味では、それとは別に「高校に進学できても学力が追いつかない」という問題は依然残るんですけどね。
─それはつまり、生徒自身のやる気や努力とか、そういう問題ではなくて?
前川 ほら、私、歌舞伎町の「出会いバー」とかで、いろんな人たちの話を聞いていたじゃないですか。
―読売新聞に「報道」されたやつですね。
前川 そこで実感したのですが、例えば両親が離婚して母子家庭になったりすると、そこから貧困が始まり、その結果「家庭の文化力」みたいなものがどんどん衰えていくんです。
―「家庭の文化力」とは?
前川 例えば、家の中にほとんど本がないとかね。それに加えて、東京などの大都市では人間関係が非常に希薄ですから、母子家庭だと親以外に子供をケアしてくれる人がいない。そういう環境で育つと、学習する習慣をつけることは困難になるわけです。実際、歌舞伎町で会った人たちの中には不登校の経験者が多かったし、高校中退者もすごく多かった。貧困の中で人間の心が育つ土壌が痩せ衰えていると感じましたね。
やはり格差の広がりというのは、学費や進学の機会だけでなく、そうした「子供たちが育つ基本的な環境」という部分にも深刻な影を落としているのだと思います。
●後編⇒前文部科学事務次官・前川喜平が「道徳」教科化に警鐘──「国体思想的な考え方は子供たちを“分断”させかねない」
(取材・文/川喜田 研 撮影/保高幸子)
●前川喜平(まえかわ・きへい) 1955年生まれ。東京大学法学部卒業。79年、文部省(当時)へ入省。宮城県教育委員会行政課長などを経て、2001年に文部科学省初等中等教育局教職員課長、10年に大臣官房総括審議官、12年に官房長、13年に初等中等教育局長、14年に文部科学審議官、16年に文部科学事務次官を歴任。17年、退官。現在、自主夜間中学のボランティアスタッフとして活動中
■『これからの日本、これからの教育』 (ちくま新書 860円+税) 天下り問題で引責辞任した後、加計学園の問題をめぐって安倍総理の“ご意向文書”の存在などを国会で証言し、「行政がゆがめられた」と“告発”した前文部科学事務次官の前川氏。この問題を通じて教育行政とはどうあるべきか、また生涯学習からゆとり教育、高校無償化、夜間中学まで、同じく元文部官僚の先輩、寺脇研氏と語り尽くす