オンラインストリーミング放送局で心を動かされる最大の理由は、ドラマのなかにさまざまなレイヤー(層)で取り込まれている「多様性」の存在と語るモーリー氏

『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、オンラインストリーミング放送局でのドラマから見る、前進するアメリカの「多様性」について語る。

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最近、オンラインストリーミング放送局「Netflix(ネットフィリックス)」や「Hulu(フールー)」の海外ドラマに睡眠時間を奪われ続けています。気づけば朝まで見てしまうこともしばしば。僕が心を動かされる最大の理由は、ストーリーそのものよりも、ドラマのなかにさまざまなレイヤー(層)で取り込まれている「多様性」の存在です。

例えばキャスティングにしても、かつての(今も一部で色濃く残る)ハリウッド映画における「ブロンド」や「青い目」といった美の概念を放棄して、お世辞にも美男・美女とはいえない実力派の俳優が多くの作品で主役を飾っている。

もちろん、日本のテレビドラマのように大手事務所所属の新人タレントを無理して起用するようなこともありません。外見的な美しさ(若さ)という画一的な基準ではなく、より多様な観点から配役がなされ、作品世界のリアリティを際立たせているのです。

また、「黒人」の描き方にもある種の革命が起きています。

かつては、黒人映画の旗手といえばスパイク・リー監督でした。彼は時代を変えるべく黒人を中心とした映画を作り続け、一部の知識人はそれを高く評価しましたが、僕は正直、あまり好きではありませんでした。

特に彼が若い時代の作品は、「黒人をヒーローにしたい」というイデオロギー色が強く、言ってしまえば「黒人による勧善懲悪の世界」が押しつけがましく描かれていたのです。実際に自分の周りにいる黒人は、そんな好人物ばかりではないのに......。

そんな違和感がぬぐえず、僕は彼の作品を素直に見ることができませんでした。もっとも彼の作品に限らず、ひと昔前までのハリウッド映画に登場する黒人は、描かれ方の幅が非常に狭かったように思います。

一方、最近のNetflixやHuluのドラマでは、このあたりの描かれ方がまったく違います。象徴的なのが、"マーベル×Netflix"で話題になった連続ドラマ『ルーク・ケイジ』シリーズでしょう。

この作品には、主役のルークをはじめ、いろいろなタイプの黒人が出てくる。それこそ本当にクズとしか言いようのない黒人もたくさん出てきますが、そこに妙な"気遣い"はありません。以前なら、あのような描き方をすれば「黒人を貶(おとし)めている」といった批判にさらされたでしょうが、すでにアメリカの最先端の表現はその段階を超え、よりガチなリアリズムを追求しているのです。

あらゆる人種が社会に溶け込み、そのなかで黒人の大統領が生まれ、人種や性別に対する偏見が日々、水平化へ向かっている――長い年月をかけて議論が繰り返されてきたアメリカの多様性が、確実に前進していることをあらためて実感します。

それでも「白人中心のアメリカのほうがグレートだ」と叫ぶ人たちの親分が現在のトランプ大統領なわけですが、おそらく多くのアメリカ人の心の中では、すでに多様性という"革命"が起きているのでしょう。

日本では、まだ多様性の議論が個別のイシューごとに「点」で行なわれていますが、アメリカはもはや「面」で進んでいるイメージです。そう言ってもなかなか伝わらないかもしれないので、まずはだまされたと思って『ルーク・ケイジ』シリーズ(ほかのドラマでももちろんいいですが)を見てみてください。

●モーリー・ロバートソン(Morley Robertson)
国際ジャーナリスト。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。日テレ系情報番組『スッキリ』の木曜コメンテーター。ほかに『教えて!ニュースライブ 正義のミカタ』(朝日放送)、『報道ランナー』(関西テレビ)などレギュラー多数

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