2013年、週刊プレイボーイのインタビューに答える栗城史多さん。前年の秋季エベレスト挑戦で重度の凍傷を負い、9本の手指を失っていた。厳しい批判を受けながらも挑戦をあきらめなかった理由とは──

登山家の栗城史多(くりき・のぶかず)さんが5月21日、エベレスト下山中に滑落し、帰らぬ人となった。35歳の早すぎる死ーー栗城事務所は公式ブログで「滑落したものの遺体の損傷は大きくなく、安らかに眠っておりました」と最期の姿を伝えている。

インターネット生中継による「冒険の共有」を掲げ、世界最高峰への挑戦を続けた栗城さんは『週刊プレイボーイ』にも何度か登場していた。そこで伝えようとしていたことは何かーー彼の言葉を抜粋して振り返ってみたい。

2度目の秋季エベレスト挑戦の後、2010年にプロフリーダイバーの篠宮龍三さん(現在は引退)と対談した際、「冒険の共有」という独自の試みを始めた理由をこう述べている。

「僕は22歳の時に、ひとりでアラスカのマッキンリーに登ったんです。そこは植村直己さんが亡くなった山なんですけど。山ってすごいなーって思って登山家として活動を始めたんです。そして、自分にしかできない冒険はなんだろうと考えて、3年前から動画配信を始めました」

登山もフリーダイビングも自然を相手にした命懸けの挑戦だが、生きて還ってくることが第一だ。大切なのは「(記録という)結果に執着してはいけない」ことだと篠宮さんが言うと、栗城さんは頷(うなず)いてこう返した。

「ホント、下がるのも勇気ですよね。これは相当、勇気いります。山もそうなんです。8000m級なんて、何度もチャンスがあるわけじゃないし、スポンサーさんやいろんな人の期待を背負っているんだけど、山に入る時はそれを地上に置いていかないといけない。まさに結果に執着しないということは大切だと思いますね。夢に向かって頑張るというのは誰でもできちゃうことなんですけど、努力だけではいけないんですよね、自然界は」

エベレスト登頂が叶ったら、次は何をしますか?と記者が水を向けると、太陽系最高峰といわれる火星のオリンポス山(約2万5千m)に挑みたいという途方もない夢を明かし、宇宙に思いを馳せた。

「真夜中に頂上にアタックする時なんかは、ものすごい数の星が空を埋め尽くしていて、もう山に登っているというより宇宙に向かっている感じなんです。ああ、宇宙があって、地球があるんだなと実感できて。すべてはここから始まっているんだなって」

そして、「夢」を描く方法をこう教えてくれた。

「心の置き方を、僕はよく空にたとえるんです。空に雲が出ていて大雨が降っている。だから今日は外に出るのはやめておこうと人は思うかもしれない。けど、その雲の上はどうなっているかというと、快晴無風の空が広がって、さらにその上には宇宙があるんです。だから、目先のものにとらわれるんじゃなく自分の心をどこに置くかで、無限の夢が描けるんですよ」

「そんなつまらない壁、突破してみせます」

2012年、4度目の秋季エベレスト挑戦では、両手、両足、鼻に重度の凍傷を負い、9本の手指を失った。その翌年、週プレのロングインタビューに応じてくれたが、この頃にはすでに登山家としての彼の実力を疑問視する声がネット上に溢(あふ)れていた。それでも尚、世界最高峰への挑戦を諦めない理由をこう語っている。

「僕の登山を表現するなら、振り子のようなものなんです。山を登る時に、あらゆる肉体的な苦痛、精神的な疲労、それを寄せ集めて、グ~ッと思いっきり苦しみの領域のほうに振り子を引っ張るんですね。それで目的を達した時に、ビュッと放し喜びの領域のほうへ振り切る。その時に感じる自分だけの喜びは体中が震えるほどです。生きている実感そのものを手にすることができるんです」

その振り子の支点には「夢」があり、「夢を捨てて何もしないことが失敗」と言う栗城さんは、インタビューの最後をこう結んでいる。

「凍傷を負った指で山に登れるわけがないとか、秋の過酷なエベレストに登れるわけがないとか、それはやっぱり先入観でしかないですし、トライしてみなければわかりませんから。そんなつまらない壁、何十回でも何百回でも突破してみせます」

批判さえも燃料にして、挑戦し続けることで多くの人に勇気を与えてきた「夢」の体現者ーー栗城史多さんのご冥福をお祈りしたい。

(構成/週プレNEWS編集部 撮影/本田雄士)