本年6月に国会で成立した「働き方改革」関連法案。労働者の立場に寄り添うような耳あたりのいいフレーズだが、その実像とは一体何なのだろうか。
継続的にこの問題の取材に取り組み、9月に刊行された『「働き方改革」の嘘 誰が得をして、誰が苦しむのか』(集英社新書)の著者である東京新聞・中日新聞論説委員の久原穏氏が、福島市に本社を構える体育着製造メーカー「クラロン」の類まれな雇用形態を例にとりながら、安倍政権と財界が主導して押し切ったこの"改革"の欺瞞を訴えるべく、寄稿してくれた。
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福島市にクラロンという運動着メーカーがある。JR福島駅から車で10分足らず。一見、どこにでもありそうな町工場と社屋だが、実は全国から視察が相次ぐほど注目を集める企業である。その理由は後述するとして、もう少し会社の説明を続けよう。
クラロンは、田中須美子現会長の亡夫・田中善六さんが昭和31年(1956年)、親戚からメリヤス肌着の会社を引き取って興した。その後、東京五輪の開催(昭和39年)が決まると、スポーツ衣料の需要が増えると見越し、肌着から運動着へと生産の軸足を移したのである。
現在は東北・北関東の小、中学校などから体操着、ユニフォームを受注生産。1着からの注文を受ける親切丁寧な仕事ぶりは定評があった。だが、東日本大震災後は人口の流出が続き、少子化や学校の統廃合、さらに安い輸入品との競合もあって経営環境は悪化。今度は介護用品など福祉分野にも事業を拡大してしのいでいる状況だ。
しかし、だ。ここで働く従業員たちの表情は幸せに満ちている。みんな実にいきいきと楽しそうに働いている。生地の裁断、ミシン縫い、袋詰めや検品。和やかな空気感に包まれ、小気味良いリズムが響いている。どうして皆がみんな、こんなにも楽しそうなのか。その秘密はこういうことだった。
従業員は134人。定年は65歳だが、それはほとんど意味をなさない。「死ぬまでここにいなさい」。御年92歳で経営の最前線に立つ田中会長は、定年を迎える社員にこう勧めるからだ。
しかも嘱託や非正規ではなく、正社員としてである。本人が希望すれば1年ごとに雇用を更新し続けるので、文字通りの終身雇用である。定年を超えて働き続ける人は20人近くいて、営業課長は80歳に手が届きそうだ。
また女性従業員は100人に達し、社員の4分の3を占める。管理職も全18人中10人と半数を超える。「女性活躍」を推進する政府は2020年までに女性管理職の比率を3割にする目標だが、クラロンにすれば「今ごろ何を」という感じだろう。
特筆すべきは障害者雇用の手厚さである。
創業者、田中善六氏は第二次大戦で耳が一時的に不自由になった経験から、障害者が働く場が必要だとの思いを強くした。それで創業時から障害者を正社員として雇い、徐々に増やしてきたのだ。
今では36人に上る。しかも重度障害者が11人いて、法定雇用率の算定では倍換算となるため、障害者雇用率は35・1%(2017年12月末現在)と驚異的な数字だ。2%強の法定基準をクリアするのに汲々とする企業が多い中、クラロンの本気度は異彩を放っている。
障害者雇用の難しさは、なかなか定着しないことで、数だけ増やせばいいものではない。だが、クラロンでは障害者の平均勤続年数は25年を超える。障害者の管理職も2人いて健常者を指導している。
なぜ、障害者がこれだけ定着し、生き生きと働いているのか。その秘訣は、さまざまな障害をもつ人でも対応できるよう作業の工程を細分化し、単純化の工夫を重ねているからだ。一人ひとりが適材適所の仕事に就けるよう手間と時間をかけているのである。
知的障害のあるT君は、重さ20キロ以上もあるロール状の生地の保管、整理という力仕事と、500通りもある型紙の管理まで任されている。仕事を覚えるには時間がかかったが、一度覚えると決して忘れない。手抜きをしない。まさに適材適所だった。T君なしに会社は回らないほどだという。
このようにクラロンは高齢者、女性、そして障害者が会社を支える「真の総活躍」を実現している。一人ひとり異なる事情を考慮し、尊重して、それぞれに合った働き方を決める。働く人の幸せを第一に考えた働き方である。
田中会長は「雇ってあげるとか、教えてあげるといった気持ちはありません。働きたい、人の役に立ちたいと願う障害者と一緒に働くことで、私の方がやさしさや奉仕の心を学ばせてもらっているのです」と話す。
対して、安倍政権が目指す「一億総活躍社会」はどうだろうか。労働力人口の減少を補うため、高齢者や女性の就労を促し、それを実現するには長時間労働の是正など「働き方改革」が必要だという筋書きである。
しかし、長時間労働の是正といいながら、逆に労働時間が伸び過労死を増やしかねない高度プロフェッショナル制度の創設や裁量労働制拡大を目指す。本当の狙いは、雇用の流動化、つまり正社員改革であり、残業代なしで働かせ放題ができる社員の増加や、解雇しやすいシステムの導入といった「財界要望」を実現することなのである。
そんな「働かせ方改革」だから働く人の幸せは二の次である。特に障害者の雇用についてはほとんど対策が欠落している。高齢者や女性に比べて「戦力」として劣るかのような扱いなのだろうか。そうした政府の姿勢を象徴するような出来事が8月末に発覚した。
障害者雇用の水増し問題である。
障害者雇用促進法により国や自治体などの公的機関は、企業と同様、雇用者の一定比率以上の障害者を雇用することが義務付けられている。障害者雇用率は今年四月から、国・地方自治体等は2・5%、企業は2・2%となった。公的機関の方が高いのは、旗振り役として障害者雇用を推進する責任があるという考えからである。
ところが驚いたことに、国の33の行政機関のうち27機関で水増しが行われ、さらに法律をつくった国会や、法律違反を裁く立場の裁判所までが水増ししていたのである。
国の機関が公表していた平均雇用率は2・49%だったが、水増し分を除くと1・19%にまで下がる。半数以上が水増しだったわけで、「悪意はなかった」という説明を信じろという方が無理な話だろう。
率先して雇用すべき立場なのに、その姿勢は「できれば面倒は避けたい」「ごまかすことができるなら、雇ったことにしておきたい」といったものだったのだろう。
ある省庁からは「第一、任せられる仕事が少ない」との声を聞いた。クラロンとは考え方が正反対なのである。
同じ仲間として受け入れ、そのままでは任せられない仕事ならば、工夫して任せられるようにする。そこには健常者と障害者という区別はなく、あるのは同じ従業員、同じ働き手という共感である。
あくまでも「働く人目線」の働き方を実践し、働く人をとことん大切にするクラロン。「障害者雇用の推進」など実は掛け声だけだった国の省庁。その落差は、働き方改革というご立派な看板を掲げながら、実態はまったく別物であるという「働き方改革の嘘」を如実に物語っているといえるだろう。