昨年、40周年を迎えたシーナ&ロケッツは今も精力的に活動する

3月17日、"ロックンローラー"の内田裕也さんが肺炎により79歳でこの世を去った。妻・樹木希林さんの死後(昨年9月)は特に体調の悪化が心配されていたが、大晦日には「ニューイヤーズワールドロックフェスティバル」に車いすで出演。往年のナンバーを続けて熱唱するなど、元気な姿を見せていた。

そのときも内田さんと共演し、長年親交があったロックバンド、シーナ&ロケッツの鮎川誠氏が、現在の心境とありし日の思い出を語る。

「裕也さんとは来年もまたやるっちゅう感じだったから、それだけにびっくりした。いつも俺たちのお尻を叩いて鼓舞してくれる、親のような存在でした。いなくなると本当に寂しいもんです......」

鮎川氏と内田さんの交友は、実に45年以上。その出会いは1973年の春にまでさかのぼる。

「僕が博多でやっていたサンハウスというバンドを裕也さんが聴きに来てくれたんです。裕也さんは60年代初頭から活躍しとったから、すでに重鎮だったし、急に来ると聞いたときは、憧れと畏れと戸惑いとで複雑な気持ちやったね」

内田さんはサンハウスの演奏を気に入って帰ったという。そして翌年の74年、思わぬチャンスが巡ってくる。

「裕也さんがプロデュースした日本初の野外ロックフェスに、僕らを出演者として呼んでくれたんです。それがきっかけでファーストアルバムを出すこともできた。裕也さんは若いグループに対するリアクションが鋭かったですね。日本のロックをいつもまとめようとしていた」

75年にも、内田さんはジェフ・ベックやニューヨーク・ドールズを招いて野外フェスを成功させるなど、海外アーティストの招聘(しょうへい)にも注力し、日本のフェスの草分けとしても知られていく。

「78年にシーナ&ロケッツを結成したときも、すぐにその年の『浅草ニューイヤーロックフェスティバル』に呼んでいただけて。以来、ニューイヤーはずっとです」

2015年に鮎川氏の妻でありボーカルのシーナさんが死去した際は、内田さんは誰よりも早く訃報をツイッターで発信。葬儀にも真っ先に駆けつけ、弔いの言葉を送った。

「葬儀の日、裕也さんは僕とシーナが載った、写真家ボブ・グルーエンの写真集を持ってきてくれたんです。報道陣に、こういうバンドがあったちゅうことを少しでも言うためにって。もううれしかったし、本当にありがたかったですね」

世間に知られる荒々しい印象とは裏腹に照れ屋な一面もあり、周囲にはとても気配りをする人物だったと鮎川氏は言う。そんな憎めない性格こそ、内田さんが長年慕われてきたゆえんなのかもしれない。

「裕也さんは最後まで『ロッケンロール!』と言って、ロックちゅう言葉をアイコンに身をさらして頑張った人やった。これはとてもすてきなことやと思うんです。もちろん、歌手としても往年の素晴らしいロックンロールナンバーやオリジナル曲を歌った。裕也さんも自分で言っていたけれど、それがヒットしたかどうかは別として、『ロックは素晴らしい! 俺も夢中なんだ!』ちゅうことを伝えるのもロックのひとつの形やと思うんです。ロックを今から盛り上げていかないかんのは、生きている俺たちですね」

内田さんが遺したロック魂は、これからも不滅だ!