2011年の東日本大震災と福島第一原発事故の発生直後から現在まで、福島を取材し続けている外国人記者がいる。英紙『ガーディアン』特派員、ジャスティン・マッカリー氏だ。
「週プレ外国人記者クラブ」第138回は、今年2月にも被災地各所を訪れたマッカリー氏に話を聞いた。3.11から8年目の「福島の今」は、彼の目にどう映ったのか?
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■復興に尽力する「普通の人たち」
――東日本大震災と福島第一原発事故から8年、"福島の光と影"というテーマでお話を伺いたいと思います。今年2月下旬にマッカリーさんは原発被災地の取材に行かれたそうですね。
マッカリー 私の母国イギリスの新聞『ガーディアン』にリポートするため、3日間かけて福島県内数ヵ所を取材しました。最初の2日間はFPCJ(公益財団法人フォーリン・プレスセンター)が主催する海外メディア向けのプレスツアーに参加し、3日目は私の独自取材です。
――原発被災地取材は2011年の3.11以来、これが何度目でしたか?
マッカリー 震災の約2週間後に南相馬(みなみそうま)市を訪れたのが最初で、それから毎年数回、かれこれ20回以上は福島に足を運んでいます。
――今回はどんな所を訪れたんですか?
マッカリー FPCJのプレスツアーは「ふるさとの復興に向けて挑戦する人たち」を海外メディアに紹介するというのがひとつのテーマだったので、復興のポジティブな側面にスポットを当てるような訪問先が多かったです。
例えば、最初に訪れた双葉郡葛尾(かつらお)村は、16年6月に大部分の地域で避難指示が解除されたのですが、なかなか住民の帰還や農業の再生が進まなかった。それを促すため、17年に地元農家の方々が「かつらお胡蝶蘭(こちょうらん)合同会社」という農業法人を立ち上げました。野菜やコメなどに比べて観賞用植物は風評被害の影響を受けにくく、女性やお年寄りでも栽培しやすい。昨年にはコチョウランの首都圏への出荷が始まったそうです。
葛尾村では酪農家の方にも会いました。震災前、彼は130頭の乳牛を飼育していましたが、原発事故による避難指示のためすべてを失った。昨年4月に村に戻り、さまざまな苦難を乗り越えて乳牛の飼育を再開。安全性の検査にも合格し、今年1月から牛乳の出荷を始めました。
3日目の独自取材では、かつて南相馬市でサーフボード製作工場を営んでいた方に会いました。彼もまた原発事故により福島市への避難を余儀なくされ、いつふるさとへ戻れるかもわからない不安を抱えながら、新天地で工場を再開しました。震災前には世界大会も開かれていた福島の海を、再びサーフィンの聖地として復活させたいと、夢を語っていました。
浪江町(なみえまち)では、昨年開校した「浪江町立なみえ創成小学校・中学校」を訪れました。驚くほど立派な校舎と広大な運動場を有する学校なのですが、避難指示が解除された今も帰還住民は少なく、今年度の全校児童・生徒は小中合わせてわずか7人。それでも子供たちの表情は明るく、学校生活を楽しんでいる姿に心を打たれました。
こうした人々の前向きに生きる姿は、多くの人たちが想像する「かわいそうな原発被災者」というイメージとは異なるかもしれませんね。
――確かに逞(たくま)しいというか、スゴいなぁと感じます。
マッカリー ただし、強調しておきたいのは、今回の取材で出会った人たちは決して「特別な人たち」ではないということです。「普通の人たち」がふるさとの復興のため、困難な状況のなかで「普通ではない力」を発揮し、がんばっているのです。
プレスツアーではほかに、再生可能エネルギーを地域の復興につなげようと17年11月から運用が始まった、県内最大級の太陽光発電施設「富岡復興メガソーラー・SAKURA」(富岡町[とみおかまち])や、原発事故で産業と雇用が失われた福島県浜通り地域をロボット開発の拠点にするべく建設が進む「福島ロボットテストフィールド」(南相馬市)などの大規模プロジェクトも見学しました。
また、原発事故の後に廃炉作業の前線基地となっていた楢葉町(ならはまち)のスポーツ施設「Jヴィレッジ」も訪れました。東京五輪のサッカー男女日本代表の合宿が予定されているほか、聖火リレーの出発地になるという話も出ていますね。
プレスツアーの主催者としては、「福島の復興は着実に進んでいる」というポジティブな面を私たち外国メディアに紹介したいという意図もあったのでしょう。
■福島の放射能汚染土と沖縄の米軍基地
――それらが福島の"光"の部分だとすれば、"影"の部分は?
マッカリー もちろん、いまだ生々しい原発事故の傷痕を各地で目にしました。
放射能汚染土が入った巨大な黒い袋「フレコンバッグ」が大量に野積みされている光景や、避難指示が解除されても住民の多くが帰還できず、ゴーストタウンのように静まり返った町の風景です。
原発事故の影響は今なお続いている。むしろ、「何も終わってはいないのだ」ということを実感せずにはいられませんでした。
また、プレスツアーでは大熊町(おおくままち)、双葉町(ふたばまち)にまたがって建設が進む「中間貯蔵施設」も取材しました。「除染作業」によって各地から出た大量の汚染土をここに集めて、地面に掘った巨大な穴に埋め、30年以内に掘り起こし福島県外に運び出して最終処分を行なうというのが、国と地元自治体の間で取り決めた「約束」だそうです。
しかし、最終的にどこに持っていくのか決めないまま「30年以内は福島県内に」と約束するなんて、矛盾していると思いませんか?
掘り返した汚染土を本当に他県が引き取るのか? 実際、地元の人たちの多くが「将来、この約束は反故(ほご)にされるのでは?」と心配しています。
国は最終処分する汚染土の量を減らすために、「放射能濃度が基準値以下の汚染土は最大99%再利用可能」と試算し、県内の道路や防潮堤の基礎など公共事業で再利用する計画を進めています。
この構図、なんだか沖縄の米軍基地の問題と重なりませんか?
――確かに、「普天間飛行場の移転先は最低でも県外」という当初の約束が破られ、辺野古の新基地建設が進められる沖縄の姿と重なります。
マッカリー 汚染土の場合、「最低でも県外」ではなく、「まずは県内」になっているというのは皮肉でしかありません。
ふるさとの復興に尽力する人たちがいる一方、いまだ解決の道筋が見えない複雑な問題がある。その光と影のコントラストはあまりにも大きいと、あらためて感じました。
――被災地の外で暮らす私たちも、その光と影の両面を認識しておく必要がありますね。
マッカリー そのとおりです。来年の東京オリンピックのコンセプトは「復興五輪」です。しかし、復興という光にばかりスポットを当ててしまうと、原発事故がまるで「終わったこと」であるかのように錯覚しかねない。
逆に、影の部分ばかりに注目すれば、前向きに生きる福島の人たちの生活や、彼らの未来を傷つけてしまいかねない。極端な反原発派の中には、政府の原発政策を批判する際、福島の悲劇を声高に強調する人がいますが、それには私は怒りを覚えます。
光と影にどう向き合い、どうリポートをするか―これは私たちジャーナリストが常に頭を悩ましている課題です。
「3.11から8年後の福島」の姿は本当に複雑で、「黒」でもなければ「白」でもない。ふるさとに帰還できた人、帰還できない人、避難先で新たな生活の基盤を築いた人......同じ福島県民でも、ひとりひとりの思いはさまざまです。
だからこそ、私たちは極端な楽観主義、あるいは極端な悲観主義に立つのではなく、福島の「複雑な現実」をきちんと直視する必要があるのだと思います。
■日立が撤退したイギリスの原発事情
――原発被災地がいまだ困難な問題に直面するなか、この国は「オリンピックムード」に沸き上がっています。この現実をどう見ていますか?
マッカリー とても難しい質問ですね。私はスポーツが大好きですし、個人的には東京オリンピックに反対する気持ちはありません。野球とソフトボールの試合が福島で行なわれることになっていて、それもいいことだと思います。
しかし、英語には「out of sight,out of mind」(見えていないもののことは考えない)ということわざがあります。オリンピックムードが高まっていても、被災地の現状を「目に見える場所」に示し続けてゆくことは、私たちメディアの責務でしょう。
――イギリスにも原発はあります。もし、「ロンドン五輪の9年前」にイギリスで深刻な原発事故が起きていたら、今の日本と同じような空気になっていたでしょうか?
マッカリー おそらく、日本とそれほど変わらないような気がしますね。イギリスでも原発は地方の、それも経済的に貧しい地域に立地していて、原発の問題は都会に暮らす人たちにとってはどうしても「視界の外」に置かれがちです。だから、オリンピックのお祭りムードのなかでそうした問題への意識が置き去りになるというのは、別に日本に限ったことではないように思います。
もちろん、福島の原発事故以降、イギリスでも原発の安全性に関する議論はありますが、イギリスは地震や津波のリスクが小さい。現在、既存の原発の老朽化が深刻な問題となっていて、政府は原発の新設を進める方針です。地球温暖化対策としても、化石燃料を燃やす火力発電所より、原発のほうが望ましいという意見もあります。
しかし、先日、日本の日立製作所が「建設費の高騰で採算が取れない」という理由で、イギリスでの原発建設計画から撤退しましたが、これをきっかけに「原発のコスト」の問題が注目されれば、今後の原発新設の議論に影響を与えるかもしれません。
――マッカリーさんはこれからも福島の取材を続けていくつもりですか?
マッカリー そうですね。福島は本当に美しい所ですし、私は福島の人たちが大好きです。みんな優しくて、冗談が好きで、お酒が好きで、外国人記者の私を自然体で迎えてくれます。今後も、「福島の今」を国内外に向けてリポートしていきたいと思います。
●ジャスティン・マッカリー
ロンドン大学東洋アフリカ研究学院で修士号を取得し、1992年に来日。英紙『ガーディアン』『オブザーバー』の日本・韓国特派員を務めるほか、テレビやラジオ番組でも活躍