『富山は日本のスウェーデン 変革する保守王国の謎を解く』の著者である井手英策氏
8月に刊行され話題となっている『富山は日本のスウェーデン 変革する保守王国の謎を解く』(集英社新書)。日本海に面する北陸は富山と、北欧を代表する国・スウェーデン。一見、まったく共通点など見いだせないような遠く離れた2つの地域に共通する、豊かな社会環境とは一体何なのか? 

10年間にわたって富山でのフィールドワークを続けてきた気鋭の財政学者・井手英策氏が、驚きのその"しくみ"を語ってくれた。

──いきなり「富山は日本のスウェーデン」と言われても、なんだかピンと来ないというのが正直なところです。そもそも「富山」や「スウェーデン」のイメージがあまりない。

井手 そうでしょうね。では富山やスウェーデンと聞いて何を思い浮かべますか?

──富山といえば、寒ブリやホタルイカ、あと富山の薬売り......でしょうか。スウェーデンは北欧家具のIKEAとか、自動車のボルボ。社会福祉が充実した国という印象もありますね。

井手 そうですね。スウェーデンは豊かで、社会福祉が充実していて、教育レベルが高く、女性が積極的に社会進出している。日本の「リベラル」が理想とする国、約束の地というイメージでしょうか。

そんな国と同じくらい暮らしやすい社会が、「保守王国」と言われる北陸の富山県にある......と聞いたら、皆さん驚かれるんじゃないでしょうか。

この「謎」の中に、「保守 対 リベラル」という対立を超えるヒントが隠されているんじゃないか?というのが、この本の大きなテーマです。

──井手さんが「富山」に注目したきっかけはなんですか。

井手 僕の後輩が富山に転勤になり、その彼が「富山はすごく暮らしやすいですよ」というので訪ねてみたんですね。たしかにご飯も美味しい良い町だと思ったのですが、その時点では、まだ日本にたくさんある地方都市の一つ、という印象でした。

その認識が覆ったのは、平日の朝、富山駅の立ち食いソバを食べ、駅前で街ゆく人たちを眺めていたときのことです。通勤中の女性が驚くほど多いし、周囲を見まわしたら、クルマを運転している人にも女性が目立つ。

先ほども言ったように、富山というのは政治的に保守が強い地域です。一般的に保守というと、「男が働きに出て、女は家庭を守る」というイメージが強いですよね。それなのに、なぜ富山ではこんなに女性が社会に出て働いているんだろう? しかも、通勤している人もみんな軽自動車じゃなくて、結構立派なクルマに乗っている。

そこで統計資料を見てみたら、驚きました。富山県は人口106万人と、全国47都道府県中37位でしかないのですが、県民一人あたりの所得は全国6位なんです。ちなみに福井県が18位、石川県16位と北陸三県は比較的上位なのですが、その中でも富山は飛びぬけています。

驚くのはまだ早いですよ。勤労者世帯の貯蓄額は5位、勤労者世帯の世帯当たり実収入は4位、自家用車保有台数は全国2位。持ち家率は全国トップで、しかも専用住宅延べ面積までトップです。つまり家がデカくて、車がたくさんあるということです。

──富山がそんなに豊かだったとは。なぜなんでしょうか。

井手 そう、豊かなんですよ。それが顕著に表れているのが企業売上高です。富山県は3.6兆円にも及びます。県民人口がほぼ同じ宮城県は1兆円、秋田県が9800億円です。

富山の経済力の背景にはいくつかの理由があります。地方経済のベースになるのはエネルギーと金融ですが、北陸電力や北陸銀行の本社・本店があるのは、石川県の金沢ではなく、富山市なのです。

地理的な要因もあります。急峻な北アルプス立山連峰があるため、水力発電で安く電気を調達でき、豊富な水も得られた。それで、この2つが必要なアルミ製造業の集積地として発展してきました。他にも、「富山の薬売り」の伝統は、製薬産業が盛んになる基礎となりましたね。そうした、偶然も含めた地理的・歴史的な要因に恵まれたことが、今の富山の豊かさに繋がったことは事実ですね。


──ただ、それだけだと「富山は豊かでいいな」で終わってしまいますし、スウェーデンとは繋がりませんね。

井手 そう、その先がポイントで、実は富山が豊かなのは「お金の豊かさ」だけじゃないんです。ここでもデータをご紹介しましょう。女性の正社員比率は全国1位、生活保護を利用している人の割合の低さも全国1位です。

また、小中学校に通う子どもの学力も全国トップクラス。しかも、東京などと違い、優秀な子供は授業料の高い私立ではなく公立の名門校に進みますから、所得格差による学力差が小さい。

こうと聞くと、ほら、保守王国の富山がスウェーデンに見えてきませんか?

──なるほど。つまり富山は豊かだったので、北欧のような社会になれたということでしょうか。

井手 実は、歴史的に富山はずっと貧しかったんです。

富山の農業はもともと稲作の水田単作地帯で、コメが中心でした。そのため、干ばつや冷害に一度見舞われると壊滅的な被害を受けしまう。だから、男は遠洋漁業で北海道に働きに行き、残された女は家庭を守りました。大正7年、全国に広がった米騒動のきっかけの「女一揆」を起こしたのも、そうした富山の漁師の主婦たち。家を守れない危機感が米騒動を生んだのです。

このように、富山ではその貧しさ故に、家族全員が働く必要があったわけです。それを支えてきたのが、じいちゃん、ばあちゃんが同居して、外で働く女や子どもたちの面倒を見るという「三世代同居」の家族形態。あるいは、地方ならではの濃密な繋がりを持った、「地域コミュニティの相互扶助」なんです。

──ただ、三世代同居や濃密な地域コミュニティというと、窮屈で面倒な印象です。それがなぜ「スウェーデンのような富山」に繋がるのでしょう。

井手 一見、大きく違うように見える富山とスウェーデンですが、両者の共通点は「働く人のため社会を作っている」ということだと思います。

例えば、父ちゃん、母ちゃんも働きに出るのが当然という富山では、両親がいない間、子どもたちの面倒を同居する祖父母がみたり、地域で助け合ったりすることで、「働く人のための社会」を歴史的に維持してきた。あるいは、年老いた高齢者たちの世話を、同居する家族や地域が担ってきた。

確かに「三世代同居」や「地域社会の濃密な関係」は面倒だったり、息苦しいと感じたりする面もあると思います。僕もそのことは否定しません。ただ、「三世代同居」のメリットも大きくて、例えば、富山の子どもたちの学力が高い背景には、両親が共働きでも家でおじいちゃん、おばあちゃんが勉強を教えてくれるから、学校の勉強についていけない「落ちこぼれ」が少ないことが大きい。とにかく子育てがしやすい環境なんです。

生活保護利用者の少なさも同じです。都会だと、年金を受け取れない高齢者や、日々の生活に困窮しているシングルマザーに生活保護利用者が多いですが、「三世代同居」はそうした人たちの生活を支える「社会的セイフティ―ネット」としても機能しています。強い経済にくわえて、家族や地域が強いこと。ここがポイントなんです。

一方、スウェーデンのように社会福祉が充実した「社会民主主義」型の国では、家族や地域社会の役割を政府が担っています。どちらも、「働く人のための社会を作っている」という意味では同じなんですね。

実は、スウェーデンも昔は極貧の国でした。19世紀後半は貧しい人たちが移民としてどんどん国外に出て行き、20世紀初頭の出生率はヨーロッパ最低レベル。大恐慌期には、失業率が25%を超え、社会格差が広がるという状況ですから、富山と同じようにみんなが働かなきゃいけない状況だった。

そんな中、後に首相となる政治家のペール・アルビン・ハンソンが、「国民の家」という考え方を打ち出し、「貧しい私たちは、家族のように助け合って国を作っていくんだ」という有名な演説するんですね。要するに、家族の助け合いの精神を、政府という「公」が代わりに担っていくのだという考え方です。

ですから、スウェーデンと富山、どちらもまず「貧しさ」があり、男も女も働かなければならないという現実があった。それを富山は「三世代同居」や地域の相互扶助で、スウェーデンは「高福祉・高負担」の社会民主主義的な形で、どちらも「働く人のための社会」を作ってきたんだと思います。

──なるほど。ただ、富山の豊かさには、地理的・歴史的な幸運があったということでした。そうした運に恵まれない地方に、富山やスウェーデンから学べることがあるのでしょうか?

井手 ここでも、カギになるのは「働く人のための社会をどう実現するか」という点だと思います。今の日本は「落ち目」ですよね。僕が子供の頃、日本の一人当たりGDPは世界で2位だったのに今では25位前後ですから、かなり経済的に不安定な国になってしまった。

そうなると、生活できないから男も女も外で働く必要がある。「男女共同参画社会」とずっと言われていますが、これは男女平等意識の高まりから求められているだけでなく、むしろ「現実的な要請」だと考えなければいけない。

では、その「働く人のための社会」をどう実現すればいいのか。ひとつにはスウェーデンのように、税を通じて政府などが人々を支える方法もある。東京都のように、スウェーデンの国家予算に相当するほどの財政規模がある地方自治体ならば、十分に可能だと思います。

また、税負担についても、今の日本の消費税率は他の先進国と比べて相対的に低い。これをかなりの程度引き上げても、税や社会保険料の負担率は先進国の平均程度です。生活の基礎部分を支える「セイフティネット」として分配されるならば、仮に増税しても生活者のメリットのほうが大きいのです。

一方、東京のような大都市圏と違って、地方では公がすべてを担うのは難しい。そうしたエリアは、NPOや地域の自治組織、さらには生協やJA、労働組合、そして、地元企業なども巻き込んでいくことが必要でしょう。家族や地域が担ってきた相互扶助の一部を、地方自治体だけでなく、地域組織や企業が担っていく。いわば「公・共・私のベストミックス」を柔軟な発想で探っていくわけです。

たとえば、富山でも急激に「三世代同居」や地域コミュニティへの参加率が減りつつあるんですね。でも、その代わりに、「富山型デイサービス」という新しい福祉のあり方が民間から生まれています。これは、通常の高齢者向けデイサービスだけでなく、子どもたちや障がい者まで総合的にケアする仕組みで、まさに「働く人のための社会」を、家族とは別の形で実現しようという好例ではないでしょうか。

富山にはこうした例がたくさんある。家族の機能を地域やNPO、企業などが代替する。他の自治体にとって大きなヒントになるはずです。

保守的でありながら変革を模索する社会。保守王国といわれる富山が「働く人のための社会」を作り、スウェーデンのような社会経済的な好循環を実現している。この現実のなかに、「保守対リベラル」という古い構図を越えるヒントがあることは確かだと思います。

そもそも、本来の保守とは「何も変えてはならない」という伝統主義ではなく、「守るべきものを守るために、変えるべきものは変える」という思想だったはずです。大きな困難に直面している今の日本社会で、「働く人のための社会」を実現するために、「何を守り」「何を変えるべき」なのか? 今こそ考えてみる必要があるのではないでしょうか。

●井手英策(いで・えいさく)
1972年、福岡県生まれ。博士(経済学)。慶應義塾大学経済学部教授。東京大学大学院経済学研究科博士課程を単位取得退学し、日本銀行金融研究所に勤務。その後、横浜国立大学などを経て、現職。
著書に『経済の時代の終焉』(岩波書店)、『18歳からの格差論』(東洋経済新報社)、『財政から読みとく日本社会』(岩波書店)、共著に『大人のための社会科』(有斐閣)などがある。2015年大佛次郎論壇賞、2016年慶應義塾賞受賞。