■元は大人のお姉さん向け商業ビルだった!
1979年4月28日、渋谷のスクランブル交差点から程近く、道玄坂下交差点に面した鋭角の角地に、ある商業ビルが誕生した。
「SHIBUYA109(イチマルキュー)」(通称、マルキュー)である。名前の由来は「東急」の読みを数字の10と9、いちまるきゅうにあてた語呂合わせなどから。
その、マルキューが先月、40周年を迎えたのだ!
1981年5月以前の旧耐震基準で建造されており、耐震診断の結果、「ニュー新橋ビル」などと並び、震度6強以上の地震で倒壊する危険性が高いと東京都から名指しされていたマルキュー。
しかし、建て替えをせずに補強工事で耐震問題はクリアできるとのことで、大きな心配はないようだが、それだけ歴史のある建物であることは間違いない。
さて、今でこそ"ギャルの聖地"というイメージが強いマルキューだが、開業当時は主に20代後半の大人女性をターゲットとしたファッションブランドが軒を連ねており、10代女子が足を運ぶようなビルではなかったという。
「ギャル」という言葉自体は昔からあったものの、80年代にはまだ現在の概念でいうところの"ギャル"は存在しておらず、当然、"ギャルの聖地"でもなかった。
髪を染めてド派手なメイクをした10代後半~20代前半の女のコたちを、今の概念と地続きで"ギャル"と呼ぶようになったのは、90年代中期からだ。
96年頃に安室奈美恵をまねた女子たちによる「アムラー」ブームが巻き起こり、同時期にファッションやメイクを派手にした女子高生らを「コギャル」と呼称するようになる。こうして"ギャル"という種族が急速に増殖していった。
マルキューでは、90年代に10代女性向けのブランドが増え始め、ギャルブームが本格化した90年代後期には、ほぼ10代女性向け、というか完全にギャル向けのブランドが占拠している状態になったのだ!
■街のアイコンと化した商業ビルはほかにない
建物としてのSHIBUYA109についても触れておこう。大阪市立大学准教授で、『東京モダン建築さんぽ』(エクスナレッジ)などの著書を持つ倉方俊輔氏はこう語る。
「戦後の道玄坂界隈(かいわい)はごちゃごちゃと木造の建物が密集していたエリアでした。その一帯を東急電鉄グループが再開発し、計画のランドマーク的に建てられたのがSHIBUYA109です。
造形的には、三差路を生かした円柱のエレベータータワーのイメージが強いですよね。これはポストモダン建築で有名な竹山実氏の基本設計によるもの。
"マルキュー"と言われれば、ギャルでもすぐにあの銀色のシリンダー形を思い浮かべられるはず。これは建築物としての訴求力が高い証拠なんです」
確かに、PARCOやSEIBUと言われても建物の形は思い浮かばない。
「日本の商業ビルで、ここまで街のアイコンと化している建物はほかにはないですね。シリンダー形の商業ビルは意外とたくさんあると思いますが、だいたいは大きな広告看板がドーンと前面についてしまっていて、形が思い浮かばないんです。
SHIBUYA109も正面に広告が貼られていますが、シリンダー形を邪魔していませんし、結果的にあの形自体が広告効果を持つまでになっていますからね。ですから僕は、建築物としてのSHIBUYA109はすごく素晴らしい、いい作品だなと感じています」
あの遠くからも目立つ角地にシリンダー形がこれまで40年間もそびえ立っているからこそ、マルキューは"ギャルの聖地"になりえたのかもしれない!