「事実」が軽んじられる今、まだ日本ではほとんど知られていない「ファクトチェック」に取り組む弁護士の楊井人文(やない・ひとふみ)氏 「事実」が軽んじられる今、まだ日本ではほとんど知られていない「ファクトチェック」に取り組む弁護士の楊井人文(やない・ひとふみ)氏

ドナルド・トランプ大統領の誕生以来、すっかりおなじみになった「フェイクニュース」という言葉。新聞、テレビといった既存のメディアだけでなく、ネットニュースやSNSなどから膨大な量の情報が溢れる中、「何が事実(ファクト)で、何が嘘(フェイク)なのか」を見極める力が求められる時代になりつつある。

そこで今、注目を集め始めているのが、メディアが流す情報の真偽を「第三者的な立場」から検証する「ファクトチェック」という取り組みだ。2012年に「日本報道検証機構」を立ち上げ、昨年、新たに設立されたNPO法人「ファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)の事務局長を務める弁護士の楊井人文(やない・ひとふみ)氏に、活動の内容を聞いた――。

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――いきなりストレートな質問ですが「ファクトチェック」ってなんですか?

楊井 「フェイクニュース」という言葉は昨年の流行語になったので、耳にしたことがある人も多いでしょう。フェイクニュースとは、誰かが意図的にメディアやネット上に流した誤った情報、ねつ造された情報のことで、それが拡散されることで社会に悪影響を与えると懸念されています。

では、「ファクトチェック」とは何かいうと「メディアやネット上で広まっている情報が本当か嘘かを調べて検証する」......シンプルに言えばそれだけの話です。意図的なフェイクニュースだけをターゲットにしているわけでは、必ずしもないのです。実は、海外では十数年前から行なわれている営みで、最近は朝日新聞やバズフィードジャパンが独自にファクトチェックを始めていますが、まだ日本ではほとんど知られていません。

──要するに、その情報がファクトかフェイクかをチェックする、文字通りの「事実確認」ですね。

楊井 「事実確認」という言葉は誤解を招きやすいと思っています。メディア関係の多くの方々は「そんなの当たり前じゃないか。そんなことはこれまでもやっているけれど、それと何が違うの?」と仰います。もちろん、テレビや新聞、雑誌などは、放送や掲載前に社内で報道内容に誤りがないか、裏付けを取るという「事実確認」の作業を必ず行ないますが、それとファクトチェックは似ているようで、違うのです。

ファクトチェックは、すでに世の中に出た言説や情報を「第三者が検証する」という営みです。これまでも、ある新聞が他紙の誤報を報じたり、メディア批判の文脈で、特定のメディアの報道が「誤報だ」とか「虚報だ」と批判されることはありました。しかし、ファクトチェックは批判を目的としているわけではありません。既出の情報の真偽を検証することを純粋な目的として行なうのがファクトチェックなんです。

──そうしたファクトチェックはなぜ、日本では一般的ではなかったのでしょう?

楊井 まず、「知られていなかった」ということがひとつ。こういう営みが海外で行なわれていることを紹介した文献は、おそらく私が今年4月に出した本『ファクトチェックとは何か』(岩波ブックレット)が初めてです。

もうひとつの理由は、日本では依然として新聞やテレビといった大手メディアの影響力が圧倒的に強く、これらの報道に含まれる政治家や評論家ら公人の発言などに関しても「それってホントなの?」と疑う習慣があまりなかったからだと思います。それは情報の受け手だけに限らず、情報の出し手であるメディア自身も積極的に検証してこなかった面もあります。

──最近は大手メディアも各自のポジションを以前より鮮明に打ち出し始めていて、例えば産経新聞と朝日新聞や東京新聞を読み比べると、同じテーマでも驚くほど主張が異なります。ファクトチェックに対する社会的ニーズが高まっている背景には、そうしたメディアの変化もあるのでしょうか?

楊井 大手メディアの質的な変化があるのは事実で、おそらくその背景には経営的な理由もあるのでしょう。販売数を維持するためにも、自分たちの価値観やポジションを鮮明に示すことで、同じような価値観を持つ読者を「ファン層」として確保しようという流れがあると感じます。

──スポーツ紙で言えば、スポーツ報知が巨人ファンを囲い込み、デイリースポーツが阪神ファンを囲い込むことで、生き残りを図るようなものですね(笑)。

楊井 その結果、メディアの自己主張が先鋭化し、ひとつひとつの事実が捻じ曲げられる可能性も高まっています。「紙からデジタルへ」という流れの中で、新聞には「ネット仕様の記事」があり、紙の記事に比べると報道の質の低下が見られます。

そして、メディアの多様化やSNSの普及などによって、ごく小規模なメディアや、あるいは個人が発信した情報でも、大規模に拡散して社会に大きな影響を与える可能性があります。例えば、SNSで誰かの投稿をシェア、リツイートする行為は、仮に本人にその自覚がなかったとしても「情報の発信」であって、その人自身がメディアになり得る。誰もが簡単に発信者になれるということが、世の中に溢れる大量の情報の真偽をさらに見えにくくしています。

──ところで、楊井さん自身がファクトチェックに取り組むことになったきっかけは? 最初は新聞記者だったそうですね。

楊井 大学を卒業してから2年ほど産経新聞の記者をしていたのですが、ジャーナリストという「問題提起型」の仕事より、問題を解決する「実務家」のほうが自分には向いているのではないかと思い始め、退職して法科大学院に入り直し、司法試験を経て弁護士になりました。ただ、その時点ではファクトチェックのことなど全く考えていませんでした。

きっかけは3.11の東日本大震災と原発事故です。あのとき、原発事故を巡ってさまざまなメディア不信、情報不信が広がる中で、報道の質の低下を強く感じました。さらにネット上には真偽不明の情報が溢れ、何が事実で何がデマなのか、多くの人が見極めをつけられないという状況を経験しました。

報道に誤りがあれば、本来は徹底した自己検証をして、その過程も含めて公開すべきですが、多くのメディアは隠したり、ごまかしたりする傾向があります。第三者がきちんとメディアに問題を突きつける必要があると考え、震災の翌年、2012年に立ち上げたのが「日本報道検証機構」でした。マスコミ誤報検証・報道被害救済サイト「GoHoo(ゴフー)」を開設し、朝日、読売、産経など各メディアのポジションに関係なく報道を検証し、事実関係が間違っていれば、その検証の過程も含めて記事化することで「誤報の可視化」を始めました。こうした活動によって、メディアが自己改革を進めるきっかけを作りたいと思ったんです。

活動を続けている中で、自分たちのやっていることが実は国際的なファクトチェックの手法にそっくりだと気がつきました。そこで、GoHooの活動を発展させる形で、今年、NPO法人として「ファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)」を立ち上げました。

GoHooはファクトチェックを行なう、いわば「実行部隊」ですが、FIJはファクトチェックという実践を日本でも広めていこうという「啓発活動」が主な目的です。ファクトチェックをやろうとしている団体や個人、ジャーナリストなどを後押ししてネットワーク化したり、AIなどの新たなテクノロジーを活用したファクトチェックの研究などを通じて、より効率的な活動ができる環境づくりを目指しています。

──実際のファクトチェックはどのような形で行なわれるのでしょう?

楊井 何よりもまず、検証結果が「客観的に見て納得できるもの」であることが欠かせません。「こう思う/思わない」という主観は排除し、真偽の検証が可能な具体的な事実のみを扱います。つまり、メディアが流した情報や、政治家など公人の発言の論拠が、具体的な事実に基づくものなのかどうかを検証します。 

ですから、私たちは主観が入りがちな「真実」(トゥルース)という言葉は基本的に使いません。確かめるのは、小さくても具体的で客観的な検証が可能な、ひとつひとつの「事実」(ファクト)の真偽であって、意見や思想ではないということです。

また、そうした検証によって、ある情報がフェイクだとか間違いだと指摘することだけがファクトチェックの目的ではありません。その情報は本当だった、正確だったときも検証結果として公表します。「結論ありき」ではないですから、検証の結果、〇をつけることもあれば×をつけることもある。あるいは「その情報の一部は正しいけれど、一部は間違っている」「AとBとCのうち、Cだけは事実ではない」といった△や「グレー」の判定をつけることもあります。こうした判定を行なうこと以上に、自分たちが行なった検証の過程、真偽の判定の根拠を、これもまた客観的に検証可能な形で公開することが重要だと考えています。

しかし、「何を検証するのか?」というのは非常に難しい問題です。当然、すべての情報を網羅できるわけではないので、ファクトチェックを行なう対象の「選択」が不可避になる。社会にとっての公益性があるかないかという点を重視し、検証の必要性の高いものを選択するようにしています。

──SNSを含めメディアが急速に多様化してゆく中で、報道や情報を鵜呑みにせず、その真偽を慎重に確かめながら受け止める必要があるという意味で、ファクトチェックという取り組みは一般の人たちのメディアリテラシーを高めるという効果もあるのでは?

楊井 そうですね。今や、情報の受け手である我々市民も、リツイートやシェアといった形で情報を発信する立場になっているのに、その自覚が乏しい。流れてきた情報を鵜呑みにせず、その真偽を確認してから発信することが求められます。とはいえ、本当にその情報が事実かどうかを検証するという作業は、真面目にやろうとするとものすごく手間がかかるので、個人がいちいち検証するのは難しい。

ですから、ファクトチェックを専門にしている人たちが、忙しい一般市民の代わりに検証作業を引き受けて、調べた結果やプロセスを公開する。ただ、この作業は専門家やジャーナリストでなくてもできます。より多くの人が関わる「集合知としてのファクトチェック」によって、一般の人たちのリテラシーを底上げする助けになればと思います。

──しかし、「事実」を基に議論は行なわれるべきという当たり前の前提が社会に共有されていればいいのですが、最近の日本ではその「事実」すら軽んじられているように感じます。そういった状況では、せっかくファクトチェックで事実を突き詰めても、意味を持たなくなる恐れはないですか?

楊井 どうでしょう? 確かにそういった傾向はあるように見えますが、昔から人間の本質として「事実を軽んじてしまう」のは珍しいことではないような気がします。人はどうしても自分の感情や価値観を優先しがちだし、そこに心地よくフィットする情報は受け入れるけれど、そうでないものは排除したがる。

事実に基づいた主張や議論が重要であること自体は、一般論として誰も否定しないと思うんです。「事実は大事だ」と頭でわかっていても、現実には信念や価値観に基づいて見たいものだけを見てしまう傾向がある。思想の左右に関係なく、私を含めて誰であれ、陥りがちなことです。信念や正義感が強い人ほど要注意です。価値観の対立、社会の分断が深まると、この傾向はより一層強まります。

ネット社会になってからは情報発信の垣根が低くなって、以前ならリアルな生活では抑えられていた、公然と口にされなかった敵対的、政治的な言説が、まるでタガが外れたように見境なく、ネットを通じて発信されてしまっているように思えます。自分の信条に合致する情報を、その根拠や真偽を確認することなく拡散してしまっている。社会的に成功を収めた著名人や事実を追求するはずのジャーナリストも例外ではありません。

こういう時代だからこそ、「事実は大事だ」という当たり前のことを言い続けなければならない。そして、主張や信条から距離を置き、安易に大きな真実(トゥルース)を求めず、小さな事実(ファクト)の探求に徹するファクトチェックが必要だと思うのです。これを地道に実践していくことで、「事実は大事だ」ということを再確認し合い、議論をより冷静なものへと導く手助けになると信じています。

●楊井人文(やない・ひとふみ)
慶應義塾大学総合政策学部卒業後、産経新聞記者を経て、弁護士登録。2012年、日本報道検証機構を設立し、メディアの誤報検証サイト「GoHoo(ゴフー)」を開設。17年、「ファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)」を立ち上げ、事務局長に。

●『ファクトチェックとは何か』
立岩陽一郎/楊井人文 岩波ブックレット 580円+税