北九州市では18万人以上に避難指示が出された。 ※写真はイメージです 北九州市では18万人以上に避難指示が出された。 ※写真はイメージです

西日本を中心に広範囲で猛威を振るった「平成30年7月豪雨」。5月から激しい雨が降り続いた福岡県北九州市の門司(もじ)区では、6日金曜日の午前、大規模な土砂崩れで60代の夫婦が行方不明となってしまった。

同地区で一軒家の自宅から避難した80代の男性が語る。

「50年この場所に住んできたけど、こんな雨量は経験したことがありません。朝7時半頃、ドーンという音がした。裏にある山の斜面が崩れ、土砂が倒木と共に家にぶつかってきたんです。数日たってから様子を見に家へ帰りましたが、4分の1ほどが土砂に埋まった状態。命があるだけでもありがたいとは思いますが、これからどうなるのか予定はまったく立ちません」

凄惨(せいさん)な災害はこの地区にとどまらず、鹿児島県では50年に一度の大雨、岡山県や広島県、愛媛県など各地で河川の堤防が決壊し、岐阜県でも県内初の大雨特別警報......。いまだ被害の全容は明らかでないが、10日現在で死者150人以上と、平成最悪の豪雨被害となってしまった。

気象予報士の増田雅昭氏は、豪雨が広範囲に降り続いた原因はふたつあると分析する。ひとつ目は「梅雨前線の長期停滞」だ。

「太平洋高気圧が梅雨前線を北に押し切らなかった。例年であればそれが続くことはないのですが、今回は3日間にわたり梅雨前線が停滞したことで、南北数百kmに及ぶ雨雲となり、同時多発的に大雨が降ったのです」

とはいえ、これだけでは各地で1000mmを超えるような記録的雨量にはならない。増田氏が続ける。

「もうひとつの要因は台風です。台風7号は当時すでに形が崩れていましたが、それでも日本海まで進んだことで、大量の水蒸気が梅雨前線周辺で次々と雨雲を発生させたのです」

その水蒸気は、気象庁も「これまでに見たことがない」と発表したほどの量だった。

このように異例の事態だったとはいえ、政府の対応の甘さが目立ったと指摘するのは、防災・危機管理ジャーナリストの渡辺実氏だ。

「官邸も非常災害対策本部も動きだしが遅れました(気象庁が緊急会見を開いたのは5日、しかし政府が非常災害対策本部を設置したのは3日後の8日)。現場の部隊は頑張っていますが、自衛隊、警察、消防の各組織が都道府県をまたいでレスキュー活動を行なう総合的なオペレーションが国全体として定まっていないのも問題です。

これは豪雨に限った話ではありません。日本では今後、さらに広域な被害が発生するであろう南海トラフ地震の発生も予測されている。内閣府は、広域災害における自衛隊、警察、消防のオペレーションを見直すべきです」

今回、気象庁は過去に例のない広域な大雨の警戒を呼びかけるため、「特別警報を出すかもしれない」という時点で異例の緊急会見を開いた。だが、これも「危機感が市民にまで伝わっていなかった」(渡辺氏)ことはメディアも含めた反省点だろう。「まだ大丈夫」と思い込み、逃げ遅れた人が多かったとの報告もある。

「特別警報は"最終通告"です。特別警報が出た時点で避難は完了していないといけない。大雨警報が出たときは、常に情報を確認し、避難できるうちにしておくことが必要です」(前出・増田気象予報士)

九州北部から東海、北陸にかけて梅雨明けし、厳しい暑さが続くなか、懸命な救助・復旧活動が今も続いている。