東京から南に358km。伊豆諸島南部に浮かぶ青ヶ島村は日本一人口が少ない村だ。豊かな自然に恵まれる一方で先月、全国紙に求人広告を出して話題に。いったい、どんな島なのか?
■レンタカーの鍵は抜いてはいけない?
「死ぬまでに見るべき絶景の島」「東京の秘境」ともいわれる青ヶ島。その村役場が朝日新聞に求人広告を出したのは10月21日のこと。
これを週刊誌などが取り上げてちょっとしたニュースになったが、そもそもどんな島なのか?
何か役に立てないかと役場に行って話を聞こうと思ったが、どうやら青ヶ島に上陸するのは簡単ではないらしい。
本土からの直行便はなく、すべて八丈島経由。東京からだと八丈島まで飛行機で行き、そこからヘリコプターか船で渡ることになる。だが、ヘリコプターは定員9名のため、なかなか席が取れず、船も悪天候のせいで就航率は5、6割。これが「選ばれし者だけが上陸できる島」といわれるゆえんである。
記者は羽田から八丈島空港に飛び、船が出る底土港(そこどこう)までタクシーで向かった。
「青ヶ島に何しに行くの? あそこはなんにもないヨ?」
と、運転手。
「二重カルデラを見るか、星を見るか。それぐらいかな? それに青ヶ島は行ったらすぐに帰ってこれない島だからね。先週は船が1週間欠航してたよ。今日は船、出るの?」
今回は運良く船が出た。ひょっとして呼ばれてる? 船に揺られて2時間半。青ヶ島の三宝港(さんぽうこう)に着くといきなり携帯が圏外に......。え、マジですか?
港で出迎えてくれた民宿マツミ荘のご主人・佐々木宏さんが言う。
「auは港が圏外だけど、それ以外の場所は通じるから心配ない(笑)。ドコモとソフトバンクも大丈夫」
宏さんは1989年から3期12年間、青ヶ島村長を務めていた人物。なんと、CDを2枚出した歌手でもある。
「この島は人が少ないから、ひとりでいろんなことをしないといけないんだよ(笑)」
宏さんは鶏を飼い、魚も取り、畑も耕し、食品加工もするマルチプレイヤー。以前は青ヶ島特産の焼酎「青酎」も造っていたとか。
島内には食堂やレストランはなく、夕方から営業する居酒屋が2軒あるだけ。なので民宿は1泊3食付きが基本で宏さんも自分の民宿の宿泊客の食事を全部ひとりで作っているという。人口が少ないから「ひとり多役」なのだ。スゴイ!
島には細かい住所がなく島内全域が「東京都青ヶ島村無番地」。電車、バス、タクシーもないから基本、移動は車だ。島内、唯一のレンタカー屋で軽バンを借りたのだが、借り受け時の注意を聞いて驚いた。
「車を止めて離れるときは、鍵をつけっぱなしにしてください」
えっ、どういうこと!?
「島の道は細いので、道端に車を止めたまま離れられると、ほかの車が通れずに困るんです。なので誰でも動かせるように常に鍵をつけておいてください。あ、大丈夫ですよ、島に泥棒はひとりもいないですから(ニッコリ)」
こんなのどかな楽園が東京都にあったとは!
■不動産屋も空き家もない!?
まずは全周9kmの島内を車と徒歩で回ってみた。島で顔を合わせる人は、みんな挨拶をするのが基本だ。歩いていると、車で通りかかる人に「乗せていこうか?」と声をかけられることも珍しくない。
のどかな島には郵便局がひとつ。島内唯一の商店には、肉、魚、野菜などの生鮮食品のほか、お酒や日用雑貨、お土産もある。切り盛りするのは先ほどのレンタカー屋さんのお母さまと奥さまだった。信号は学校前にひとつあるだけ。おそらくこれは子供たちに信号の存在を教えるためだろう。
観光スポットは豊富だ。島内で最も標高の高い大凸部(おおとんぶ)と呼ばれる山のてっぺんから見下ろす二重カルデラは胸のすくような絶景だった。地熱サウナで汗を流した後は、24時間無料で使える地熱釜で卵や魚などを蒸して食べた。味つけは特産の塩で、シンプルだがこれがうまい! 夜は地熱で地面が温かいので、駐車場に寝っ転がって満天の星を楽しむこともできるという。
......いけない。観光をしている場合ではなかった。週プレは人手不足の村の力にならなければ。
村役場を訪ねると、総務課のAさんとBさんが対応してくれた。
「先日、求人広告を出したらある雑誌に島が『緊急事態』『ピンチ』だなんていう記事を書かれてしまったんです。これでは来てくれる人も来なくなりますよ......」(Aさん)
「ほかの離島も職員を募集しているのに、なぜ青ヶ島だけが取り上げられるんでしょう。そもそも島に取材に来るわけでもなくねぇ」(Bさん)
怪訝(けげん)そうなふたりだったが取材趣旨を告げると、島の労働環境を教えてくれた。
まず、この島で働くには公務員か建設業しかないのが現実だという。漁業、農業は島外への出荷が難しいため、それだけではやっていけないのだ。役場職員の定員は発電所などの技術職も含めて最大30名。現在、一般職員は島内出身者2名、島外出身者10名で回しているが、まだ空席があるという。
島外の民間企業から転職したBさんが言う。
「役場は人手不足ですが島内で人材を探そうにも年々、人口は減っていますし、すでに島民はいろいろな仕事を兼業していて手いっぱい。だから島外から求人を募っているんです」
豊かな自然を求めて島外から移住したいという問い合わせはよくあるというが、離島ならではの難しい事情もある。
「青ヶ島には不動産屋がなく、空き家もないので移住は難しいんです。でも、役場職員には村営住宅を用意しています。家族連れも大歓迎で、小中学校は生徒16名に対して先生25名と手厚い。また、畑仕事の手伝いでトラクターに乗ったり、大きな魚を釣ったりと内地ではできない経験がいろいろとできますよ。僕は転職して家族との時間が増えましたね」
人付き合いも濃く、車通りも少ないから、安心安全の子育てができるという。
「職員給与は決して高いとはいえないが、島ではお金を使う機会が少ないので確実にたまります。しかも通勤は歩いても10分以内。通勤ラッシュとは無縁です」(Aさん)
10月1日から役場に勤務し始めた新人職員・井上峻さん(34歳)にも話を聞いた。
「休日は島の皆さんとバレーやサッカーを楽しんでいます。島の子供たちの優しさに癒やされますし、人も皆、温かい。村や学校の行事には島民がほぼ全員参加するんです。すごいでしょ? 船が来ないと物が届かない不便さはありますが、自分の生きる力を見つめ直す機会になります」
ちなみに島でのメジャーな娯楽は居酒屋での採点カラオケ。一曲100円を払って採点するが、何も高得点を出すことが重要ではない。
例えばその日が「8日」ならば下ひと桁で8点を出すと1ポイント。ゾロ目はさらに2ポイント加算されるので、88点なら3ポイントもらえる仕組みだ。たまったポイントで一升瓶のボトルがもらえるという。
島の人たちは歌のうまさよりも、自分が狙った点をどうやって取るかに集中する。そのためわざとヘタに歌ったり、マイクを頭に当てて歌ったりして点数を調整しているのだが、島民は皆、楽しみ上手だ。
実は青ヶ島は「天明の大噴火」(1785年)の際、全島民約200人が八丈島へ避難。その後の約40年間は無人島になったという。
前出の佐々木宏さんが解説してくれた。
「大飢饉(ききん)のときも、青ヶ島はひとりの餓死者も出さなかった。誰かがひとり占めせず、皆で分けて助け合ったんです」
1824年には名主の佐々木次郎太夫の下、全島民が青ヶ島に帰還する「還住」を果たした。宏さんはその次郎太夫の末裔(まつえい)だ。
「昔は200円の月給で8人の子供を育てるのが大変だった。それが今は民宿で一日何万円も収入がある。なんでそんなことができるかって、青ヶ島の自然を守ってきたからだよ。子供たちが誇りを持てるよう、これからも島の自然を守っていくよ」
こんな青ヶ島で、キミもひと旗揚げてみないか?