「いもやが閉店になるって」
2月下旬、神田・神保町にある天丼とトンカツの老舗専門店『いもや』が閉店するとの情報がツイッターに流れ、話題になった。『いもや』といえば1959年の創業以来、この地で半世紀以上営業しつづける神保町の"レジェンド"。記者も月イチで通う常連のひとりだ。
『いもや』が閉店するなんて本当か? その1ヵ月前にも神保町の老舗カレー店『キッチン南海』が閉店との情報が流出したが、週プレNEWSの取材で"デマ"だったことが判明。その際に配信した記事は反響を呼んだ(『老舗行列店が閉店騒動!? SNS上に拡散した"悲報"の真相』参照)。
だが、"『いもや』も同じパターンであってほしい"との思いは、駆けつけた店先に貼られた告知文によって無情にも打ち破られた。
『いもやは、昭和34年来の約60年に亘って、皆様にご愛顧いただきましたが、3月31日を持ちまして閉店することとなりました。いもや店主』(原文ママ)
閉店するのは神保町2丁目にある『天丼・いもや』と『とんかつ・いもや』の2店舗。いずれも故・宮田三郎氏が立ち上げ、現在は妻の静江さんが経営する直営店だ。その場には"最後に食べておかねば"とばかりに連日、店前に行列ができる賑わいを見せている。
パチパチパチっと店内に響き渡る油の音、どんぶりからはみ出さんばかりに盛られる熱々の天ぷらが目の前で揚げられ、これにシジミ汁がついて650円という安さ...。近所の大学に通っていたという50代の男性はこう言って閉店を惜しんだ。
「30年ぶりに来ましたが、味は何も変わってなかったですね。学生時代はご飯粒を残したり、食事中にぺちゃくちゃ喋ってると店主によく怒られたのを覚えています。でも、何も言わずエビ天を1本多めにのせてくれる日もありました。料理だけでなく、店主の人情も味わい深かった稀有(けう)な店...なくなるのは淋しいです」
今のところ、その閉店理由は明らかにされていないが、創業者の宮田氏が10年ほど前に81歳で他界して以降は、妻の静江さんが二代目社長として店を切り盛りしてきた。「静江さんももう86歳。経営を手伝う娘さんも60歳近くになるはず。お体の面でも店を維持するのが限界にきたのでは...」と近所の飲食店店主は教えてくれた。
だが、直営店の元従業員が独立・開業した神保町1丁目の『天ぷら・いもや』、東京・東神田の『とんかつ・いもや』、栃木市藤岡町の『とんかつ・いもや』、青森県弘前市の『天ぷら・いもや』といった暖簾分けの4店舗は残る。
東神田の『とんかつ・いもや』の店主、樋口好雄氏によると「直営店で10年以上働かないと看板を出せない」というのが同店のルール。天丼の店はなくなるが、天ぷらととんかつについては宮田氏の愛弟子たちが直営店と変わらぬ味を守り続ける。
だが、「それもいつまで続くか...」と樋口氏は浮かない表情であった。
「年くって後継ぎもいない...」
「10年ほど前に一番弟子の先輩が亡くなり、オヤジ(宮田氏)の弟子としては私が一番の古株になりました。もう歳だから踏ん張りがきかなくてね。60歳で祭日の営業をやめ、65歳で15時から17時まで店を閉めて休憩をとるようになり、70歳になった今年からは営業終了を20時から19時に早めました。"あと5年は"と思ってはいますが、これからは1年1年が勝負だと思っています」
神保町1丁目の『天ぷら・いもや』店主も69歳と高齢で、青森・弘前店の店主は65歳、弟子の中では最も若い藤岡店の店主も60歳を超えているという。
『いもや』に押し寄せる"高齢化"の波に「我々には後継ぎがいない...」との問題が重たく圧し掛かる。「『いもや』は薄利多売の商売だから、自分の子どもに『この仕事をやれ』ったって酷(こく)な話でね」(樋口氏)
同店の商品原価率は、3割といわれる飲食業界の相場を大きく上回る。樋口氏によると、とんかつ定食の場合は5割超にもなるそうで「野菜が高騰している最近はほとんど利益が出ない」とのこと。だが、材料費高騰を理由に値上げはしない、安い食材に切り替えることもしない...その理由について「お客さんはこの料理とこの値段に喜んでくれる。その気持ちを裏切ることはできませんよ」と樋口氏は語ったが、それも創業者から受け継いだ家訓でありポリシーともいえるようだ。
『いもや』は故・宮田氏を「オヤジ」と慕う、家族的なつながりが極めて強い店だ。樋口氏の場合は"いもや歴54年"。1964年3月、中学卒業後に秋田から上京して直営店に入社した。
当時は「天ぷら定食が110円、ラーメンも1杯60円で提供していた」時代。朝6時から夜10時まで交代のないブッ続けの16時間労働が日常で「今なら"ブラック"と言われるだろうけど、あの頃はみんながみんな、『オヤジに認められたい』と目の色を変え、自分の意思で働いていた」と振り返る。
『独立したら、隣にどんな店が出店しても潰れない店を作れ』――それが「オヤジの教えだった」。だが、昔も今も『いもや』は原価率が高い薄利の商売。だから「オヤジからは『大儲けしたかったらウチにいてもムリ。父ちゃん、母ちゃん(夫婦)でできる店を作りなさい』とも言われていた」という。
そのため、直営店から独立した『いもや』は"職場婚"の夫婦ふたりで切り盛りする店ばかり。樋口氏も一緒に働くパートナーとして「一番息が合う」と感じた同期入社(64年4月)のやすのさん(70歳)と結婚している。
「ひとりで1.5人分、夫婦で3人分働くというのが『いもや』の商法です。これが身体に染みついているから、10時間働こうが12時間働こうが全然バテない。下積み時代にそういう身体に作り上げてくれたのがオヤジだったと思っています」
『いもや』に人生を捧げてきた樋口夫婦にとって、宮田氏は「絶対的な人」。「仕事中の私語や言い訳は厳禁。でも、仕事を離れれば実の父親同然に温かい人だった」。店の利益は従業員にも還元してくれ、「2年に一度の社員旅行でハワイに5回、香港やシンガポールにも連れて行ってもらった」こともいい思い出になっている。
いもや的ビジネスモデルの限界?
しかし、年齢と時代の波には逆らえない。
「今は私も妻も身体が鈍って、回転がきかなくなっています。去年は腰の手術をして、昔だとお昼に70~80人のお客さんを平気でこなしていたけど、今はどう頑張っても50~60人が限界。だから直営店が閉店になるってニュースが出てからお客さんがこっちに流れ始めていて、閉店したらもっと増えるのでしょうが、『よし! 頑張るぞ』という気にはならないんです...。言ってしまえば迷惑な話でね(苦笑)。
じゃあ、誰か雇うかって気にもなりません。店にそんな余裕はありませんし、そもそも、今の若いコは飲食店で10時間も12時間も働かないでしょう?」
3月末で閉店する直営店2店舗では、独立した店とは違い7人ほどの従業員が働いているという。今も行列店であることに変わりはないが、行列の長さは昔ほどではなくなり、社員旅行もなくなった。売上げが伸び悩む中で人件費が重荷になる現状に、かつての『いもや』を知るある従業員はこうこぼす。
「今の若い人は私たちのようには頑張れないのよ。8時間労働が常識だし、"ヨシ、売ってやろうか!"って風にはならない。だから人を多めに抱えざるをえず、人件費が上がってしまい、薄利多売の商売が成り立たなくなる...。働き方やワークライフバランスが重視されるこの時代に、"家族的な絆"を頼りにする『いもや』的な人情経営は合わなくなってきているように感じます」
直営店が閉店した後、残る弟子たちの4店舗がいつまで続くかは「我々の頑張り次第ですが、そう長くはもたないかもね(笑)」と樋口氏は言う。
揚げたてでボリュームたっぷりの天ぷらやとんかつを1千円以内で――既存のチェーン店とも違う、ハイコスパでシンプルすぎる無骨な店がなくなるのは淋しい限りだが、できるだけ長く、『いもや』の食を店主の人情と一緒に味わい続けていたいと思う。
(取材・文/興山英雄)