任務は危険な敵の占領地への潜入――となれば、その訓練は過酷を極める。自ら希望して荒波に飛び込み、3ヵ月間の地獄を生き抜いた精鋭たちによる感動の「卒業式」に密着した!
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7月7日朝、主に首都圏の防衛や災害派遣を担う陸上自衛隊第1師団に属する第34普通科連隊(静岡県板妻[いたづま]駐屯地)で、約3ヵ月の過酷な「部隊レンジャー訓練」が終了した。
敵の占領地に侵入し、作戦を遂行するレンジャーの資格を持っているのは全陸自隊員の約8%。板妻駐屯地では1970年代後半に始まり、ちょうど40回目の節目となる今回の部隊レンジャー訓練のラストは、富士山中で特定の行動計画に沿って行なう「想定訓練」だった。
3日3晩ほぼ飲まず食わずで過ごした20名の兵士たちはこの朝、徒歩で豪雨のなかを行進し、山中から帰還してきたのだ。
「ケガなどで4名の脱落者が出てしまったことが心残りであります」(学生長の星川基[はじめ]3曹、29歳)
「どんなに厳しい状況でも信じる仲間となら乗り越えられる。レンジャーとは家族なんだと思いました」(副学生長の山本渉[わたる]3曹、30歳)
彼らの制服や装備は訓練で汚れきっていたが、やり遂げた達成感がにじみ出ている。主任教官の玉岡和康1尉(29歳)はこう言う。
「今回の40期レンジャー候補生の基礎体力と精神力は非常に高く、いつもより訓練時の負荷を高めにしたが、よく頑張った」
体育館で待つ家族や仲間たちの拍手と歓声に迎えられた新生レンジャー20名。第34普通科連隊長・駐屯地司令の山之内竜二1佐(47歳)が、ひとりひとりに銀色のレンジャー徽章(きしょう)を授与していく。
「この豪雨のなか、頑張ったな!」
まるで自分の息子が金星を射止めたかのような表情だ。憧れの徽章を胸にかけた隊員たちの顔には汗、そして感動の涙も見える。約45kgの重い装備を下ろし、家族や知人との懇談が許されると、ようやく満面の笑みが広がった。
印象的だったのは、多くの隊員が小柄で痩せ形だったこと。ランボーのような体形では、見た目は派手でもレンジャーの役目は果たせないのかもしれない。
陸自にはこの「部隊レンジャー」のほかにも、パラシュートで降下する「空挺レンジャー」や急峻(きゅうしゅん)な山岳地帯で活動する「山岳レンジャー」などが存在する。
そして、多くのレンジャー有資格者たちの最終目標は、全国でわずか200人ほどの"日本版グリーンベレー"こと「特殊作戦群」(通称「S」)への選抜だ。彼らは高みを目指し、また訓練に励むだろう。