元祖ヤマンバのあぢゃさんは現在35歳の美白美女(でも中身は昔のまま)! ヤマンバ当時は『Popteen』で連載ページを持ち、ドラマやCMへの出演も果たすほどの人気

ギャルの聖地「SHIBUYA109」が今年4月に40周年を迎え、また伝説のギャル誌『egg』が5月に復活した。そこで、「マルキューとギャルたちのパない平成史」「現役eggモデルが語るニュージェネ・ギャルの生態調査」に続き、最後に「伝説の元祖ヤマンバ」を直撃した!

■都市伝説にあらず。汚ギャルは実在した!

199X年。世紀末の渋谷。"ヤマンバ"という民族が誕生! その民族の中でも、ひときわ"強め"だったのがこの人、あぢゃである。

──10代の頃(90年代後半~00年代初頭)のマルキューや渋谷の思い出は?

あぢゃ マルキューには週8、9回通ってた。だって渋谷に住んでたからね。自宅は横浜だけど、夏は家なんて帰らないで、1ヵ月半、ギャルの友達10人ぐらいで宮下(渋谷の宮下公園)で寝てたから。起きたらマルキュー行って、センター街行ってって生活。

え、風呂? 入るわけないじゃん。水道で股のデリケートゾーンと両脇の3点だけゴシゴシ洗っときゃ、まぁ大丈夫っしょってことで(笑)。

──汚ギャルって、誇張された都市伝説じゃなくてガチだったんですね......。ヤマンバ時代のこだわりは?

あぢゃ 黒さと派手さ。服はピンクとか蛍光色。ヤマンバって呼ばれ始める前は、マルキューとかセンター街行くと、自分よりド派手なギャルがいるわけですよ。超負けず嫌いだったから、そいつらに負けたくないって思って、メイク濃くして、髪盛って......ってエスカレートしてった感じ。

──メイクに白のポスカを使っていたのは、やっぱり一番"強め"になるため?

あぢゃ そうそう。たぶん、ポスカを最初に使ったのもうちらだったと思うけど、水性だから落としやすいんだよ(笑)。あと、厚底サンダルの高さも誰にも負けたくなかったから、自分で底を切って、接着剤で別のサンダルにくっつけて、無理やり20㎝以上の高さに作ったりしてた。

おかげで足首、めっちゃ強くなったよね(笑)。ピンクのかわいいテーブルクロス見つけたときは、それを切ったり貼ったりして服作ったこともあったし。自分で作るから、オンリーワン。

──そういえば当時、高校は通ってました?

あぢゃ 通信(制高校)に通ってて、たまに学校行かなきゃいけなかったんだけど、友達に代わりに行ってもらってたな~。ヤマンバってスッピンは知られてないんで、先生は誰が誰だかわかってないから(笑)。"ヤマンバあるある"だね。

──最後に、昨今、元気がないギャル業界にひと言!

あぢゃ ギャルが日本を救うと思うんですよ。ギャルって派手だから、服はめっちゃ買うし、髪染めに美容院行くし、カラコン買うしで、経済がバンバン回るでしょ。

あと、すげぇ露出してエロかったんで、男もうれしいし見てるだけで満足できるから、性犯罪の抑止になってたと思う(笑)。だからもう一回、ド派手なギャルブームが来てほしいな。