「『外面をうまく取り繕う』ことに長けた研究者ばかりが生き残るという、困った自然淘汰が起きている」と語る酒井敏氏

大学の研究は「社会の役に立つ」べきか? 単純に「知りたい」ではダメなのか? ノーベル賞受賞者を輩出し、個性的な研究者が多いことでも知られる京都大学には、伝統的に「アホになれ」という教えがあり、一見なんの役にも立たなそうなことに熱中し続ける「変人たち」を生み出してきた。

地球流体力学の研究者であり「京大変人講座」を主宰する京大大学院教授の酒井敏氏が、新著『京大的アホがなぜ必要か』(集英社新書)で「役に立つ学問」ばかりが重視される日本の現状に警鐘を鳴らす。

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──タイトルからして刺激的です。「京大的アホ」ってなんですか? 京大といえば「メチャクチャ頭のいい人しか入れない大学」というイメージですが。

酒井 そうですよね。僕も京大に入学したとき、いきなり先生に「アホなことをしろ」と言われて、当時はすぐにその意味が理解できずに戸惑いました。

ここで言う「アホになれ」とは、先入観にとらわれていては新しいことはできないから、一度「アホになって既成概念から自由になれ」という意味なのですが、実際にやろうとすると難しくて、自分がいかに「常識」にとらわれているかを実感させられることになる。

それを壊すためには意識的にアホなことをするしかないので、最初は「満月の日は酒を飲んで夜の町を一晩中歩く」といった、とりあえず人と違うことをしてみたりしました。でも、そうやって「当たり前」から一歩外側に踏み出すだけでも視点が変わり、世の中の見え方が違ったりするものです。

──その結果、生み出される「京大的アホ」とは?

酒井 いわゆる常識や他人の目は気にせず、自分のやりたいこと、知りたいことをひたすら追いかけちゃうやつらですね。要するに「マニア」。

京大はそういう連中にはいい所で、他人からは何が面白いのか、なんの役に立つのかわからない研究に熱中していても誰も止めません。京大はそういう「アホな人たち」の保護区みたいな役割を果たしてきた大学だと思います。

──本書では、そうした「京大的アホ」が危機に瀕(ひん)していると訴えています。

酒井 なぜなら、国や産業界が一体となって「役に立ちそうな研究」への「集中と選択」を強化しているからです。大学の研究費や研究のための環境などのリソース配分が、その意味やなんの役に立つのかという基準だけで決められれば、「京大的アホ」の生存環境は必然的に失われていくことになります。

何しろ「ある知識が何かの役に立つ」と考えること自体が既成概念にとらわれているわけで、それを取っ払うのが「アホ」ですから、当然「京大的アホ」は集中と選択の対象外。

その結果、「本当に役に立つ」ならまだしも、「外面だけ役に立ちそう」に見える研究に資金が集まるので、「外面をうまく取り繕う」ことに長(た)けた研究者ばかりが生き残るという、困った自然淘汰が起きているんですね。

──とはいえ、景気も良くないと「何の役に立つかわからない研究」よりも、「役に立ちそうな研究」を優先したくなる気持ちもわかる気がします。

酒井 そこで問題になるのは、「将来どんな研究が世の中の役に立つのか?」を予見することは難しいということでしょう。科学の歴史を振り返れば、「なんの役に立つのかわからない研究」や「ひたすら好奇心に突き動かされた結果としての発見」が後に大きなイノベーションにつながった例は数知れません。

既成概念や常識にとらわれて、「すぐに役に立ちそうなこと」だけに集中と選択を行ない、それ以外の「アホな研究」を残さずにいると、結果的に将来のイノベーションの芽を摘むことにつながりかねないのです。

──つまり、一見「あってもなくてもいいモノ」が、実は世の中にとっては「なくてはならないモノ」なのだと?

酒井 「因果律」といって、世の中は「原因」と「結果」でできているという考え方が、かつては科学の基本でした。

ところが、20世紀後半に「複雑系」と呼ばれる学問が生まれ、私たちの世界はすべてが原因と結果で説明できるわけではなく、予測不能な「カオス」であることがわかってきます。

もちろん、例えば明日の天気のように短期的な予測なら、因果律で、ある程度まで予測可能ですから「すぐに世の中の役立ちそうな研究」が何かだって予測はできるでしょう。

しかし、「遠い将来に何が役に立つのか」なんて誰も予測できません。本当のイノベーションは、原因と結果のつながりから考えた既成概念の外側からしか生まれてこないのです。

だからこそ「役に立つかわからない研究」や「純粋な好奇心に突き動かされた研究」≒「京大的アホの居場所」は世の中にとって必要なのです。

──酒井さんは「京大変人講座」というイベントも主催されていますが、ご自身もやはり「京大的変人」なのですか?

酒井 おそらく、そうでしょうね。私の専門は海洋物理学、地球流体力学で、カオス論も扱っているのですが、私が発明したものにフラクタル幾何学という数学を応用した「フラクタル日除(よ)け」があります。

最近、完成した台湾の台南市美術館にも採用されたのですが、コレ、日除けなのに木漏れ日のように光が漏れるし、雨が降れば雨漏りするし、積極的に空気を冷やすわけでもない。

──では、何がいいんですか?

酒井 そういう個々の意味で評価すると一見役に立たなそうなのですが、これがなぜか「気持ちいい」んですよ(笑)。

私たちが生きている世界は「目的」や「意味」でできているわけじゃないし、人間は「温度計」でも「日照計」でもない。おそらくわれわれが本能的に持っている何かが、この日除けがつくる日陰に「気持ちよさ」を感じ取るのだと思います。

人間の好奇心も同じです。原因と結果のつながりがわからない、予測不可能なモノやコトって、「怖い」のと同時に「ワクワクする」じゃないですか? そういう人間の純粋な好奇心もカオスな世界の中で生きていくために組み込まれた生物的な本能なのではないでしょうか。

そう考えると純粋な好奇心に突き動かされ、予想不可能な常識の外側へと冒険する「京大的アホ」の保護区としての大学という場所を守ることは、社会にとって「必要なこと」なのだと思うのです。

●酒井 敏(さかい・さとし)
1957年生まれ、静岡県出身。京都大学大学院人間・環境学研究科教授。専門は地球流体力学。「京大変人講座」を開講し、自身も「カオスの闇の八百万の神―無計画という最適解―」をテーマに登壇して学内外に大きな反響を呼んだ。「フラクタル日除け」などのユニークな発明で、京大の自由な校風を地でいく「最も京大らしい」京大教授。92年、日本海洋学会岡田賞受賞。著書に『都市を冷やすフラクタル日除け』(成山堂書店)がある

■『京大的アホがなぜ必要か カオスな世界の生存戦略』
(集英社新書 860円+税)
正常な思考回路を停止して、まともに考えるのをやめる「アホ」になることを推奨してきた京都大学の文化が薄れつつある。それと時を同じくして、日本の学術全体がかつての勢いを失い、研究に必要な資金や時間が得られず青息吐息の研究者も少なくないという。本書はこの背景には「すぐに役に立つ成果」を大学に求める圧力が高まったことなどがあると指摘。先のことが予測できない不確実な世界を生き残るための「アホの存在意義」とは何か。「京大変人講座」を開講した著者がムダと変人の必要性を訴える!

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