冒険家の三浦雄一郎(86歳)と三浦豪太(49歳) 冒険家の三浦雄一郎(86歳)と三浦豪太(49歳)

86歳で南米大陸最高峰に挑戦し、世間をにぎわせた冒険家・三浦雄一郎(みうら・ゆういちろう)さん。これまで7度にわたる心臓手術を乗り越え、70歳を過ぎて3度もエベレスト登頂に成功。80歳では世界最高齢登頂記録を樹立。

今回、その偉業を淡々と支え続ける息子の豪太(ごうた)さんと一緒にホンネを語り尽くしてもらった!

* * *

■ドクターストップに無言の抵抗!

――南米大陸最高峰・アコンカグア登頂への挑戦、お疲れさまでした。今回の登山はいかがでしたか?

雄一郎 僕の本心としては、登頂できなかったことが非常に不本意です。ドクターストップで帰ってきたので。頂上まで行ける自信はありました。ドクターストップがかかったときには、僕はあぜんとして、なんでだろうと......。僕の主観とドクターの判断がこれだけも違うのかなと。

――会見で「次のチャレンジがあるから、悔しいとは思わない」とおっしゃってましたが、今でも、とても悔しがってらっしゃいますね(笑)。

雄一郎 ボクシングの試合でいうと、12ラウンドあって11ラウンドまでは完全に勝てると思っていたのに、突然タオルを投げられるという。だから現場では30分ぐらい沈黙を貫き、無言の抵抗をしましたよ! だけど、大城さん(チームドクターの大城和恵氏)と豪太が泣いて止める感じで。

――息子の豪太さんは、日頃からお父さんのサポートをし、その思いを知っているだけに、登頂の中止を説得するのは大変だったのでは?

豪太 いやな状況ですよね(笑)。登りたい人を下ろさなくてはいけないので。やっぱりその夜は悩みましたよね。もしかしたらできるんじゃないかなと。実際、お父さんの体力自体は頂上に行けるんだろうけど、ドクターのストップというのは、体力とは別のところで判断が下されているので。

父親の心臓の状態(不整脈)を把握しているドクターだったので、厳しい判断ではありますけど、あれは致し方ない状況でしたね。

雄一郎 ただ、それを受け入れた後はスッキリして。たとえ頂上に登ったとしても後味が良くないですし。

――その悔しさをすぐに、次の目標である「90歳でエベレスト登頂」に変えましたね。

雄一郎 それは今のところ半分は冗談ですよ、はははは。

豪太 多くの人はそう思ってないよ。僕も思ってないし。90歳で行くんだと思っているよ。「ちゃんとしっかり準備しないとな~」って。

雄一郎 エベレストを100とすれば、アコンカグアは30ぐらいなんですよ。エベレストは9000m近くて、ほぼ飛行機の飛ぶ高度。ほんとに登るのが大変ですから。

――登頂断念が決まった後、豪太さんらは、標高6000mから5500mまで雄一郎さんと下山し、そこから12時間後に登頂に再アタックしたそうですね。

豪太 標高差1500mを一気に行っちゃおうって盛り上がってしまいまして。結果、けっこう、つらかったですね(笑)。

――1回で1500mは長すぎませんか?

豪太 確かに長いですね。普通は300mくらいずつなんで、キャンプを4つほどすっ飛ばして、頂上へ行っちゃいました。下から上まで8時間で登ったんですよ。

雄一郎 一緒に登ったのが、"登山界のアカデミー賞"と呼ばれるフランスの「ピオレドール(黄金のピッケル)」を昨年受賞した平出和也と中島健郎たちだったので、同じペースで登るのが大変だったと思いますよ。

豪太 マラソンでいえば2時間10分台のトップランナーに、4時間台の選手が一生懸命についていくっていう(笑)。頂上まであと100mの所で酸欠で倒れちゃって。以前に肺水腫になったけど、それとはまったく違う、体力的な限界を超えた感覚があって。「もうダメだから、酸素を吸わせて」って。だから無酸素登頂ではないんです。

雄一郎 それにこだわることはないよ!

――登っている8時間は、何を考えていたんですか?

豪太 お父さんが53歳のときにアコンカグアに2日で登っていて、僕が今、49歳なんですけど。じゃあ、その時代に僕よりも年齢が上で、たった2日間で下から登ったんだなと思って。びっくりしました。

■76歳で骨盤骨折。一生、車椅子の危機

――ところで、三浦さんは現在86歳で現役の冒険家であり、お孫さんもいるご長寿のおじいちゃんでもあります。息子さんから見て、家でゆっくりしていてほしいと思うことはないですか?

豪太 お父さんが80歳でエベレスト登山にチャレンジする前、76歳のときに、トレーニングのスキー中に3mくらいの高さから氷の上に転落したんです。左大腿骨、右の骨盤や恥骨まで4ヵ所も骨折して3ヵ月ほど入院しました。医者は普通に歩けたらラッキーだって言っていたぐらい。だから、エベレストは終わったと思いましたね。

これから介護が待っていると思ったら、3ヵ月後にはサンドウェッジを松葉杖にして、ゴルフをしていましたが(笑)。

実は登山よりもスキーが好きという雄一郎さん。父の敬三さんはなんと100歳でアメリカのスノーバードで滑降を行なったという 実は登山よりもスキーが好きという雄一郎さん。父の敬三さんはなんと100歳でアメリカのスノーバードで滑降を行なったという

雄一郎 骨折をしたときはショックで、「一生、車椅子生活かもしれない」とは思っていました。ただ、入院して3日くらいたったら、今度は病院で暮らすのが楽しくなってきて。テントと違って、エアコンの効いた快適な部屋で、何かあると美人の看護師さんがすぐ来てくれて、寝返りだったりを世話してくれる。お風呂なんかも自分で入れないわけですから、ストレッチャーで運ばれて、看護師さんが洗ってくれるんですよ。

僕はスッポンポンだから、皆さん方も脱いだらどうかと冗談を言っていましたよ(笑)。「完全なセクハラ!」なんて笑われながらね。ホントに入院を楽しんでいました。

豪太 わざわざプレイボーイネタを(笑)。

――それで体がいい方向に?

雄一郎 そうですね。人間っていうのは、そういう状態になっても、ちょっとした希望を持つんですよ。これで寝返り打てたら、どんなに人生素晴らしいだろうって。そしたら1ヵ月足らずで寝返りが打てるようになって。

また、松葉杖で歩けるようになったら、どんなにいいだろうと、早めに使い始めて病院の中をウロウロしていたら、とうとう松葉杖を取り上げられて。いつか脱走するんじゃないかと疑われていましたよ(笑)。

豪太 医者から絶対ダメだって言われていることを全部やって、結局、半年ぐらいでまたスキーができるようになりました。骨盤に悪いから自転車に乗ったらダメだって言われていたのに、150kmぐらい乗ったりして。

――雄一郎さんは、医者の言うことは基本聞かない、そういう健康法ですね!

雄一郎 いやいや、参考にはしていますよ。でも、自分ができると思うことはやります。

――骨折から奇跡の回復をしたかと思えば、今度は80歳でのエベレスト登頂直前に不整脈で6度目の心臓手術を経験。

雄一郎 2013年の1月半ばに手術をしました。出発が3月末で、あまりリハビリする時間もない。じゃあ、ベースキャンプまでの道のりをリハビリにしようと考えました。「年寄り半日仕事」という言葉があって、今まで1日かけてたところを、お昼までやったら休むことにした。これを16日間繰り返し、標高5300mのベースキャンプに着いたときは75歳で登ったときよりも心臓の調子は良かったですね。

豪太 毎年、トレーニングをした上で体力測定をしているんですけど、確かに75歳のときよりも80歳のときのほうが登山データは良かったんです。

■高校時代みたいにはち切れんばかり!

――特別な訓練でもしたのですか?

雄一郎 いやいや。男性ホルモンを注射した効果が出たんですよ。豪太が研究しているアンチエイジング分野の教授が僕のホルモンのバランスをいろいろ調べてくれて、男性ホルモンが低下しているということで。もちろん、いつもと同じように脚に重りをつけて歩いたり、スキーや自転車をやってはいましたが。

――効果絶大ですか?

雄一郎 そう。やる気、元気、筋力がぐんとアップするんですよ。注射して1週間ぐらい、ずっとシアリス(勃起薬)を1日おきに飲んだの。そうしたら高校時代みたいに朝立ちがバッキーンってなって、もうはち切れんばかり。

モーグルでオリンピックに出場した豪太さんは来年、新潟・苗場で16歳以下のアルペンスキーの頂点を決める世界大会を主催する モーグルでオリンピックに出場した豪太さんは来年、新潟・苗場で16歳以下のアルペンスキーの頂点を決める世界大会を主催する

豪太 またまたプレイボーイネタを(笑)。でも、男性ホルモンの欠如というのは、いろんな弊害を起こすので、ぜひ皆さんにもオススメです。

雄一郎 血管の弾力も回復しますし、血圧も低下し、心臓にもいいことばかり。

――これまでの話で、あうんの呼吸というか、すごく仲のいい親子関係に思えますが、普段ケンカとかはしますか?

雄一郎 ケンカは一切ないね。面白いことをふたりでやるっていうだけで。

――では、反抗期は?

雄一郎 豪太は10代から親元を離れアメリカに留学していて、勉強も大変だし、またスキーでオリンピックを目指していたので、反抗期はありませんでしたね。

豪太 したくても反抗する相手がいなかったっていう。ホームステイした家の主人が軍人で、しかもパイロットのエリートを育てるトップガンの教官の家だったんですよ。もう、めちゃくちゃ怖かったんです。まあ、優しくもあるんですが。

当然、すごい規律があって、スキーばかりできると思っていたら「君は今までずっとスキーだけでやってきたかもしれないが、スキーがなくなった途端に、もう君は何者でもなくなるんだ」と。だから「学校の成績が少しでも落ちたらもう絶対スキーはさせない」って言われ、宿題の面倒も夜遅くまで見てもらいましたね。

■挑戦し続ける父が実は研究対象!

――豪太さんは長年、お父さんの冒険をサポートしていますが、何か強い意志があってのことですか?

豪太 どういう意志もないですよ。最初のエベレストについていったのが、もう運の尽きで(笑)。そのまま、次は75歳、80歳と。それで今回の86歳のアコンカグアまでね、ずっと連続性があって。

雄一郎 豪太にとっては災難だけれども、次は90歳でエベレスト行こうなんてホラ吹いているんだから、それに付き合わざるをえなくなる(笑)。

豪太 86歳でアコンカグアに登れなくても、90歳で登れる可能性はあるなと。それを考えるのは面白いですね。僕はアンチエイジングを研究していますが、お父さん自身がその研究対象というか象徴なので。それをサポートすることは、日本を若返らせることだという意義は感じています。

雄一郎 彼は今、大学の特任准教授ですから。

豪太 お父さんのように夢を持って長期的な目標を持つこと、それを実現させるための行動に移すってことは、何よりもその本人にとって若返りだし、それを見る周りの人にもいい刺激になってくれていると思っています。

雄一郎 僕は90歳でエベレストに登ると。確信も何もない、非常に無責任発言ですけど、できたらすごいし、ま、行けるとこまで行ってみてね、それが頂上なら最高だと思います。

●三浦雄一郎(みうら・ゆういちろう) 
1932年10月12日生まれ、青森県出身。プロスキーヤー、冒険家、クラーク記念国際高等学校校長。1985年、世界7大陸最高峰のスキー滑降を完全達成。2003年から70、75、80歳と3度のエベレスト登頂に成功。80歳で世界最高年齢登頂記録を更新

●三浦豪太(みうら・ごうた) 
1969年8月10日生まれ、神奈川県出身。米国ユタ大学卒業。プロスキーヤー、冒険家、医学博士。11歳でアフリカ・キリマンジャロを最年少登頂。フリースタイルスキー・モーグル選手として、リレハンメルと長野オリンピックに出場