「主人公の女性、万浬のような心に痛みを感じない人間は、ひとつの進化形態と考えてもいいのではないでしょうか」と語る天童荒太氏

寡作の作家、天童荒太(てんどう・あらた)の待望の最新作は、心に痛みを感じない女と、体に痛みを感じない男の性愛を描いた究極のラブロマンスだ。誰もが感じる痛みを持たない彼らはどんな世界観で生きているのか?

自ら「世界初のラブロマンス」にして「自己最高の到達点」と断言する『ペインレス』新潮社)。その創作の舞台裏を直撃した。

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―まずは今回、「痛み」という題材に注目したきっかけから教えてください。

天童 痛みは人間であれば誰しも無縁ではいられず、なおかつつらいものです。これを感じない人間をテーマに、何か物語が描けないだろうかと着想したことが始まりでした。それも体の痛みではなく、心の痛みを感じない人間を主人公に据えれば、普遍化した痛みというイメージにとらわれることなく、新しい世界が描けるのではないか、と。

そこで、体に痛みを感じない男と、心に痛みを感じない女が出会ったときに何が起こるかを考えてみると、恋愛は成立しなくても、性愛は成立するだろうと考えました。その意味で、本作で描いたふたりは世界初のカップルであり、これまで誰も描いたことがなかったエロスに踏み込んだ物語だといえます。

―無痛という題材から、本作のテーマは人類の進化にまで及んでいます。

天童 現在の人々は痛みに対して敏感で、そのつらさをよく知っているからこそ、他者の痛みを積極的に共有しようとはしない一面を持っているように思えます。自分の痛みを誰もわかってくれないのに、なぜ他者の痛みを理解する必要があるのかと考えがちなわけです。ネット社会がそれに拍車をかけ、自身の痛みをむやみにアピールする人を「クレーマー」と呼んだり、「わがままだ」と非難したりすることすらあります。

こうした状態は人間にとってある種の限界に差しかかっているともいえ、それをシンボリックに表すと“痛みに左右されている社会”ということになります。主人公の女性、万浬(まり)のような心に痛みを感じない人間は、ひとつの進化形態と考えてもいいのではないでしょうか。

―社会のありように、人間という生物の内面が適応していった結果が無痛であった、と。

天童 そうですね。本来、人間はもっと自然に共存できたはず。ところが文明が発展し、経済という概念が世界の中心に据えられたことで、「自分さえ良ければいい」という考え方が優先されるようになったのも、その一例でしょう。そんな経済優先の今の世の中に対し、「愛が足りない」と指摘する人もいますが、実際はそうではなく、愛する人や愛する祖国を守るために人は積極的に争っているともいえます。

だから、愛に代わる別のテーゼを持たなければ、人間はこの限界を超えられないのではないでしょうか。本作の中で万浬が伝えようとしているのは、まさにそこです。人間が痛みを乗り越えようとして現在の発展にたどり着いた半面、愛があるからこそ現状で足踏みしています。その壁を越えるために、彼女はペインレス(無痛)になっているわけです。

―愛があるゆえに争いが起こる。これは自国ファーストをうたい、それにこだわるあまり攻撃性を発揮するアメリカのトランプ大統領を想起させますね。

天童 イギリスのEU離脱もまたしかりですが、国や人間は感情にとらわれた行動から脱却したつもりでいながらも、その実そうではないことがわかります。愛にとらわれている限り、限界を迎えるのは必然なのだと思います。

ボタンひとつで核を撃ち合うような思考からは、もう脱却していい

―文化的背景から人の進化にアプローチしたわけですね。

天童 今日までホモ・サピエンスとして進化を続けてきた人間ですが、現状が終着点であると考えるのは不自然でしょう。まだ先の進化形が絶対にあるはず。しかし、その進化のポイントは誰にもわかりません。

ただ、進化というのがその種が危機に接したときに起こる突然変異だとすれば、今がまさにそのときであるとも考えられます。そうイメージを膨らませていくと、脳の中にある扁桃体(記憶やストレス耐性に関わる器官)に変化が生じ、精神的なペインレスになる可能性があるのではないか。そう思い至ったことから、体に痛みを感じない男と、心に痛みを感じない女の性愛の物語が生まれました。

―万浬というキャラクターは、蠱惑(こわく)的な存在です。この人物造形にはどのような意図が込められているのでしょう。

天童 心に痛みを感じない人間をリアルに想像すると、それは一般的には発達障害やサイコパスを疑われると思います。あるいはケガやトラウマなど後天的な理由も考えられるでしょう。今回意識したのはそのどれでもなく、あくまで進化によって生まれた存在ということ。そして、それを立証できるだけの万浬の人生の履歴を創り出さなければなりませんでした。

例えば、進化するためには生存欲求が強くなければなりませんし、生きていくなかで周囲から阻害されるようなこともあったはず。ひとつひとつの履歴を整えていくことで、彼女の人物像は自然に固まってきました。

―実際に無痛症の人への取材も?

天童 これは今回の作品に限らない私の基本姿勢ですが、舞台や事象に関する取材は行なっても、当事者となる人物に会って話を聞くことはしません。なぜなら、私は物語の中で人間そのものを表現しなければならないため、良いところも悪いところも描きます。「モデルにされた」と誤解されることがあってはならないと考えています。ただ、今回でいえば、たまたま親族に麻酔科医がいたので、周辺事情については事前に詳しく聞くことができました。

―人類の進化は間もなく始まるとお考えでしょうか。

天童 そう思っています。例えば外見を取っても、現代人の顔は昔の人より明らかに小さくなっていますよね。つまり機械と同じように、人の脳は機能を維持したままコンパクト化されつつある。これは人類が本能的に、脳はコンパクトになったほうが有利と考えたためでしょう。

感情や知性の面でも、かつて懸念されていたようなボタンひとつで核を撃ち合うような思考からは、もう脱却していいのではないか。今回、そうした可能性について過去にないエロスを通して表現できたことに、私自身、強い手応えを感じています。

(インタビュー・文/友清 哲 撮影/岡倉禎志)

●天童荒太(てんどう・あらた)1960年生まれ、愛媛県出身。1986年に『白の家族』で野性時代新人文学賞を受賞し、作家デビュー。その後、93年に『孤独の歌声』で日本推理サスペンス大賞優秀作、96年に『家族狩り』で山本周五郎賞、2000年に『永遠の仔』で日本推理作家協会賞、そして09年には『悼む人』で直木賞を受賞した

■『ペインレス』(上下)新潮社 各1500円+税美貌の麻酔科医・野宮万浬は、後天的な理由で痛覚を失った貴井森悟に強い関心を示し、診察を申し出る。彼女はさらに、セックスを通して森悟の悦びと痛みのありかを探ろうとする。なぜなら万浬もまた、心に痛みを覚えたことのない女性であるためだった―