昨年秋から今年初頭にかけて、大分県内の集落で「村八分」にされたと主張するふたりの住民が相次いで訴訟を起こした。何十年も前の話ならまだしも、今の時代に「村八分」が存在するという衝撃......!
原告となったAさんとBさんが、それぞれの身に降りかかった災難を語り合う。
●Aさん(70歳)
生まれ育った大分県山間部のある集落を高校卒業後に離れ、兵庫県で公務員に。2009年、母親の介護のため妻子を兵庫に残して故郷にUターンし、農業を始める。13年、集落が農林水産省の「中山間地域等直接支払制度(中山間制度)」で交付金を得ていることを知り、制度について集落の人に質問したり、自身が所有する土地への交付金支払いに関する不明点を市役所に聞きに行ったりしたところ、集落の仲間から一切の交流を絶たれ、村八分状態に。17年秋に大分県弁護士会から是正勧告が出されたものの状況は改善せず、昨年10月に村八分の解消を求めて集落の住人らを相手に訴訟を起こし、現在も係争中。決着がつくまでは集落で生活するつもりだという。
●Bさん(73歳)
大分県内の市街地に住んでいたが、障害のある長男と一緒に暮らせる静かな環境を探していたところ、県内山間部の集落の住民から熱心に移住を勧められ、集落のはずれに家を建てて2008年に居住。しかし16年夏、集落のお金の使い方、その決め方に疑問を持ち、「運営から外れたい」と発言すると、ゴミ集積所を使えないなどの村八分状態に。翌17年夏には、生活用水を取得していた溜め池の水を抜かれ、集落外への転居を余儀なくされた。転居先では長男が施設に入らざるをえず、家族がバラバラになった上、賃貸住宅の家賃と合わせて二重の経済的負担に苦しむ。今年1月、集落のリーダーらを相手に訴訟を起こした。
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■溜め池の水が抜かれ、ヘビが投げ込まれた
――2017年秋、村八分に遭っていたAさんを『週刊プレイボーイ』が取材し、記事化したところ、大きな反響がありました。その後、Aさんは昨年10月に集落の住民らを相手取って訴訟を起こし、現在も係争中です。
そして今年1月、同じ大分県内で、やはり村八分に遭ったとして、Bさんが地元集落のリーダーである男性らを相手に訴訟を起こしました。
この21世紀の日本社会で、なぜ「村八分」が起きるのか。それを語っていただくことで、問題提起をすると同時に、同じような境遇にある人が救われるきっかけになればと考えています。
A ええ、私たちだけではないと思いますよ。「あの人はみんなからやられて集落を出ざるをえなくなった」とか、そういう噂はよく聞きます。
B 私もよく聞きます。被害者が表沙汰にしていないだけで、あちこちにあるはずです。
――まずは、村八分になったきっかけを教えてください。
A 思い返してみれば、やはり「中山間(ちゅうさんかん)地域等直接支払制度」(農林水産省が困難な山間部での農業に交付金を支払う制度)のことがきっかけだとしか考えられません。私は2010年まで、所有する畑を知人に貸していて、交付金はその知人に支給されていました。しかし、賃貸契約が終了し、私自身が耕作を始めてからも、耕作者の名義変更が行なわれず、交付金が知人へ支払われ続けていたんです。
その説明を市の農政課に求めたりしていたら、私を排除しようという動きが急に出てきました。集落の長老から呼び出され、「今後、集落のみんなはお付き合いせんことになった」といきなり言われて、そこから村八分ですよ。以来、私の自治区加入はずっと拒絶されたままです。
B 私も本当にささいなことでした。16年の1月、集落にお金がないということで、組費(町内会費のようなもの)が従来の2倍に値上げされたんです。ところが、その年の春の花見のとき、それほど必要とも思えない街灯を設置するという話が、その場にいた人たちだけで決められてしまった。その街灯の設置場所というのが、当時の集落の班長が新築した家と、集落のリーダー的存在であるXという人物が増築した家のちょうど中間地点。はっきり言えば、自分たちの家の前に明かりを灯(とも)すためとしか思えなかったんです。
そもそも花見には参加義務はなく、私はその場にいなかった。そういった話は、全戸が必ず出席する全戸集会で決めるべきだと疑問を持ちました。それで、私はその年の夏に全戸集会の席で、「あのような決め方には納得がいかない。意見の食い違いが出るとトラブルになりかねないので、集落の運営からは外れたい」と発言したんです。すると、Xは「あんたの思うようにはならん。集落を抜けるというなら、みんなが力を合わせて作ったゴミ置き場は使わせん。市報や回覧も回さん」と言い、その途端、本当に村八分状態になりました。
A ゴミはどうしたの?
B 1ヵ月半くらい自宅の庭に放置していましたが、隣の班(集落)の人と知り合って、「そういう事情なら、うちのゴミ置き場に捨てに来たらいい」と言ってくださって。それがきっかけで、その隣の班に入れてもらえたんです。
ところが、これがXの気に障ったんでしょう。そこから、使っていた池のボートが突然消える、生活用水を取っていた農業用溜め池の水が抜かれる、その農業用水の使用同意書の撤回のために集落全員の署名・押印を集めるなど、徹底的に困らせて追放するという動きに出てきました。溜め池のすぐ横に、ヘビやウリ坊(イノシシの子供)、アナグマの死骸が連日のように投げ込まれた時期もありました。
A 私もゴミ置き場は使わせてもらえません。燃えるゴミは自分の畑の中にこさえた焼却炉で燃やしていますが、缶やビン、燃えないゴミは年に数回、兵庫県の家に帰るときに持っていっています。
■村八分が起きやすい"環境的条件"がある?
――おふたりが村八分になる前は、特に問題なく暮らせていたんでしょうか?
B みんなすごく親切で、なかでもXはよく世話を焼いてくれましたよ。チーズを作ろうと思って「ヤギが欲しいな」と話していたら、すぐにどこかから持ってきてくれたり、「猟犬が欲しいな」という話をしたら、子犬を分けてもらってきてくれたり。フットワークがよく、温厚で、人がよさそうにしか見えなかった。
A 最初は優しいんですよ(笑)。私も故郷に帰った当初は、「よう戻ってきてくれた。また仲良く一緒にやろうや」と言ってもらいました。
――ところが、何か不都合なことをこちらが指摘したり、疑問を呈したりしたら、豹変(ひょうへん)したわけですね。
B 共通するのは、集落に強いリーダー格の人物がいて、ほかの人たちを先導し、"外から来た人間"を浮き上がらせてしまう構図ですね。
A 結局、よそから入ってきた人を受け入れる度量がないんです。最初はみんな「意見があればなんでも言って」なんて言うんですが、実際に意見を言うと、「新参者は黙っとけ」となる。最低でも10年、20年は住んでいないと何も言えないのが実情です。
B まさに、私を村八分にしたXは、「10年も住んでないのに厚かましい」と言っていたと聞きました。
――おふたりの集落は、どれくらいの規模ですか?
B 全部で10戸です。
A うちも同じくらいで、実質14戸(Aさんが村八分でいないことにされ、現在の登録は13戸)。強いリーダーが全体を束ねるのは、10戸から20戸程度がちょうどいいんだと思います。これから各地で過疎化が進み、そのくらいの限界集落は増えるでしょう。その中に、外の世界を見た経験のある人がいればいいんですが、みんな生まれ育った集落でずっと暮らしていると、力が強い人の意見に従うのが当たり前になってしまう。
そういう場所では、いくら週プレさんが取材してくれても話題にもならなかったですよ(苦笑)。私の件で弁護士会から集落が是正勧告を受けたと新聞に報じられても、大変な人権侵害をしているという自覚がない。
B それに、都合が悪いとなると、リーダーの意向次第ですぐに前言をひっくり返したり、ウソをついたりしますよね。みんなリーダーに従属するしかないんです。
■弁護士もほとんど引き受けてくれない
――村八分に追い詰められていくなかで、一番つらかったのはどんなことですか?
A 幼い頃、一緒に暮らした人たちと会話すらできないことです。本当は心配してくれた人もいると思いますが、私と話していたことがリーダー格の男に見つかると、今度はその人がいじめられたりする可能性がある。実際、「もう近づかんといてくれ。あんたと話しているのを見られたら、どんなことされるかわからん」と言われたこともあります。集落の人と接するのを避けるため、日の出前にクルマで家を出て、あちこちぶらぶらして、日没後に帰宅する生活がずっと続いています。
B 私は、溜め池の水位が日に日に下がり、「もうすぐ家族の生活ができなくなる」という切迫感の中で暮らしていたときが本当につらかったです。しかも、そんな事態に追い込まれても相談相手もいない。長男の障害という事情があったので、周囲に人がいない場所を自ら選んだとはいえ、その集落の人たちが一斉にそっぽを向くと、誰にも相談できず、すべてひとりで考えてやらないといけない。
――おふたりとも現在は訴訟を起こされていますが、そこに至るまでにも相当苦労されたと聞きました。
B 私は最初、裁判所から「調停のほうが早く解決できる」とアドバイスされたんですが、それが不調に終わり、もう裁判しかないという状況になっても、引き受けてくれる弁護士がいない。7人、8人と断られ、法テラスでも「そういうことを引き受ける弁護士はいません」と言われました。
それで途方に暮れているとき、たまたまヤフーニュースでAさんの記事を見たんです。私と同じ境遇の人が同じ大分にいるんだとわかり、その記事を出した新聞社に問い合わせて、Aさんを担当する弁護士さんに引き受けてもらうことができたんです。
A 私も市役所や法務局の人権擁護委員に相談したけど、ダメ。市議会議員や議会の議長にも相談したけど、そこで紹介してくれた弁護士さんもダメ。もう片っ端から電話するしかないと思ったところで、運よく最初の一発で今の弁護士の先生に当たったんですね。そこで弁護士会の中の人権擁護委員会(法務局のものとは別)を教えてもらい、ようやく光が見えてきたんです。
――法務局よりも、弁護士会の人権擁護委員会が頼りになる。これは貴重な情報です。
A 法務局の委員も、すごく心配はしてくださるんだけど、権限が何もないですから。
――Aさんの場合、弁護士会から集落に是正勧告が出され、それでも改善しないということで訴訟に踏み切った。Bさんはどんな手順を?
B 私も当初はそれを勧められましたが、勧告が出るまでに1年はかかるんです。それで、まず資料を弁護士さんに見せたら、これはライフラインを止められているから、村八分というより、もはや人権侵害だと。それで訴訟につながりました。
――最後に、今後どのような展望をお持ちなのか聞かせてください。
A どっちが正しいか、結論を司法に出してほしい。それだけです。もし私が悪いというなら、みんなに謝りに行く。逆にみんなが悪いという判決なら、私に謝ってほしい。そのけじめがなければ、次のステップに進めません。
B 私はもう引っ越した身ですが、転居先では長男が施設に入らざるをえず、家族一緒に暮らせていません。また、その施設のお金と家賃とで、経済的にも相当困っています。
もう、こんな目に遭う人は出てほしくない。同じように村八分に遭った人たちが、ここに相談すれば解決できますよという窓口をなんとか作れたらなと、そんなことを思っています。