「子や孫の世代にツケを残して『あのとき何をしていたんだ!』と言われるのはカッコ悪い。水道人の矜持が許しません」。こう熱く語るのは、岩手中部水道企業団の菊池明敏局長だ。
日本の水道は、人口減による収入低下と、インフラ老朽化に直面し、近い将来の料金高騰は避けられない。しかし、この企業団は事業の「広域化」によって、難題を乗り越えることに大成功!
いったいどうやって? 改革の旗振り役、菊池氏を直撃した!
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■広域化の取り組みを5年前に先取り
今、日本の水道事業は危機に瀕(ひん)している。
日本にある1263の水道事業体(2016年度。簡易水道は除く)の多くで、人口の減少と、節水機器の普及で水需要が減り、水道収入が落ち込んでいるのだ。
それだけではない。数十年前に整備した水道インフラ施設の老朽化に、多くの自治体が頭を抱えている。収入は減るのに、施設更新の支出は増える悪循環。もはや水道料金の値上げは避けられない。
昨年3月、「水の安全保障戦略機構事務局」などは、2040年度に9割の水道事業体で、水道料金が15年度より平均36%上がるとの推計を公表。自治体によっては、最大5倍もの値上げが予想されている。
こうした背景もあり、民間のノウハウを取り入れ、「官民連携」で水道事業を推進するというのが、昨年12月6日に国会で可決した改正水道法だ。
そこでうたわれた「コンセッション方式」(自治体が施設を保有するが、運営は民間)に対し、メディアからは「民営化で世界中の水道料金を高騰させた外資が、日本の水を乗っ取るのでは?」といった慎重論も出た。
内閣府によると、コンセッションの対象は給水人口20万人以上の自治体。これは全国の給水人口の3割前後であり、自治体自ら要請しない限り官民連携はない。つまり、水道事業を今後どうしていくかは、基本的に自治体の判断に委ねられている。
また、改正水道法は水道事業の「広域化」という解決策も示している。例えば隣り合うA市とB町があり、それぞれに浄水場がある。そこで2市町を管轄する新組織をつくり、ひとつの浄水場で2市町をカバーすれば、施設維持費や人件費が削減でき、水道料金の高騰も抑えられるのだ。
ところが5年前の2014年、そんな動きを先取りするかのように日本で初めて広域化の実現に動いた組織がある。それが岩手中部水道企業団(以下、水道企業団)だ。
今回、その立役者である水道企業団局長の菊池明敏さん(60歳)を直撃。菊池さんは、岩手県北上市役所で水道部の各部署を渡り歩くなかで、常に水道事業に危機感を抱き、事業のスリム化や老朽水道管の更新に腐心した。それでも当初、広域化は考えられなかったという。そこには、どんな壁があったのか?
■難色を示す首長に「数字」を突きつけた
1991年以来、北上市、花巻市、紫波町(しわちょう)の3市町の水道事業は次のとおりだった。
(1)「岩手中部広域水道企業団」(以下、旧企業団)が入畑ダム(同県北上市)の水を3市町の各浄水場に供給する。
(2)各自治体は、浄水場から住民まで水道を供給し、施設の維持・更新を行なう。
旧企業団はダムの水を公平に3市町に供給する目的で設立された組織で、法律的には「一部事務組合」に属する。一部事務組合とは、複数の自治体が共同で行政サービス(ごみ処理や火葬場など)を行なうための組織で、地方公共団体として扱われる。そこには議会もあれば議員もいる(3市町の議員が出向)。
02年、その議会で「当企業団と3市町とを統合すべき」という提言が出された。(1)と(2)の事業を、すべて新設する企業団で一括して行なうべしということだ。
この提言に菊池さんはこう思った――「絶対に無理」。なぜなら水道事業は、各自治体で予算も違うし、運営方法も料金も違う。それを統合することは考えられなかった。
それでも04年1月、提言について話し合う「岩手中部広域水道事業在り方委員会」を設置。3市町の若手・中堅の水道職員が集った。菊池さんは、この最初の会合で出席者全員が「統合なんて無理」との意見を出し、それで終わると予想していた。だが――。
「熱かったです。毎日、水が漏れたり噴出する現場に『行くぞ!』と駆けつける職員たちの危機意識は高かった。予定の1時間が過ぎても、『このままでは水道は破綻するぞ』と話し合いは終わらず、そのまま飲み会に流れても、終わりませんでした」(菊池氏)
その後も話し合いは続き、1年半で23回を数えた。
「飲み会は25回。なぜか飲み会のほうが多い(笑)。でもそれが良かった。酒飲んで、意見の相違で襟首つかむまで興奮しても、胸襟を開きすべてぶつけ合いました」(菊池氏)
そうして情報共有をしていくなかで3市町の職員は危機感を募らせていき、菊池さんも徐々に真剣になった。
例えば、話し合われたのは3市町にいくつもある自己水源についてだ。その多くが地下水だが、水源としては脆弱(ぜいじゃく)。渇水時に水位が下がる、地震で濁る、ヒ素が出れば薬品を入れる、鉄やマンガンの除去には金がかかる、そして標高の低い水源からはくみ上げに電気代がかかるからだ。
また、現場のしんどさを役所の幹部が理解せず、将来のビジョンもないことへの批判も上がるなかで、3市町が入畑ダムの水を「補水」としてしか活用していなかったことも課題だった。なぜか?
「自治体は、自前の施設が『かわいい』から温存するんです。入畑ダムは水量豊富で、標高が高いから自然流下での水の供給なので電気代はゼロ。この最高の水源が稼働率わずか50%台でした」(菊池氏)
さらに、3市町の老朽水道管の更新率の低さもわかった。紫波町は年0.3%と、水道管の更新に333年かかる計算で、北上市も0.94%(同106年)、花巻市も0.54%(同185年)と惨憺(さんたん)たるものだった。
委員会に参加した職員の多くが、この状況を「絶対に変えたい」と願ったという。
06年3月、委員会は終了し、「広域化は経営の安定と効率化をもたらす」との報告を出し、その後、数年をかけ、広域化への基本構想、事業計画が出る。すなわち3市町と旧企業団とが統合することで、脆弱な水源は潰し、浄水場も減らす。そして入畑ダムをフル活用することで、適正な水道料金を維持することを打ち出したのだ。
だが、実現への壁は厚い。肝心の首長への説得が大変だった。特に紫波町は、前述のように老朽化対策に先が見えず、当時、町おこしのための官民複合施設に投資したばかりで予算も厳しかったことから、統合に難色を示した。
そこで一計を案じた菊池さんは、3市町が単独で事業を続ける場合と広域化した場合での、2038年までの水道料金シミュレーションを作成した。
老朽水道管の更新費、水道施設の維持費と人件費、水道収入などを緻密に計算し、38年には1000リットル当たり、紫波町で約360円(10年は約200円)、花巻市で約310円(同220円)、北上市で270円(同240円)、それに対して広域化では、約230円で一定するとの数字を示した。
「首長たちに数字を見せて『もっと大変なことになる』と脅したわけです(笑)。最後は紫波町長も納得してくれて、その後は応援団に回ってくれました」(菊池氏)
理念を訴えるだけでは自治体は動かない。首長たちを動かしたのは、誰もがうなずかざるをえない「数字」だった。
11年10月、ようやく旧企業団と3市町とが統合への覚書を締結する。菊池さんはここで初めて「いける!」と実感したという。
■役所を退職して水道企業団に移籍
次にやらなければいけないのは職員の募集だ。
一部事務組合の場合、職員は管轄する役所からの出向が常だ。実際、首長たちはそのつもりだった。だが菊池さんはそうは考えなかった。
「出向なら人事異動で3年で職員が代わる。専門性が蓄積されません。だから、新しい企業団は専任職員だけでと決めていました。そこで、まず北上市長に『3年だけでいいという根性のないやつはいらない』って直談判したんです。もめるかと思ったら、市長は意外にもひと言『そうか』と了承してくれまして。心の中で『やったー!』と叫びましたね」
菊池さんたちはすぐに3市町の全職員に移籍希望調査を送付。身分や待遇は同じで、事業内容は水道だけ。すぐに希望申し込みは来た。
そのひとり、小原太吉さん(39歳。経営企画課主任)は、北上市役所に12年勤め、最後の4年間は水道部に在籍。それでも初めは迷ったという。
「ここは人事異動がないから、仕事が合わなかったら......と不安はありました」
だが移籍を決めたのは、東日本大震災でライフラインを断ち切られた人々の生活を見聞きし、それを届けることを一生の仕事にするのはやりがいがあると思い至ったからだ。小原さんは今こう思っている。「水道改革のトップランナーでの先進事例のチャレンジは面白い」。
千葉裕人さん(33歳。同課経営企画係主任)は、北上市の浄水場に勤務しており、仕事はやりがいがあった。
「でも市役所での10年、20年後がイメージできなかった。ここなら長期展望で仕事ができると移籍をしました」
水道経験ゼロの人もいた。
伊藤剛志さん(45歳。経営企画係長)は花巻市役所に勤務していたが、「自分はこのままでいいのか」と閉塞感を覚えていた。そんななかで見た移籍希望調査に心が動く。水道問題を調べ、「経営や財政面での力になれる」と決意した。
「行政の施策には当たり外れがありますが、ここではそれがない。正直に仕事ができる。そこがいいですね」
こうして、正職員の定員72人に対し、初年度だけで65人が役所を退職して、水道のプロとして働くために水道企業団に移籍したのだ。
そして14年4月1日。いよいよ水道企業団は事業を開始。給水人口は約22万人。すぐにダウンサイジングの作業に入り設立4年にして、34あった浄水場を29に減らし(25年まで21に減らす)、取水施設は36から32に減らした(同23)。その結果、約76億円の経費が削減され、浄水場の稼働率も5割から8割まで上昇。水道料金もほぼシミュレーションどおりだった。
「お役所なら内部の稟議(りんぎ)や決裁で、最終決断には5倍の時間がかかります。ここは水道のプロが働くので、『これをやろう』も早いし、『これはやめよう』の軌道修正も早い。ダウンサイジングも、これまで隣の町には口出しできなかったのが、広域化で全部『自分たちの施設』として俯瞰(ふかん)できるので、すぐに『これは潰す!』と話がまとまるんです」
こう菊池さんは胸を張る。筆者が思ったのは、こういう新しい「官」は、「民」のスピードで動いていることだ。この水道企業団には、全国の自治体の視察が絶えず、今、群馬県、香川県、埼玉県秩父地域などでも広域化が始まった。
菊池さんは自治体は急がなければならないと訴える。
「日本は10年をピークに給水人口が減少しています。17年には、40万人という中核都市並みの人口が減りました。こんな人口減は日本が初めてで、まさに国難です。中小規模の水道事業はお先真っ暗で、早急な広域化とダウンサイジングが求められています」
だが、前出の小原さんは別の問題として、「自治体の不幸自慢合戦」を挙げる。
「県内の水道関連の会議で、ひたすら『ウチは老朽化が大変だ』『カネもない』とぼやき合うだけで、打開策のひとつも考えていない自治体があるんです」
それは3年ごとの人事異動で、水道のプロがいないということと関係があるのか。
「それもある。今の状況にふたをして、責任を先送りしているだけ。ふたが開いて、それを呪うのは次の世代です。50年先を考えてビジョンを描くのが水道事業なのに」(菊池氏)
そういう自治体は、もしかしたら安易に「民に運営を任せる」かもしれない。そのひとつが改正水道法で示されたコンセッション方式だが、菊池さんはこう考えている。
「私はコンセッションもひとつの方法だと思います。ただ、コンセッションを進めると、地域から技術者と専門性がなくなる。だからウチはやりません。今、私たちがやるべきは、稼働率が低い水道施設がある周辺の自治体と、さらなる広域化を考えることです。広域化に終わりはないんです」(菊池氏)
安易な民営化ではなく、岩手の3市町が行なった広域化を全国に広げることが、日本の水を本当の意味で救うことにつながるのかもしれない。