「僕が敬愛している山崎豊子は『戦争』を背負った世代だと思うんですよ。では、僕らは何を背負っている世代かというと『情報』だと思うんです」と語る塩田武士氏

昭和史に残る未解決事件「グリコ・森永事件」を題材にした『罪の声』が、18万部突破のベストセラーに。塩田武士は社会派ミステリーの旗手として、一躍その名をとどろかせた。

最新作『歪(ゆが)んだ波紋』では、元新聞記者というキャリアを生かし、「誤報」にまつわる5つの物語を書き上げた。レガシーメディアと呼ばれる紙媒体と共に、ウェブメディアやSNSの実情も活写した本作は、現代の高度情報化社会に潜む加害性をあぶり出すことに成功している。塩田氏に聞いた。

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──刊行から丸3ヵ月がたちましたが、『罪の声』のときとはまた違うリアクションを感じているのではないですか?

塩田 『罪の声』は「グリ森(グリコ・森永事件)」という実在の事件を扱う、過去の時間軸にフィーチャーした作品でした。それに対して『歪んだ波紋』は、現代の日本で起こりうる架空の事件を想像して書いていった。

つまり現在という時間軸を強く意識したものだったんですが、先輩ジャーナリストの方がおっしゃってくださったのは「これは近未来小説や」と。現在を突き詰めていくことで、一歩先の未来まで書けたような気がします。自分の思惑を超えるひと回り大きなものができた、という自信につながりましたね。

──全5編の主人公たちは、本人あるいは近しい人間がメディア関係者であり、誤報におびえている。一見すると専門的で特殊な感情のように思えるんですけれども......違いますよね?

塩田 そうですね。「あなたのツイート、リツイートが、悪意を伴う誤報である虚報(フェイクニュース)に加担し、誰かを傷つけることになるかもしれませんよ」と言っている小説ですから。実際、痛い小説だと思いますよ。でも、ある意味ラッキーかもしれません。小説を読んで「痛っ! 自分も気ぃつけよ」と思えたら、スマホでワンタップする前にきっと一呼吸置けますよね。

──誤報を出した後で、登場人物の内面に「誤報だと認めたくない。黙ってスルーしたい」といった感情が出てくるじゃないですか。その部分にも、個々の状況設定を超えた普遍性が宿っているように思いました。

塩田 僕自身の経験を話すと、2002年まで神戸新聞で記者をしていたんですが、お店紹介の電話番号を間違えた、というレベルの誤報をけっこう出していました。誤報に気づいたときは絶望して、「事実のほうが歪んでくれへんかな?」と思ったりする(苦笑)。そういう浅ましい考えも含めて、自己嫌悪の嵐ですよ。

ただ、人間はどうしたって間違える生き物だし、どんなに集中力を持続しようとしても緩む瞬間って絶対ある。今回の5編を書き終えたときに気がついたのは、自分は人間の弱さを書いたんだな、と。

弱さっていうのは、大事な場面でふっと気が緩んだり、魔が差すようなことがあるということ。そこを認めることは、自戒になると同時に、他者に対する「許し」にもつながっていくと思うんです。 

──そういった誤報の周辺で発生する登場人物たちの感情が、ミステリーのトリック&サプライズを形成している。これぞ社会派ミステリー、と感嘆しました。

塩田 個人的には2編目の「共犯者」と3編目の「ゼロの影」が、うまくハマったなと思っています。社会性と人間性、物語の運び、驚き。きれいな勧善懲悪にはならないけれども、ほのかに温かい着地点を見せることもできました。......いや、3編目のオチは相当苦いって感じる人もいたかな。

──全5編の題名は、松本清張の小説の題名をあからさまに参照していますよね。社会派ミステリーの書き手として、先人に匹敵あるいは乗り越えようとする意思の表れではないか、と。

塩田 無理無理! そんなん無理です(笑)。ただ、末席を汚します、という意思表明ではありましたね。清張ともうひとり、僕が敬愛している山崎豊子は、「戦争」を背負った世代だと思うんですよ。じゃあ僕らは何を背負っている世代かというと、「情報」だと思うんです。つまり現代の日本社会について何かを書こうと思ったら、「情報」というテーマに突き当たるんじゃないか。

今回は、そこをとことん突き詰めて考えるべきだと思いました。清張と山崎豊子を超えることはできません。けれども、すでに鬼籍に入った彼らにはできない「現代を書く」という仕事ぐらいは僕にもできる。

基本的にはエンターテインメントとしておもしろいと思って読んでもらいたいんですけれども、かつて清張と山崎豊子の小説がそうであったように、「時代や社会を読む」ツールとして僕の小説が少しでも役立ったら幸せだな、と。

──現代社会を記述するためには「情報」というテーマが必須になる、と気づいて新聞記者になったわけではないですよね?

塩田 全然! 大学1年の頃からずっと作家になりたくて、でも当時の筆力ではなれないからっていうことで、社会勉強と文章修業、もっと言うと小説のネタ探しのために新聞社に入ったんです。

実際、いろいろ学べましたね。例えば傷害事件について調査していったときに、「被害者も悪いんやけどなぁ」ってなるとするじゃないですか。でも「悪いのは法に背いた加害者である」って結論から外れるのは社会衛生上よくないから、記事ではそう書くしかない。

──事件を取り巻く違和感や空気、それをキャッチした受け手の気分のようなものって、「事実」を記録する新聞記事にはなかなか載らなそうですよね。

塩田 そこをすくい取れるのが、小説なんですよ。そのことを新聞社で学んだんです。記者時代には原稿をいっぱい書きましたけど、感覚的には取材したものの書かなかった情報が、8割を占めている。記者時代に書けなかった8割の存在が、僕を小説家にしてくれたんです。

──最終第5編である人物が胸に抱く「眠気覚まし」という一語が、本作を象徴しているように感じました。

塩田 インスタントに体験できるような、軽い衝撃って世の中にいっぱいあるじゃないですか。自分の小説では、本を閉じた後もそれぞれの生活に絡みついてくるような、深い余韻を漂わせたいんです。

そうすることで、清張と山崎豊子が現役ばりばりだった頃のように、社会全体が小説というものを必要としてくれる、そのためのかすかな一助になりたいんですよ。

●塩田武士(しおた・たけし)
1979年生まれ、兵庫県出身。関西学院大学社会学部卒業。新聞社勤務中の2010年『盤上のアルファ』で第5回小説現代長編新人賞を受賞し、デビュー。2016年『罪の声』で、第7回山田風太郎賞受賞、「週刊文春」ミステリーベスト10 2016年国内部門で第1位となる。ほかに、『女神のタクト』『ともにがんばりましょう』『崩壊』『盤上に散る』『雪の香り』『氷の仮面』『拳に聞け!』『騙し絵の牙』がある

■『歪んだ波紋』
(講談社 1550円+税)
近畿新報の中堅記者・沢村政彦は、市内で起きたひき逃げ事件の記事が、誤報である可能性に気づく。一方、社内に特設された調査報道チームによるニュースが、「完全なる誤報」であるというリークも受けた。何が起きているのか。何が真実なのか? 虚報(フェイクニュース)を扱う第1編「黒い依頼」のほか、誤報のモチーフで貫かれた全5編の連作短編集。各編は独立しているが、かすかにつながっており、最終編でサプライズが発動する

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