国際社会で通用する「使える語学力」を標榜するTOEIC(国際コミュニケーション英語能力テスト)が生まれてから約40年経つが、相変わらず日本人の英語力は向上していないと言われている。
しかし、未だ英語教育の世界では官民総出の支持を受けた「TOEIC至上主義」が跋扈(ばっこ)し、その結果、学習者は間違いだらけの英語教育を受け続けているという。
この状況に警鐘を鳴らし、本来あるべき語学教育を提案するのが『TOEIC亡国論』(集英社新書)だ。TOEICの弊害、そして日本の英語教育の根本的な問題とは? 著者の猪浦道夫(いのうら・みちお)氏(ポリグロット外国語研究所主宰)に聞いた――。
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─そもそも不思議に思うのですが、なぜTOEICが英語力を測る評価軸としてこれほどまでに信奉されるようになったのでしょう? 日本人の「資格好き」という背景はあるでしょうが、数学や国語にも検定はあるものの、英語だけがTOEICのほかにも英検、TOEFLがあって圧倒的に「検定熱」が高い。
猪浦 まず日本人、特に団塊世代の多くの人が持つ「英語コンプレックス」が大きな要因になっていると思います。中学・高校で習う英語で優秀な成績を修めても、読み・書きに偏った英語力は「実用的ではない」と約半世紀にもわたって言われ続けてきました。
日本の中学校の英語教師が海外に行ったら英語がほとんど通用しなかった…というのは、どこの学校でも都市伝説のようになっています。こういったコンプレックスを背景にTOEICのような「英語で聞いて、英語で読み、英語で答える検定」が定着し、深く浸透していったのです。
TOEICはEducational Testing Serviceという米国の非営利団体によって運営され、「英語力検定のグローバルスタンダード」と謳(うた)われていますが、世界中の年間受験者のうち約4割が日本人で占められています。TOEICの知名度が高いのは、日本の他には韓国ぐらいでしょう。イギリスでは2014年からビザ申請にあたってTOEICのスコアを使用することが不可になっています。
─実際はグローバルスタンダードなんかじゃないのに、日本では「TOEIC至上主義」が根強い。
猪浦 2020年からの大学入試改革が話題になっていますが、これに合わせて英語の入試もTOEICをはじめとする外部試験に移行する傾向が強まっています。現在でも大学・大学院の約半数が入学試験でTOEICを活用していますが、2020年に向けて今後はさらに増えていくでしょう。
今回、『TOEIC亡国論』という刺激的なタイトルの本を書きましたが、英語の専門家にとってTOEICを疑問視するのは目新しいことではありません。「TOEICは万能ではない」どころか「無意味である」という見方もあるくらいです。
―具体的にどのような弊害が?
猪浦 リスニングとリーディングの試験からなり、すべてマークシート方式で答えます。トータル2時間で計200問が出題されるので、じっくり考えるというより瞬発力が問われる。大量かつ効率的に採点するためのシステムなのでしょうが、これでは話す力、書く力という能力は測れません。それなのに大学教育のみならず、最近ではビジネス界でも採用や昇進の際にTOEICで一定のスコアをとっていることを要求する企業が増えてきています。
しかし、学習者にとって本当に必要なのは「それぞれの人が置かれている環境、目指す環境で求められる英語力」を身につけることです。例えば、私は「大学生に求められる英語力」は原書購読能力に尽きると考えていますが、この能力をTOEICで測ることはできません。また、理系の大学院生ならば英語で論文を書く能力が求められますが、この測定においてもTOEICは無意味です。
ビジネスの世界でもグローバル化の時代といわれ、すべてのビジネスピープルに高い英語力が求められるような風潮がありますが、ひとりひとりが置かれている環境も異なるし、求められる能力も違ってくるはずです。
例えば、英語で取り引き相手と交渉する時、自社に有利な契約を勝ち取るために最終的に必要となるのは語学力ではなく交渉力です。その能力をTOEICで測ることはできないし、仮に英語で取り引きする機会が年に数回程度なら、そのために時間と費用を割いて英語を勉強するよりも交渉力を磨き、英語は優秀な通訳に任せるほうが合理的です。
受動態を「ジュドウグマ」と読んだ大学生
─健康状態を測る目安として血圧の数値がありますが、それだけに注目していては大きな病気を見落としかねない。日本社会の「TOEIC信仰」にもそれと同じような危険が潜んでいるように思います。
猪浦 私は血圧が高めなんですけどね(笑)。確かに、TOEICのスコアを絶対視することで見落としてしまっている、日本の教育界全体の大きな問題があります。『TOEIC亡国論』でも指摘していますが、まず国語教育の問題があります。
2020年の大学入試改革に向けて、中学レベルでも英語のディベートに力を入れる学校が増えていますが、国語力の低下が問題視されている中、日本語でも十分に表現できないことをどうやって英語でディベートするというのでしょうか。
─小学校の算数でも「文章題」が苦手という児童が増えていると聞きます。
猪浦 国語教育の問題点は英語教育の欠陥とも密接に関わっています。国語教育の現場で日本語の構造やロジックをしっかり教えないから、英語という外国語を母国語と比較することができず、「言葉の仕組みや働き」を理解することもできなくなるのです。日本語をちゃんとしたメソッドで学習している外国人から日本語の仕組みについて質問され、うまく答えられなかったという体験を持つ人は少なくないはずです。
要するに国語も英語も、日本の教育ではロジックがあまりにも軽視されています。この弊害は、例えば「私の父は健康だ」という日本語を英語に訳せと言われて「My father is health. 」と訳してしまう生徒が多いことに如実に表れています(正しくは「My father is healthy.」)。
もっと深刻な例を挙げれば、ある大学の学生が英語の教師に「ジュドウグマがわかりません」と質問したという話があります。この学生が言いたかったのは熊(クマ)ではなく、「受動態」のことでした。現在の中学校では「生徒に負担がかかるから」という理由で文法用語を全く教えていません。「ジュドウグマ」は英語の文法以前に国語力の問題ですが、もし文法用語を教えていれば、この大学生もこんな間違いはしなかったでしょう。
さらに言えば、「Nから先のアルファベットの順番を覚えていない」という大学生もいるそうです。こういった現状を無視して、根本的な問題の改善を図ろうともせずにTOEIC絶対視の傾向が強まっている。これは本当に危険なことです。
─笑い話のように聞こえるけど、全く笑えない現実ですね。
猪浦 日本では2002年から小学校でも英語を教えるようになりましたが、文科省は「小学校の教師も大学を出ているのだから『This is a pen.』ぐらいは教えられるだろう」という安易な考えで始めたようです。
その結果、どういうことが小学校英語の教育現場で起きているか。これは通訳学を専門とする鳥飼久美子先生(立教大学名誉教授)が何かの本で書かれていたことですが、英語の授業を参観に行ったら教師が児童たちに好きな動物の絵を描かせた後、例えば「ボクはライオンが好きです」と英語で発表させた。その教師は児童に「I am lion.」と言わせていたそうです。これでは「私はライオンという(名の)者です」と聞こえます。もちろん正しくは「I like lions」 です。
鳥飼先生は倒れそうになったそうですが、「こういうふうに不正確に教えられると後で中学校の英語の先生が苦労するだけだから、こういう授業ならやらないでくれたほうがいい」と仰っていました。私は小学校の英語教育は反対ですが、やるなら単語だけ教えればいいと考えています。中学校に入ってからの英語学習にも確実に役立ちますから。
社会人でも英語で会話ができるようになりたいと考えている人は少なくないでしょう。しかし、日本語での会話を見てもわかるように、ある程度の教養や雑学的な知識がなければ高尚なコミュニケーションは成立しません。
―では、どうすれば英語を楽しく、効率的に学べるのでしょう?
猪浦 本書の第2部「望ましい英語学習のあり方」で私は様々な学習法を提案していますので是非読んでいただきたいのですが、ひとつ例を挙げるならば「コノテーション」を理解することは楽しく学習することに繋がると思います。
コノテーションとは、言葉の元々の意味や背景を示します。例えば「interesting」という単語を日本人は「面白い」「興味深い」という意味で捉えていますが、ビジネス交渉の席で英語を母国語とする相手に「This project is very interesting.」と言ったら、少々意味合いが変わってきます。「interest」というのは元々「利子」という意味ですから、英米人の聞き手には「やりがいのあるプロジェクト」というよりは「儲かりそうだ」と言っているように聞こえます。
言葉の背景を学び、母国語との違いを味わうことは、学生だけでなくビジネスピープルにとっても有意義な英語学習方法のひとつと言えるでしょう。
(取材・文/田中茂朗 撮影/保高幸子)
●『TOEIC亡国論』(集英社新書 740円+税)
●猪浦道夫(いのうら・みちお) ポリグロット外国語研究所主宰。横浜市立大学、東京外国語大学イタリア語学科卒業後、同大学大学院修士課程修了。『語学で身を立てる』など著作多数