『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』著者・石井光太氏。丹念な取材で加害少年たちの「闇」に迫った

2015年2月20日、神奈川県川崎市の多摩川河川敷で少年の全裸遺体が発見された。亡くなったのは上村遼太くん(当時13歳)。前夜、彼は遊び仲間である17歳から18歳の3人の少年に呼び出された。

そして服を脱がされると、作業用カッターナイフで顔を切り付けられた上、気温5.2度の寒空の下、川を泳ぐよう命じられる。少年たちはさらなる凶行に及び、すでに言葉を発することもできなくなっていた遼太くんの喉元を複数回にわたって切り裂き、殺害に至った。全身に刻まれた傷は43ヵ所にも達していたという。

ノンフィクション作家・石井光太氏は著書『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』(双葉社)で、事件の「その後」を追った。裁判、被害者・加害者の関係者たちへの取材を通して、石井氏が見た事件の深層とは──。

***

―まず、この事件を取材しようと思ったきっかけはなんですか?

石井 年下の弱い人間をリンチして殺してしまうという少年犯罪はそれほど珍しいものではありませんが、この事件は当時ものすごく世間の注目を集めました。他の事件とは何が違うのか知りたいと思ったのが動機のひとつです。

もうひとつは、実は僕の親戚が加害者の少年たちと同じ中学の出身なんです。幼少時代から「あの地域はいろんな問題を抱えている」というような話を聞かされていたので、その土地に根ざした因果、あるいはトラウマみたいなものが事件の根底にあるのだとしたら、それはなんなのか?というのもポイントでした。

―本書の冒頭には川崎市、特に事件が起きた川崎区の街の描写や歴史が詳細に書き込まれています。

石井 川崎区には大きくふたつの顔があり、ひとつは東京のベッドタウンとしての顔。もうひとつは、工業地帯としての顔です。昔は公害が深刻で、全国各地から労働者が集まり、当時は「流れ者」と呼ばれる人たちも多かった。現在はそういう人たちが高齢化したり、二世、三世が住んでいます。

川崎区は統計から見ても市の中で最も社会問題が深刻です。長引く不況で人々の生活は困窮し、生活保護の受給率、自殺率は他区より突出して高い。そして外国人の人口が多い。市内で川崎区が最多で約1万4千人。3人の加害者のうち、ふたりはフィリピンと日本のハーフでした。人種的偏見はありませんが、事件の背景としてそういった事実にも着目しました。

―3人の加害者をそれぞれ仮名で、虎男(当時18歳)、剛(当時17歳)、星哉(当時17歳)として、彼らが家庭や学校で置かれた環境にも触れています。虎男と剛の母親はフィリピン人です。

石井 虎男は小学生の時からハーフであることをからかわれ、家庭では体罰もありました。いじめに遭って不登校になったこともあり、陰で自分より弱い者相手に虚勢を張ることしかできませんでした。

剛の母親は未婚のまま彼を出産し、家にはほとんど帰ってこない。家の合鍵も渡されず、彼は携帯電話の充電器のコードをドアポストから差し込んで鍵を開けていたそうです。外国の親戚の家に捨てられるように置き去りにされたこともあった。ネグレクト家庭ですね。彼も虎男と同じように中学まで地味な存在で、不良たちにいじめられていました。

確かに彼らは学校ではからかいの対象となっていましたが、川崎ではハーフの存在は珍しいものではありません。むしろ、家庭環境によって心に傷を負い、それが原因でいじめを受けていたと考えたほうがいいかもしれません。ただ、フィリピン人の母親が日本語を喋れず、母子の間でほとんど会話がなかったなどということを考えれば、母親が外国人であったことの問題はあったでしょう。

不良の世界のヒエラルキーでは、虎男たちはその最下部に置かれていました。象徴的なのは、溜まり場です。ヒエラルキーの上位にいる不良は川崎駅前のゲームセンターに集まりますが、虎男のように上位の不良にいじめられている者たちは、駅前から外れたところにあるイトーヨーカドーのゲームセンターに溜まるわけです。

そこには同じようないじめられっ子や不登校児が溜まっていて、虎男たちはそういう弱い子供たちを中心にグループを作っていく。みんな寂しさを紛らわすために、お互いを友達だと思わないのにつるむようになるのです。結果として、それが今回の事件の加害者グループとなっていった。

僕は、もし彼らがヒエラルキーの上位にある不良だったら、ここまでの事件は起こさなかったのではないかと思います。上位の不良たちには、昔の暴走族のようにそれなりの秩序やコミュニケーション能力がある。虎男の中学のひとつ上の不良グループが、ヒップホップグループのBAD HOPというのが象徴的です。彼らは不良でありながら、社会でのし上がれるだけの力があった。いわば、不良のエリートなわけです。

ところが、虎男たちはゲームやアニメに依存していて、仲間内でのコミュニケーションも極めて希薄。家庭では虐待され、学校ではいじめられ、社会には居場所がない。そんな中で、ものすごく狭い空間に集まって、そこで性格や関係性がねじれにねじれた結果、起きてしまった事件だと思います。

「無機質な人間」の究極形

―本書を読んで不気味に感じたのは、その狭い世界で彼らが拠り所にしているものはゲーム、アニメ、SNSといった「無機質なもの」であるということです。傍らにいる友達はヒマつぶしの相手にすぎず、彼らが向き合っているものはスマホの画面。生きる楽しみがその中にしかない。

石井 彼らの間での会話といえば、好きなアニメやゲームの話ばかりで、思っていること、悩んでいることについては共有しません。さらに正面から目を見て話すことができず、お互いに大きなぬいぐるみを抱いて、そのぬいぐるみを介して会話をしたりする。だから、人との向き合い方も知らない。

しかし、そういった無機質なものによって救われているともいえます。家庭では誰も自分に向き合ってくれない、学校にも行けない。すごく孤独じゃないですか。ゲームやアニメがなかったら、彼らは本当に死んでしまうかもしれない。

一方で、無機質なものを通してでしか繋がっていないので、お互いの関係性も、当人の感覚も無機質なものになっていく。その象徴が、グループのメンバーたちが毎日のようにつるんでいながら、お互いのことを「友達じゃない」と言い切るところです。

―そんな「無機質な人間」の究極の形が、3人目の加害者である星哉だと思いました。

石井 虎男と剛は初公判から起訴内容を認めましたが、星哉は全面否認しました。事件現場で虎男にナイフを差し出したのは星哉でしたが、彼は裁判で不敵な笑みを浮かべて、素っ気なく「俺は知らないっす」などと繰り返していた。コミュニケーション能力はおろか、人間性が欠如している。

裁判では、星哉にADHDの傾向があるとされました。それがどこまで事件に関係しているかはわかりませんが、彼には幼少期から自分の思い通りにいかないと相手かまわずに殴りかかったり暴れたりするという特性があったようです。

また、友人の証言によれば、星哉は先に言ったようにぬいぐるみを介して会話するという異常な行動もありました。虎男はそんな星哉の得体の知れぬ不気味さに傾倒してしまう。影響を受ける相手が彼しかいなかったのでしょう。もちろん、悪い意味での影響です。その結果、グループが「凶器化」し、すべてが悪い方向に進んでしまったのだと思います。

―本書の終盤で、遼太くんと虎男の友人だった黒澤(仮名)という人物をインタビューしていますが、彼の言動にも唖然としました。

石井 彼はインタビューの際、何時間も遅刻してきた上に、居酒屋で揚げ物ばかり食べながら、ろくにこちらの顔も見ずにずっとスマホをいじっていました。家庭環境も複雑で、暴力的な父親は彼が幼い頃に離婚して家を出ていった。

母親は仕事から帰ってくると現実逃避をするように、ずっと韓流スターの動画を眺め、土日はグループの握手会などに出かけていく。黒澤は虎男たちと多くの時間を共に過ごしていましたが、「友達とは思っていない。アニメの話ができるのでヒマつぶしで一緒にいただけ」と言い放ちました。

確かに彼らの言動は理解できないけれど、じゃあゲームやアニメを取り上げたら人間的なコミュケーションを取るようになるのかというと、そういう話ではないわけです。

現在は、両親が共に仕事を持っていても、ちゃんと子育てはできる、という考えが主流だと思います。あるいは、シングルマザーでもちゃんと子育てはできる、とされています。もちろん、大部分の親はお互いに仕事を持っていても上手に時間を分散してきちんと子供を育てていくでしょう。シングルマザーだって同じです。でも、親には必ず能力差があります。それができる人とそうでない人とがいるのです。

例えば、シングルマザーが9時~17時の仕事をしていたとします。18時に帰宅して寝るまで子供と一緒に家にいたとしましょう。社会的には「シングルマザーなのにがんばっているね」と肯定される。でも、その母親が家にいる間、ずっと韓流スターの動画を見ていて、子供はひたすらゲームをしていたとします。同じ部屋にいても会話どころか、目さえ一度も合わさない。これで、ちゃんと親子が「向き合えている」と言えるでしょうか。

家庭の在り方を見直す必要がある

―実質的なネグレクトに近いですね。

石井 家庭でも表面上に見えるものと内情とがかなり違うことがあるのです。なのに、ほとんどの場合、表面上のことだけで評価されてしまう。問題が表面に浮き上がってこない限り、「ちゃんとした家庭」だと見なされる。そうなると子供が歪(ゆが)んでいくのを止めることができない。

黒澤のお母さんだって、ちゃんと子育てをしているという自信があるのかもしれない。でも、彼の数少ない友達が虎男や剛だったことを考えると、そうではなかったと思わざるをえません。

コミュニケーション能力や想像力の欠如という意味でいうと、虎男たちが被害者を43回も刺したことは象徴的です。彼らは遼太くんを殺すつもりはなかった。ところが、星哉が虎男にナイフを差し出すと、虎男は「ここで切らなければ自分の面子が潰れる」と思うわけです。

切ったら切ったで、少年院に送られるという恐怖が出てきて「もう殺すしかない」となる。普通の感覚なら、生死に関わる傷を負わせる前に止めて逃げようという選択肢も考えるでしょう。しかし、彼らはそういった損得勘定を含め、先のことが考えられない。

今、目の前で血を流している遼太くんは何を思っているのか、どれだけ痛いのか、これからの自分の人生、家族の人生はどうなってしまうのか。いじめやDVから逃れるために刹那(せつな)的な嘘を重ねて生きてきた彼らには、そういったことを考える想像力すら養われていなかったんです。

―事件当時、虎男と剛は以前起こした暴行事件や窃盗事件により保護観察中でしたが、事件を未然に防ぐことはできませんでした。

石井 保護観察制度にも問題があると思います。保護観察処分を受けている少年は約4万9千人いますが、それに対して保護監察官は全国に千人ほどしかいない。また、保護監察官よりも少年に近いところで支援を行なう保護司は無償のボランティアで、ほとんどが別に生業を持っています。これでは少年たちと向き合う十分な時間はない。

保護司の高齢化も問題になっています。今の若い人たちはSNSの中に人間関係があり、昔の暴走族みたいに目に見える形ではない。60代や70代の保護司たちが、ネットで繋がっている「不良にさえなれない、内向的な歪んだ子供たち」をどうやって見回るというのか。

少年法は「更生」を前提にしており、家庭裁判所の審判を受けて少年院に送致される人はわずか2、3%…ほとんどは保護観察処分なんです。両親が揃っていて「ちゃんと面倒を見ます」と言っているから保護観察で大丈夫でしょうと判断されるケースが多い。しかし、それと「家庭で子供と向き合えるかどうか」は別の話です。

この事件の取材を通して、司法や保護観察制度の在り方、そして家庭の在り方を見直す必要があると感じました。『43回の殺意』というルポを書いたのは、そのためなのです。

(取材・文・撮影/中込勇気)

●石井光太(いしい・こうた)1977年、東京都生まれ。国内外の貧困、災害、事件などをテーマに取材、執筆活動を行なう。著書に『神の棄てた裸体』『絶対貧困』『遺体』『浮浪児1945-』(新潮文庫)、『感染宣告』(講談社文庫)、『物乞う仏陀』『アジアにこぼれた涙』(文春文庫)など多数。事件ルポとして虐待事件を扱った『「鬼畜」の家 わが子を殺す親たち』(新潮社)がある●『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』(双葉社 1500円+税)